ここ何日か、いわゆる不定愁訴と言われるような症状が続いていてしんどい。

最初はうっすら頭痛がする程度だったけど、日が経つごとに目の奥が重くて痛くなり、めまい、ふらつきが加わり、首と肩が苦しいくらい凝って、だるい、やる気がない、不眠、突然悲しくなる、など。

なんかもう外側からは観測できない不具合が次々出てきて困る。

なんとか治したくて毎日ストレッチしたりツボ押したり眠る努力をしてみたり、できることいろいろしてもぜんぜんだめ。

いや、今日は昨日よりはまだマシな気もする。


自律神経が壊れたのか、これがついに更年期の始まりなのか、もしくは鬱の初期症状か。

どれかのような気がするけど、医療機関に行く気にもなれない。

参ったな。


こうなる原因に思い当たる節がありすぎて、だからこそこうならないように考え方を変えていこうと努力している最中だったんだけど、間に合わなかったらしい。

変えようとすることすら今のじぶんにはストレスだってことなのかもしれない。

まぁぜんぶじぶんのせいだ。仕方ない。


目的論と原因論の違いとか、それをふまえて物事が起こったときにどう受け止めるとよいのかとか、他者との関わり方についてとか、学んで納得しつつはあるけど、だからといって急に性格が変わるわけはないので、ちょっとずつ意識して思考の癖を直そうというところに今いる。

うまくいくかはわからない。

うまくいったところで役に立つかもわからないし、失ったものを取り戻すこともできない。

じゃあなんのためにやるんだって話だけど、たぶんまだ何年かは生きるんだろうし、その間はもう少し楽に楽しく考えて過ごせたほうがいいだろうと。


それにしても、今はとにかく申し訳なさでいっぱい。

うだうだ書き連ねることはいくらでもできるけど、そんなことしても意味がないのでやめる。

失わせてしまった時間はいくら後悔したって戻らない。


とにかくとりあえず仕事をしよう。

集中力は落ちてるが、なんとかして絞り出そう。


いやーー、もうだめかもしらんなわたしは。

ひさびさに仕事以外で読書をしている。

いわゆる心理学というか自己啓発というか哲学というかなんというか、まぁそこらへんのジャンルのものなんだけど、なんとなく、得るものがありそうな予感がしてる。

まだ全体の20%しか読めてないので確信はできてない。


ただ、なんとかしてこのじぶんの今の性格を少しでも変えたいという気持ちがあって、なにかしらのヒントがあればなという薄い期待を持って読みはじめたのだけど、さすがベストセラーだけあって、ちゃんと万人が共感できる作りになっていて、すでに3箇所マーカーつけたよね、Kindleだけど。


この件に関しては読破したあとにじぶんがどう感じたかまとめようと思うけど、それとは別に、「成人の学習モデル」というものを少し学んだ。


成人が何かを学習するとき、そのプロセスは4つの段階に分けられる、というもの。

ここに詳しくは書かないけど、それを読むとどうやらわたしの今のウクレレの学習段階は「意識的有能」の位置にありそうだとわかった。

つまり、意識すればできる、ということ。

たぶん、この段階が学習のプロセスにおいてはかなり時間を要するんじゃないかと思う、というか、わたしの性質的には間違いなくそう。

これが最終段階の「無意識的有能」、つまり意識しなくてもできるという状態になるまでやらなくちゃいけないというわけで。


スプラトゥーンというゲームを始めたころから現在にいたるまでを考えるとじぶんとしてはわかりやすくて、最初はなにができないのかすらわからない「無意識的無能」の状態から始まり、しばらく経ってじぶんのできていないことがわかる「意識的無能」の段階に至り、長い期間を経て「意識的有能」状態になって、また長い期間を経て「無意識的有能」状態に到達するという。

車の運転とかもそうか。

最初はブレーキ踏んで、エンジンかけて、ギア入れて、ブレーキから足を離してアクセル踏んで、とかちゃんと意識しないとできなかったことが、いつのまにか無意識ですべてをこなせるようになる。


これはたぶん、性格を変えるということにもどうやら当てはまるのではないか、とちょっと思っていて。

最初はきっと元のじぶんでいようとしてなにもできないんだろうけど、意識して決定するということを繰り返していくうちに無意識的にできるようになる、みたいなこと。

まぁそんなにうまくいくかはわからないけど、とにかくこのままではいけないということだけは明確にわかっているので、もう今日から、今から、実践していこうと決めたのであった。


とりあえず、部屋のフロアスタンドが完全に壊れたので、代わりのものを探しに行こうと思う。

壊れたままのものを置いておくのはやめよう。決めたら即やろう。


昨日まで担当していた案件は、本当に感心しきりの良作品であった。

普段は作業量がただただ多くてがっつり仕事こなしたぜ、って感じなのに、今回は隙がとても少なかったので、いつも「そこに時間かけてると納期に間に合いませんよ」とじぶんにツッコんで流さざるを得なかった細かい表現の部分までしっかり浚うことができた。

なんなら、編集のスキルみたいなとこまで教本引っ張り出しておさらいする余裕まであったし、勉強してたときのじぶんのメモを見直したりなどもした。

それこそ当初は無意識的無能から意識的無能の段階にいて、何かしらをいちいち確認しないと判断できない状態だったわけで。

今は無意識的有能の位置にいるとはいえ、まだまだ無意識的無能な部分もあるに決まってると解っているので、こういう余裕のあるときに少しでも気づきを得ていくというのは必要なことだなと思ったのだった。


