駅前ファイト倶楽部

駅前ファイト倶楽部

とりあえず。日々のよしなしごとを書き殴ってみるす。

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なんとなく、気が向いたので書くと。
あそこに残った可哀想な友に言おう。

逃げられる準備を始めたほうがよい。
徒労だったら笑えばいいだろう。

自分は本当に苦労した。死すら考えた。

敗北感、絶望感から這い上がる事。口の上手い詐欺師に騙されて安定した企業から出てしまった事への後悔。無収入になる恐怖感。生活するために職を探す事。自分が今まで培ってきた実績なんか毛ほども評価されない世界があること。

わかるだろうか。

書類を送った社は100社近く、面接も20社以上受けただろうか。若造のエージェントに鼻で笑われ。自分より能力の劣る奴にペコペコ頭も下げた。世間に圧迫面接する会社なんかザラにある。知っているだろうか。

もし。君らが俺の様に追い込まれたら、境遇を乗り越えられるだろうか。
自分がそうなったら耐えられるだろうか。

いま。株式市場から得られた資金で新しい柱が立てられているだろうか。公式サイト課金ビジネスには将来が無い。次の柱が立たなければ資金が焦げ付くだけのこと。将来のないビジネスモデルしか持たぬ会社に資金を投入する者がいるだろうか。

人の責任にするでなく、自分の肌で感じることだ。

公式サイト課金ビジネスが廃れ、次の柱が立たねば社に何人が残れるか。おそらく収入は1/10になる。バカでも計算できるだろう。

次の局面は見えている。

給料が半分になるか、イヤなら辞めろ。堂々と文句を言う奴はでっち上げた懲戒理由で退職勧奨。それは経験済み。奴らが一度やって上手く行った事。必ず二度三度とやる。

目先の上場のため未来を切り捨てた会社だ。
一緒に苦しんできた仲間すら二度と立ち上がれないよう叩いて蹴り出す会社だ。

サービスに愛情の無い奴らはロックアップ期間が終わったら巻き上げたストックを売り抜け、いけしゃあしゃあと退職するだろう。奴らは勝ち組。今の株価すら維持すればレバレッジが出る。サラリーマンが手にするには十分な額だ。ストック巻き上げの書類にサインした時点で俺たちの負けが決まっていたんだ。

あの書類にサインさせられたとき、奴は俺に言った「自分は謝らない、なぜなら前の社長の責任だからだ」と。菅直人ですら「あれは前の政権がつくった原発です」なんて言わないだろう。知っておくべきだ、その程度の責任感しか持ちあわせていない、程度の低い人間だということ。

程度の低い人間は、俺たちの想像を超えた程度の低い事を平気でやるということ。

俺は金に対してあまりに無頓着だった。会社やサービス、仲間に対して愛情がありすぎた。たとえ給料が半分になってもこのサービスを仲間と続けられるなら良いとさえ思っていた。自らが正しいと思える行いには結果が伴うと考えていた。勝てる、そして勝たせてやることが出来た。

思えば。俺があの場で世間に評価される仕事を成し遂げられたのは実力でも能力でもない、姿勢だ。自分の身すら省みず、権力に迎合せず、自らが正しいと思える事をまっすぐに成し遂げる姿勢だ。仲間を信頼し尊重する姿勢だ。自ずと仲間がついてきて実力以上の能力を発揮する。そんな仕事には神が宿る。

毎晩、仕事が終わった後でも新しいサービスとはなにか、理想的な会社とはなにか、自分にとって、仲間にとって理想的な環境、理想的な仕事となるよう。終電間際まで仲間と議論していたんだ。

常に立場の弱いもの、困っているもののかわりに身を呈して戦った。最後に勝負に勝つのはそういう信頼関係だ。極限状態で信頼しうる仲間が居るか。そんな些細な、でも偉大な事だ。

己の保身にしか興味の無い経営陣、口の上手い詐欺師、綺麗事ばかりならべる偽善者だらけ会社。泥臭い仕事、汚れ仕事は立場の弱いものに押し付ける会社。俺はそんな会社には未来が無いと思う。

いずれにしろ。自分の肌で感じることだ。
どのような結果になっても、他人のせいにするな。

今更、負け惜しみを言うつもりはない。
俺は「弱いから負けた」ただそれだけの事。
偽善者、卑怯者、模倣者、保身厨どもに・・・言おう。
ざまぁみろ。俺はもう一発打ったぞ。

吹聴してた奴らはどうだ。過去のトロフィーにしがみついて勿体ぶってバッターボックスにすら立っていないのだろう。理由は簡単・・・本当は自からバッターボックスに立つ度胸すらない卑怯者で、成功者を騙る豚なのだから。

