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・2026年8月9日投稿

 身内だったのにアーサー王の最悪の敵になってしまったモルドレッドについて、ふと思ったのが、アーサー王とはどういう親族関係だったのかについて、もしかすると、日本の中世での上皇を惣領とした皇室の家政体制にあてはめると、しっくりできる答えが出る可能性である。もし、モルドレッドがアーサー王の子であり、アーサー王の種違いの姉の子であるのが真実なら、それはもしかすると、後白河院と二条帝・以仁王兄弟との父子関係と似たようなことだったのかもしれないと思ったのだ。二条帝と以仁王は後白河院の妹である八条院の猶子となり財産相続面での八条院の後継者として育てられたのである。とはいえ、ただの猶子縁組にとどまらない親子関係が築かれてきて、実の父子ながら後白河院と二条帝は政治的な対立を繰り広げたのである。二条帝が後白河院に従順的にならなかったのは、猶母となった八条院のいいなりになったがためである。そして以仁王に皇位が渡らなかったのを、まるで実の母親みたいに怒ったのが以仁王の蜂起につながったのである。だから、こうは考えられないだろうか。モルドレッドはアーサー王の実の子ではあるが、何かしらの事情によってアーサー王の種違いの姉の猶子になり、やがてモルドレッドは猶母のいいなりになったと。
 他の可能性としては、私はこうも考えているのである。血縁関係があるかどうかはともかく、モルドレッドはアーサー王の猶子であるのが、アーサー王の実の子たちをさしおいて強引に王座を掌握しようとしたと。
 話がずれるが、よく考えたらアーサー王伝説の構図というのは、今のイギリスの多数派民族に討伐される側を英雄視したもので、日本における今の皇室に系譜がつながる人物に討伐される側の頭目を悪玉にする伝説の構図とまるで逆である。それは中央史観においてであるが、アーサー王伝説は中央史観のうちに入っているのである。伝承ではアーサー王の死をはっきり伝えたものはないらしく、厳密にいえば、討伐される側なのに、しかもアーサー王の家系が最終的に歴史の勝者側にまわったわけでもないのに、伝承でのアーサー王の扱いは敗者の扱いではないのである。三国志でいうと、最終的な勝者は司馬仲達なのに、仲達が英雄視されていないのに似た構図に見えなくもないが、あくまで司馬仲達に敗北

した側はまぎれもなく敗者扱いである。おまけに、ほぼ現在の中華人民共和国の範囲内を三分した三人の地方王朝の初代皇帝はみんな英雄扱いで、ベトナムに近い地方に帝国を築いた劉備玄徳の四人の側近が劉備玄徳と、その二人の政敵と共に英雄扱いされているという現象も不思議といえば不思議である


     ↓訂正のリプライ

ごめんなさい、関羽、張飛、諸葛孔明で三人の側近というつもりが四人と打ってしまった。その三人を側近として頂きたい。



。中国の中央史観においてである。以上のことは歴史は敗者もつくることを説明するのに大いに役立つだろう。
 話は戻って、それだけ西洋の郷土史には、日本人の方が理解しやすいこともあることを示しているのかもしれない。いずれにせよ世界中で家族史研究が軽い扱いになっているのが残念。
オックスフォード大学はせっかく地方に立地しているので、郷土史を冷静に判断することがしやすいはずだから、ぜひ、それに積極的になって、世界に示しをつけるようにしてもらいたいものだ。




・2026年8月4日投稿


 また勝手に妄想話をするようですが、もし私が『源氏と坂東武士』の続編みたいな本をつくるとしたら、源為義と熊野修験幹部の娘との婚姻関係と、源義朝と熱田社宮司の娘との婚姻関係にスポットを当て、さらには源頼政が抱えていたた摂津の東の端からは、東側にしか勢力が広げられず、西側には、なかなか広げられず、平清盛に先越された切実な事情にスポットを当てた記述をするかと思います。

 また、ちなみに私見では、その熊野修験幹部の娘が為義の正室で、その女性の娘が為義の嫡女で、同じく、その女性を母とする行家が為義の嫡男だったと考えます。ただ、

 行家は朝敵とされて成敗されてしまったので、行家の家系が為義の家系における惣領の座を得る権利を失ってしまった結果、頼朝が為義の家系における惣領に収まったという理解でいます。義朝や義賢や頼賢が嫡男の扱いを受けたことについては、正確には嫡男代行だったと理解します。というのは、やはり行家は為義の存命中は規模の大きい為義の勢力をまとめるには、あまりにも若年で荷が重すぎたということです。

 またちなみにですが、義朝の立場はあくまで分家で、上総氏の後見によって勢力をつけたと思われますが、それにしては頼朝が早くに上総広常を疎んじるのが不自然に思えないでしょうか。なので私見では泣いて馬謖を斬るが真相だったと考えます。後白河院の逆鱗に触れてしまい、院が広常の誅殺を頼朝に強制し、傀儡にすることのできる人物を上総氏の惣領に据えるのを強制したのではないでしょうか。頼朝に上総国及び上西門院領玉前荘の主導権を掌握する動機が見当たりません(上西門院は後白河院の姉で、頼朝にとっても主君の一人)。実際に玉前荘を散策したら、なおさら、そう思えました。しかも上総氏は実は、その後も安堵され、大名の地位を失っても、江戸時代にまで消息を辿れるのです。もし頼朝に積極性があるのなら、同様にして那須氏、小山氏、宇都宮氏、源姓足利氏、池氏、伊東氏、多田氏を滅ぼしてるはずです。とりわけ、多田院を無理やり占領しなかったのはなぜでしょうか。また、あっさりと上総氏の力を削げるはずがありません。上総の大船団が、しかも熊野水軍と合流して、発展途上の鎌倉が焼き払われたら一貫の終わりです。

 たとえ自衛官であっても次官級である統合幕僚長を実業家と同類と考えてしまうと以上のような疑問が生じます。腐っても次官級なら官僚の感覚なのです。これにつきます。

(元のポストではここに筆者自身によるポストのURLがリンク付けしてある。)



・2026年8月1日投稿


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上野大臣の初めての幹部人事が発表されました。まだ当分は多様性社会の奨励は抑え気味が続くでしょう。


 


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