「十徳ってナニ???」という 質問がありました。 「紗や絽でできた黒い羽織みたいな物」 と形を答えることはできましたが、 それ以上の的確なお返事をすることができなくて・・・
ここでは、長年の修行を積んだ 宗匠方がお召しになる 十徳の起源と その意味 を考えてみたいと思います。
主客が同座する 東山時代の書院茶においては、能阿弥に代表されるような 同朋衆とよばれる人々がその奉仕にあたっていました。 同朋衆は、身分や貧富の差を越えて貴人にまみえる立場であったことから、剃髪したうえで 禅僧が用いていた直綴(じきとつ)という形の衣装を身につけ、僧体をとることが習いとなっていました。
同朋衆ではありませんが、 長谷川等伯が描き、春屋宗園が讃をつけた千利休居士画像にも、 直綴を身に付けて 僧の体をとった利休の姿を見ることができます。
天正13年(1585)に 豊臣秀吉が禁裏にあがって 正親町天皇(おおぎまちてんのう)にお茶を献じたとき、利休を伴いました。 しかし、町人の立場のままでは参内出来ないため、 その時に正親町天皇から賜った居士号が「利休」です。
出家をせずに 在家で仏教の修行をしていながら、仏教の知識や経験において僧侶に匹敵するほどの力量をもっている人たちに与えられるのが 居士号でした。
さて、十徳とは直綴の上半身が切り離されたものと考えられていますが、その形が最初に現れたのは、室町時代で、 僧に準じる立場の人たちが身につける 法衣に匹敵するものでした。
では、僧に準じる立場とは、どのような人を指していたのでしょうか。
公家でもなく、武士にも 農民にも 職人にも 商人にもあたらず、学問や芸能 ・ 技術に従事し、在俗でありながら 仏門に入ることを通例とする人々のことです。 能役者、絵師、連歌師、医師、茶人などが その例にあたります。
「十徳とは、僧のごとく、俗のごとく・・・五とく ・ 五とく で 十徳である」 という 言い得て妙な冗談も存在しています。
また、 能阿弥 ・ 世阿弥 というような 阿弥号も、 阿弥陀仏を信仰する人たちの法名の一種であり、世俗のことを忘れて 芸術に打ち込む心構えから、南無阿弥陀仏 の真ん中の二文字をとって、出家と俗人の中間的立場を表しているといわれています。
町人系の茶道においても、 男子の茶人の礼服として 十徳が採用されています。 ここでも、 芸に打ち込み、 出家と俗人の中間的生き方をする方々の姿をみることができるでしょう。
流派によって違いがあるようですが、表千家の場合、家元から着用を許される人のほとんどは、内弟子として30年近い年月の修行をなさってきた方々です。
十徳をお召しになった 某宗匠が、お座りになったお姿です。
肩の力の抜け具合、背筋ののばし方、左手で右手をおおいながら 膝に置かれた手の位置など、皆さんの参考になりませんか?
茶人らしい 美しい座り方です。
この姿 一つとってみても、できるようになるには かなりの年季を必要とします。