以前、ここのブログに書いた『卓上四季』のノート。
2022年7月13日からずっとつけている。途中、休刊日が1回あって、その日以外欠かしていない。
これが初日の。適当。
これは今日の。
眠くて、字がいい加減。真ん中あたり、居眠りしながら書いていて、頭がカクンとなっている時は字が小さくなって、フニャフニャに。残りの3行は起きてから再開したもの。今日は仮名が汚いな。
後半頁。気を抜いた所は字が変になっている。
これは毎日やっていると、日によってストーリーが出来上がっておもしろい。苦手なかな文字が綺麗に書けるようになったとか、前半はだらしなかったのが、後半は心を入れ替えて丁寧にやったとか、文章の内容に関わらず、物語が出来上がるのだった。
文章は……くだらない時とまあまあな時と半々と言いたいとこだけど……くだらない日が多いね。わけのわかんない小説のストーリーを引用してきたり、アニメの話とかされても読む気しない。
13日は天気のはなしか。これはいかにもこういう欄の文章「らしい」感に溢れている。
14日はポイントのはなし。くだらない小説の引用で読む気なし。
15日は安倍の殺害。「思い込みの狂気」とか書いてある。違うだろ。
16日は国葬のはなし。私も反対だ。何を考えとるのか、バカか。ありゃー国賊だろ。
17日、ゴミ小説とアニメの引用で読む気しない。
18日、サンゴを中心に据えた環境のはなし。今日のに似てる。
19日、学生の勉強のはなし。
20日、同性愛をめぐる五輪と政府のはなし。
21日、森鴎外と就職のはなし。
22日、五輪悪用のはなし。
23日、都合の悪いことは忘れるってはなし。
24日、コロナ、ウクライナ侵攻を経ての気を付けようってはなし。この日のはいま見ると、よく書けているような。引用の移り変わりやバランス、締めもまあまあ。
25日は休刊日。
26日、知らん映画のはなしで読む気なし。
27日、旭川の買物公園から死刑囚のはなし。昭和後半の旭川は本当にすごかった。今はダメダメだ。旭川の辺りは昭和60年代から教員の質が悪くなり、どんどん地域ぐるみで駄目になった。
28日、五輪と汚職とコンサルタントのはなし。
29日、ガンダムのはなし。読む気なし。げんなり。
30日、「さらば国分寺書店のオババ」から始まる。国分寺は昔住んでて、あの頃はまだ南口にいくつか古本屋があったな。引っ越す頃にはもう古本屋は1軒も無くなってた。
31日、今日か。二酸化炭素のはなし。
いまノートを見るに、ここでだいたい半分くらいかな。
明日からもがんばろう。最近は文章とか書かないのもあって、やってみるとおもしろいんだよね。手で文字を書くことの重要性を再認識、みたいな。