愛犬ロウ永眠す | 風のブログ

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東京都墨田区から沖縄県糸満市名城へ移住し、
イヌたちとバイク、ヨットを楽しんでいます。
沖縄田舎暮らしをお届けします。
というか、自分のための備忘録です。

 

 ロウ ありがとう

 

短い近況や備忘録はFacebookでいい。
考えや思いなど、しっかり思考し留めるものはブログがいい。いずれも誰かに読んでほしいとか、ファンを増やしたいとか、そういうものではない。
このブログもYahoo!ブログの消滅によりこちらに移設したが、2007年の2月に開始したようだ。当時、40歳。起業をしてすぐの頃だ。この間、様々な出来事があったが、2011年6月にエドが家族になり、そして2016年2月にロウが家族に加わり、この11年間、常にいぬたちと過ごしてきた。2年前に自宅を東京から沖縄へ移し、いぬたちと共に沖縄の大自然を満喫している。
この写真は2022年8月2日19時にいつものビーチを散歩中のロウ。
頭上にダブルレインボー。ロウに「オヤジ、ニジと一緒に撮ってくれよ」と言われている気がして撮影。まさかこの9時間半後に天国へ旅立つとは想像もしていなかった。

 

 

 

 ロウとの出逢い

 

ロウは保護当時、獣医さんに「推定5歳」と診断されたそうで、享年推定12歳で亡くなったことになる。大型犬としては平均的な寿命だった。保護されるまで静岡のブリーダーに繁殖犬として飼われていたようで、生殖能力が低下したためか「不要」の烙印を押され放棄されたそうだ。そしてドッグライフセイビングという団体が保護して下さり、我が家が里親として応募し、家族になったという経緯だ。命をお金で売り買いするという行為に抵抗があり、里親という制度を利用し家族に向かえた。
当時、団体に所属していた預かりボランティアの87さんの愛情を受け、我が家に来てくれた。
87さんは預かり期間中、毎日のようにブログを更新してくれ、その様子を拝見し、「この子を迎えたい」と決心したことを思い出す。今でもたまに読み返すが、当時からロウの性格は変わっていないようだ(笑)
ロウもこの頃は若く、仔犬のような表情をしている。
 

 

 

 東京時代のロウ

5歳までずっとケージの中で過ごしたロウは、我が家に来た時、お尻や尻尾に擦り傷があった。立ち上がるたびにケージの天井に当たって擦れたのだろう。
ともあれシャバに出たロウは、家庭犬としての暮らし方をほとんど知らなかった。
それを教えてくれたのは、先住犬のエドだった。

階段の多い我が家は足の長いアフガンには暮らしにくいに決まっていて、この階段の登り方、降り方をエドは丁寧に教えてくれた。

この時はエドの優しさとロウの健気さに感動したなぁ。
 

 

東京時代のロウは、事務所、自宅で常にエドと一緒に行動するという定住生活。
我が家はビルの1-2階が事務所、5階が自宅という構成なので、朝、自宅を出て近所をくるりと一周する「ホニョ散歩」(放尿散歩)をし、事務所へ出勤。
昼休みは我々夫婦だけでなく、よく会社の社員と公園ランチを愉しんでいた。
よく通りすがりの人に、「今のチューバッカか?」などと言われていたな(笑)。


 

事務所での彼らの業務は、エドは受付嬢、ロウは用心棒。

用心棒なのにこの怠惰な勤務態度はいかがなものかと思うが。



お客様が来社されるとスクッと立ち上がり、持ち物チェックや爆発物の有無などを確認し、おやつなど自分に利がないことを理解すると、受付嬢にお客様を引き継ぎ、また怠惰な勤務態度に戻るというのが日中のロウの過ごし方。

 


仕事は月~金曜日まで。
ロウにも週末のお休みがあり、このお休みにロウがハマっていたのが「相撲部屋巡り」だ。

我が家は錦糸町と両国に中間付近にあり、よく近所に住む力士たちが自転車で移動しているシーンを見かけるのだが、ロウに「オヤジ、あの大きいニンゲンは何だ?」と聞かれ、「あれはお相撲さんだぞ」と教えると、自分がデカい犬だからか、デカいニンゲンに興味を持ち、「お相撲さんを見に行こうぜ」と言い出し、相撲部屋を巡回する散歩に付き合わされることになったのだ。
 

 
 

 


 

