今日は朝早めに目が覚めたので、洗濯と家の床掃除、自室の掃除とデスクまわりの片付けなどをした。

すっきり。

本当はデスクの上には何もないくらいの状態にしたいのだけど、仕事の性質上、紙の資料と書類や辞書類、文房具各種はいつでも手にとれるところに置きたいので、とても難しい。

引き出しがたくさんついたシステムデスクを買えばいいのかもしれないけど、だいたいそういうのって天板のサイズが小さくて作業に向かない。

あと部屋そのものが狭いので棚を置くスペースがない。

いつかここから引っ越すことになったら、寝室と仕事部屋を分けて広々と使えるようにしたい、などと思いつつ。


そんな感じでぱたぱた動き回っていたはずなのに、なぜは今日は一日やたら感情の上下が激しかった。

いろんなことをするエネルギーがあると思えば、誰が聞いても明るい気持ちにしかなりようのない曲で急に悲しくなったりさびしくなったりして泣けてきたりもして。

なんなんだこれはと我ながら謎だった。

歳のせいか満月の為せる業か、そのどちらでもないのか。


とりあえず切り替えて夕方届いた仕事に手をつけた。

半年ほど前に担当した作品の続編。

自作の資料がしっかりあるのでたぶんスムーズに進むはず。


今月は4本しか仕事してない。

先月があまりに詰まりすぎてたので、あえてのんびり作業したところはある。

とはいえ、ありがたいことに一本一本の単価が高いものばかりだったので報酬的には御の字。


何年か前、単価の低い案件が多くて数をこなさないと稼げない時期があって、いつか月3~4本こなせば満足いく収入が得られる環境になったらいいなと思ってたので、そのころのじぶんが今のじぶんを見たらうらやましがるだろう。

なんなら今となっては何年かのうちに独立して月2本大きい仕事を受ければ余裕で暮らしていけるという状態が理想になってて、想像して地道に向かっていけばたどり着ける気もしてる。

何年かあとのじぶんが、今のじぶんに「うらやましかろ?」と言ってるのをイメージしとこう。


いずれにせよ、10年続けてなければ、地道に真面目に向かい続けてなければ、今の状態はなかった。

好きなことだけは飽きずに続けられる性格でよかった。


今日はあと2時間くらい作業したら終わろう。


ひさびさに8時間も眠れてしまって、目が覚めるとgoogleさんが12年前の今日の画像を見せてくれた。

猫が必死に襖を開けようともがく様がかわいくて笑えて何枚も撮ったうちの一枚だった。

懐かしいな。こんなときもあったな。結局生涯家中の扉を一切開けられない猫だったなと思うなど。

そういえば、猫が死んだのはちょうど半年前の今日だ。

半年前の今日は、本当にきつかった。

仕事しながら猫の様子を見て、スポイトで水や流動食を与えたりしていたけど、どんどんそれすらも受け入れなくなって、あとは見守ることくらいしかできなくて、夜通し猫のそばにいる覚悟をしていたけど、結局23時くらいに息を引き取ったんだった。


その後どんな気持ちでどんなふうにじぶんが過ごしたかはもう覚えてない。

泣きつづけていたのか、わりと冷静だったのか、気を紛らすためにゲームしてたような気もするけど。

亡骸の横を通るたびに、じつはまだ生きてるんじゃないかと確認したりした気はする。


そういえば、余った注射器を病院に返しに行かなきゃいけないのに未だに行けてない。

ほんとは時間を置かずに行こうと思ってたのに、看護師さんや先生に泣かずにお礼を言える気がしなくて、笑って話せるようになるまで待とうと思ってるうちに半年経ってしまった。

17年間何かあるたびにお世話になった病院なので、猫がいない今、フラットな状態で行く自信がない。

それだけわたしはまだ引きずってるってことなんだろう。


SNSで日々よそのおうちのかわいい動物たちを見るたびに、その時間が永遠に続けばいいと思うのと同時に、いつか必ず訪れる悲しい瞬間のことも想像してしまう。

そんなの失礼なことだってわかってるけど。



大橋大先生のラジオの第2回と第3回を立て続けに聞いている。

1回2時間たっぷりいい曲をどんどんかけてくれるので最高。

知ってる曲が流れてくると、「なんだっけこれ」と調べては「ああ!」となる。

今日一番「なんだっけこれ」→「ああ!」だった曲はこれ。


Flo Morrissey and Matthew E.White


なぜこの曲を知ってるのか、誰かが薦めていたのか、まったく思い出せない。

どうやらそこまで思い入れはなさそうだけど、確実に好きだと思ってたのはわかる。

調べてみたらどうやらカバーらしい。

原曲のほうも聴いてみたけど、断然カバーのほうがいいっていう。


Look at what the light did now.