いや、うだうだ書いてないで出かけよう。

夕食作りの時間までには帰宅せねば。



知り合いにわたしの本棚の一部を見せたら「プロの並びだ」とか「最高に好きだ」なんてことを言ってもらえた。

仕事柄、これは書籍じゃないと調べられないという状態になっては買うということをしていたら出来上がった本棚。

なんの脈絡もなくしっちゃかめっちゃかで、これを趣味として揃えたんだとしたら頭の心配をされそうな並び。

まるでじぶんそのものだなとも思ったりして、でも「好きだ」と思ってもらえるなら、それはそれでいいか。


ひさびさに眠れない状態がやってきた。

今日も外が明るくなっちゃったなと少し焦りつつ目を閉じても謎に胸がドキドキして、最近このひとの動画を流せばだいたい数分で眠れる、というチャンネルを見つけてそれを流してみても、なんだか言葉のひとつひとつがチクチク刺さってつらい。

ああ、これって心が整ってないと受け取れないものだったんだ、と気づくなど。


何年も仲良くしてもらってる友人が、去年あたりから自律神経の調子を崩していることは知っていた。

症状を聞けば絶不調だったときのじぶんと似ていて、何度も相談に乗っていたけど、どうもあまり良くはなってなさそうで。

いつものように話していたら、「実は手帳をもらうほどの精神の病気だ」と打ち明けられた。

そりゃ簡単に良くなんかならないわな、でもそうか、今まで言えなかったんだ、と思うと、じぶんの不甲斐なさが塊になってずどんと目の前に落ちてきて、そりゃそうか、となった。


ひとの気持ちがわからない、という致命的な欠陥があることはとうの昔に気づいてた。

「当たり前のことでしょ?」と言われてもピンとこないことなんて数えきれないほどあった。

そのたびにじぶんてずれてるんだ、おかしいんだと自覚して、少しずつしっかり考えるということをしてきたつもりだけど、やっぱりまたここでも「やっぱりそうか」となって、凹んだりまた考えたり。



ウクレレの練習を始めたのはいつからだったか。

もうひと月くらいにはなるのか。

毎日触らない日はないし、時間のあるときは3時間くらいひたすら反復練習することもあって、何かに打ち込むということが元々苦手というか避けてるというか、今まで数えるくらいしかそれができた何かはなかったけど、今回はなんだか違う気がする。

できることが増えてきて、より楽しくなった。

弾けないフレーズを何百回も繰り返し練習したらいつかは弾けるようになるし、少し前まで左手の中指と薬指が常に痺れてる状態だったのもさすがになくなったし、初心者の壁みたいなものをようやく越えられそうな気配がしてきた。


先日大橋さんのライブに行って、今回のバンドメンバーの高木さんのギターの音を聴いて、このひとはこう弾けるようになるまでどのくらいギターと向き合ってきたのかとか考えてた。

そんなこと言ったら大橋さんなんてどれだけの楽器を演奏できるんだってくらいのマルチプレイヤーで本人が楽器そのものみたいに思えるけれど、何かにひたすら打ち込むということは、ああいう場所に行ける才能でもあるんだろうと思う。


わたしも今の仕事を得るために、ひたすら文字と言葉に向き合ってきた期間はたしかにあるけど、それが彼らと同じだとは思えない。

まぁ何も行動を起こさないよりはよっぽどマシだけど。その程度。


それはそうと、大橋さんがMCで「ここには昔から有名な楽器屋があって、そこにはおもしろいギターが山ほどあるのでツアーで来るたびに寄る」と言っていて、あとで調べてみたら本当に数多のミュージシャンが訪れるような有名店らしく、ラインナップを見ても知ろうとのわたしでさえわくわくするギターがたくさんあったので、もう少しウクレレが上達して続けられるという確信が持てたら、その店でギターを買おうと決めた。



先週は、新人さんのミステリー小説を担当していたのだけど、これがここ数年で最も文章力がないと言えるほどしんどい案件で、日々どこをどうすれば助けてあげられるんだろうとひたすら向き合ってきた。

納品したあとも引きずることなんてめったにないのだけど、このときはしばらく悶々としてしまった。

一方、その次に来た案件はかなり人気のあるラノベで、読みはじめたらあまりに専門性の高い、しっかり構築されきった世界観が広がっていて、わたしなぞが突っ込む要素がどこに?というほど完成度の高い作品。

たまにいる、こういうひと。

なんでラノベ書いてんだろ。もうしっかりSFとかの世界に行っていてもおかしくないのに。

それだって本人が好きでそのジャンルでやってるんだろうから余計なお世話でしかないし、ラノベにはラノベにしかないフットワークの軽さみたいなものもあるんだろうからこれはこれでいいのかもしれないけど。

そう思ってしまうほど、すごい。

突き詰めて極められるタイプのひとなんだろうと思わされた。


才能ももちろんあるんだろうけど、それを上回る努力が節々に見られて、こういうひとをわたしは尊敬してしまうんだと確認できた。


世の中にはすごいひとがたくさんいる。


できることしかやらずその場に留まってることを正当化してはいけない。

じぶんはじぶんのしたいことを見つけて成長していかないと。


とりあえず冷蔵庫が空になりつつあるので買い出しに行かねば。

毎日料理するのも当たり前になって、前から「わたしはやればできる」とか言ってたけど、じっさいほんとにやればできるもんなんだと思って我ながら驚く。

そろそろほんとにフライパンと包丁を買おう。

もうこんなにしっかり料理するなら多少いいものを買ったって許されるはずだ。


天気が悪くて軽い頭痛。

気にしなければ無視できる。


多少寝なくても生きられる。