自宅の徒歩圏に浅香山部屋、錦戸部屋、八角部屋、高砂部屋、木瀬部屋、時津風部屋、九重部屋などがあり、ロウは特に「90ベヤ」が気に入っていたようだ。
この相撲部屋巡りをはじめとしたロウの暮らしぶりは、ロウのFacebookページで色々つぶやいているので、興味がある人は訪ねてほしい。

 


東京時代の最後に、僕が設計施工を手掛けた「すみだリバーウォーク」を家族で渡ることができた。良い思い出だ。

 

 沖縄へ移住したロウ

 


きっと生まれて初めて飛行機に乗り、グタグタになったロウは、那覇空港から車で移動し、これから余生を過ごす海辺の四角いウチに到着した。

これが終の棲家となるのだが、本人は気に入ったようで、東京時代とは全く違う目の輝きで「オヤジ、ここは最高だな」と伝えてきた。

 

 
 

コロナ禍で移住したため、移住後もほとんど出掛けずに、自宅周辺で過ごす時間が多い。
言い換えれば犬たちとたくさんの時間を共にすることができた。
朝のホニョ散歩はもちろん、夕方のビーチ散歩もノーリードだ。
アフガンをノーリードで散歩させることなんてあり得ないと聞いていたが、アフガンはあくまでも犬種であり、ロウという個性が勝っていたのだろう。リードをしなくてもビーチからひとりで家まで帰ることもできるし、もちろん人とすれ違っても挨拶こそすれど、決して脅したり噛んだりすることはあり得ない優しい男だった。
毎日、夕方は名城の町を一周した。
見たこともない大きな動物。すれ違う人に「これ犬?」と何度聞かれただろう。
そのたびにロウは「俺は結城ロウってんだ。犬族だぜ」と応答していた。
一度、おばぁに「え?黒ヤギ??」と聞き返されていたが、ロウの活舌が悪かったのだろう。ロウはバツが悪そうに歩き始めた。
オヤジにビーチで泳がされたこともある。
いつもはノーリードなのに、その日は愛用の首輪にリードをされ、無理矢理に深みへ連れていかれた。「オヤジ!オレ無理だっていってんじゃねーかよ!」と訴えるが、いざ浮力を得ると「あれ?オレ泳げるじゃねーか」と僕を見返した。
キッチンカウンターより目線が高いロウは、ニンゲンが何を食べているのかを視認している。
好物を確認すると「オレにもくれよ」と文字通り、すり寄ってくる。この仕草が愛らしくてたまらないのだ。
思い出や可愛さを挙げればキリがない。
たくさんの思い出の中で、一番嬉しかったのは、東京時代よりも沖縄で過ごした日々の方がロウの目が輝いていたことだ。
たくさんの写真がある。これを時系列に見ていくと、それが手に取るように分かるのだ。
この目でたくさんの思い出をつくってくれた。

 

 

 

 ロウが亡くなったあと

2022年8月3日午前4時26分。我々家族が沖縄へ移住して丸2年を迎えた日、ロウは静かに逝った。冒頭に記した通り、前日の夕方、いつものようにビーチへ散歩に出かけ、スコールの雨宿り後に現れたダブルレインボー。
ロウに「オヤジ、ニジと一緒に撮ってくれよ」と言われたような気がして撮った2枚の写真。
1枚目は冒頭の1枚目。こちらを向いて姿勢よくカッコつけている。
撮影が終わると「サンキュ」と言い残し歩き始めたロウ。
これが2枚目の写真。
 

 

こう見ると、本当に虹の橋を歩いているように見えるのは僕だけだろうか。

この帰り道、ビーチから護岸に上がる階段をいつものようにうまく上がることができず、後ろ足から崩れ落ちるように立ち上がれなかった。見かねて迎えに行くと、すくっと立ち上がり、何ごともなかったように階段を上り、ウチへ帰った。
帰ってしばらくすると、立ち上がれなくなり、急に腹が膨れた。腹水だ。
呼吸が切れ切れになり、時たま辛そうなうめき声を上げたが、しばらくすると落ち着いた息遣いとなり、そして安らかに逝った。
没後、2週間が経過し、ニンゲンたちは落ち着きを取り戻し、このように記憶をまとめようとしている。
けれど、ずっと一緒にいたエドが、競争相手を失い、落胆し、落ち込んで、やる気を失っている。散歩のコースを変えたり、車で出かけて気分を上げたりしているが、ウチに変えると現実に帰るようで、心配だ。
時間が解決してくれるよう、再び楽しい日々を積み上げていくのが最良の薬だと思う。
ロウ。大きな喪失感も徐々に薄まってきたよ。
たくさんの良い思い出をありがとうな。