これはどう訳すとしっくりくるのかな。

光の所業を見よ、とでも言ってしまうと堅すぎるのか。

まぁなんか、光がきらきら見せてくれるものを羅列している詞に見えるけど、反面、影について書いているのかな。

的確なニュアンスを掴む能力がなくてわからないけど。


なんとなく、今日じっくり聴いてみるにはちょうどいい曲だなと思ったのでした。


さて、仕事の続きに戻ろう。

いくら読みたくない文章でも読まなければ終わらない。がんばろう。



録画してたのを見た。
というか、見始めたんだけど、途中でつらくなってやめた。
わたしの中の彼の像みたいなものが、音をたてて瓦解するような感覚に襲われて、それでも、人間ってそういうものなんだからと割り切ろうとする気持ちと、これを見ることで勝手にじぶんの気持ちを乱したり整えたりすることが彼に対して失礼に当たるんじゃないかという気持ちが闘いはじめて、いったん見るのをやめた。

当然すぎて書くことすら憚られるけど、どんなに成功していてもプライドが高くても強い意志があるように見えても、死と直面すると人は揺れるんだ。
身体が力を失えば、心も力を失う。
それは彼にしても同じだったらしい。
なんとか病に抗おうと、ネットの情報を頼って試してみるのも同じらしいし、
「音楽はエネルギーがないと聴けない」
それもどうやら彼ですら同じらしい。
やはり彼も普通の人間だったんだ。

誰だってそうだろうけど、いくら「他人には期待はしない」とか口で言ってても、やっぱりどこかで「この人にはこうあってほしい」という理想を抱いてしまうもので、それが崩れたとき、「そりゃそうか」という気持ちになる。
決して軽蔑とか諦めとかそういうものではなくて、どちらかというと自分自身に対しての失望っていうか。

子どものころからずっと、尊敬や憧れ、決して届かないところにいる神みたいな存在にすら思っていた彼の、病を得て朽ちていく肉体を見せられて、「そりゃそうか」と思ったのだった。


ここのところひたすら仕事に明け暮れていたけど、やっと昨日あたりで落ち着いた感。
今日はのんびり残りの作業をして仕上げて、明日は休みたい。
先月終盤以降、我ながらなかなかがんばった。
もうあと1本くらい来れば今月の報酬は安泰なので、なんならどこかで連休とかとろうかな。

昨夜は他人と戦う気力がなくて、スプラの追加コンテンツをちまちまやってた。
手をつけ始めてそんなに経ってないけど、昨日で全武器でクリアするところまではいけた。
その後、最後に上級者向けの武器が開放されたんだけど、何回かやってみてなかなかいいビルドが組めず苦戦するなど。
最近そこそこローグライク/ローグライト系のゲームに慣れつつあるわたしにはちょっと燃える難度。

早めに寝ようとベッドに入りつつ、眠くなるまでbrotatoやろうと始めたら朝7時だったときにはさすがに呆れた。
でも昨夜はわりとさくさくうまくいった。

いつまでたってもゲームはうまくならないけど、いろいろ調べて可能性を探って何度も試すのは楽しい。
どうせできないと諦めるのはもうやめたんだ。
できなくてもやる。
やってるうちになんとかなってくるもんだし。

さて、仕事終わらせよ。
新シリーズ1作目から担当しつづけている作品の7巻目。
毎度たくさん調べて書いてるんだろうなと感心させられる著者さんのものだ。
もう少し文章に魅力が出てきたら、ミステリ界隈に乗り込めるんじゃないかと期待してるんだけどはたして。

あーー、この仕事終わったら新調したプリンターのセッティングしよう。
古いプリンターの替えたばかりのインクがもったいなくて「もう限界だよ、印刷できないよ」と言われるまで使おうと思ってたけどもういいや。
この仕事を始めるときに買ったので約11年。故障もなくよくがんばってくれました。

人にも物にも終わりはある。
などと。