最大のポイントを教えてやる。

 「何をやったらうまくいくか?」

じゃない。

 「誰がやったらうまくやるか?」

って事だ。偽善者は最もらしく論点をすり替えるだけ。
シンプルに考えるといい。実は、

 「つまらない事を面白くする才能」



 「面白い事をつまらなくする才能」

この差が大きい。クリエイティブ力の差と言ってもいいだろう。
後者がいくら努力しようが、いくら屁理屈をこねようが・・・

結果がすべて。

ある日。2年ほど使ったMDR-EX700SLのカバーが脱落していたのに気づいてショック!これ実は2代目。1代目はやはり2年弱使ったところで断線。ソニーに持ち込んだところ、修理ができないので1万6千円で新品交換になりますが?と言われ、泣く泣く1万6千円払って新品にしてもろた。

さておき・・・ソニータイマーに屈するのも悔しいので。基本的には1万6千円払って新品にしたろうじゃねーか!(最初に買った時の値段も含めると都合6万以上払った事になる)としても、ソニーに持ち込むのも時間がかかる・・・という事で。

何の気なしにAmazon先輩を眺めていたところ。500SLが型落ちしてかなりお買い得なんで押さえに1個オーダした。

さて。

MDR-EX500SLを二週ほど使ってみた。そもそも高級機のEX700に慣れてしまったんで、色々文句があったんだけど。よーく考えてみたら、思えばこいつはアレに似てる、EX90SL。あれはアレで熱狂的なファンの多いヘッドフォンだったっけ?

当時90SLも気にって使っていたんだけど、あいつの最大の欠点はダイナミックな音漏れ。もう盛大に漏れる。ちっちぇ音でも漏れる。ああいう構造じゃ、しょうがないとは思うけど。ソニーさんもチャレンジャーだよな、とは思った。ともあれ、電車の車内でイヤーな顔をされる事を厭わなければ、とっても気に入っていたんだ。

んで。EX90の音を思い出してみると。どうも、EX500は、EX90的な音抜けの良さとEX700の広がりのある残響感と両方取りしたみたいな感じだ。悪い言い方をすれば、どっちつかずとも言えるが。今やAmazonさんで\5,000以下で買えるヘッドフォンとすれば、かなりお買い得なのは間違いが無い。

ともあれ。700SLがディスコンなので。修理待ちなわけだが・・・なかなか銀座に行く機会もなく。本日に至るわけである。

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みなさんご無事ですか?
私は家族共、無事でした。

あれから二ヶ月。未だ二ヶ月。早くも二ヶ月。

どちらもしっくりきませんが。
東京は概ね平成をとりもどしたように感じます。

概ね無事だった東京に居て思うのは。自分の命の助かったことに対する感謝。運が良かったというよりも。何かの大きな選択において「生かされている」だと思います。以前に4トンダンプに跳ねられ、天国の入り口が見えかかった時も思いましたが。自分には未だ何か成すべきことがあるのでしょう。

東京は地震のあと。すべての電車が止まりました。街はパニック状態になり、沿道は人であふれかえっていました。路上が満員電車と同じ状態になりました。以前、テレビ番組で新宿の高層ビルに詰め込まれている人を路上に降ろすと1人あたり20cm平方程度しか無く物理的に無理という話を思い出し、閉所恐怖症の私は恐怖に震えました。

電話もメールもまったく届かなくなり、家族の無事もわからない状態で。40kmの道のりを人の列にもまれながら延々と歩きました。途中休憩もいれ、ほぼ12時間かかりました。途中で携帯電話の電池も切れました。疲れてもコンビニもファミレスもファーストフードも閉まり路上で座り込むしかありませんでした。

被災者のみなさん、日本中のみなさんが。いつものように笑える日が来るよう。
いまは一つ一つ、日常を生きる事。日常のありがたさを噛み締めて生きること。

そんな事が大事なんだと思っています。
駄文にて失礼。



iPhoneからの投稿
週末に古いゲームを整理してたら、初代プレステの「R4」が出てきた。

そういえば、奴が死んでもう10年近くなるだろうか・・・

小学校の頃から近所に住んでた同級生の友達がガンで亡くなった。
奴が死ぬちょっと前に遊んでた好きなゲームだった。

久々にプレイしてみる。あの時はスゲー!と思ったグラフィックもいま見るとガタガタ。
でも、いまにしてもゲーム全体のデザインはセンスがいいと思う。名作だ。

初代プレステの全盛期で、こういう余裕のあるタイトルが出せたんだよなぁ。

最終決勝が1999年12月31日の大晦日。年またぎのナイトレース。超高速のコース。
ゴール後に選択したシナリオに応じて色んなドラマが。

ふと思った。死んじゃったあいつは、まだゲームの中にいて、いつ終わるともしれないレースを延々とやっているような。懐かしいゲームを遊んで、当時の事とか思い出しながら。そんな考えが頭をよぎった。

思えば、奴は死ぬ前、VBかなにかを勉強してたな。調理師だったんだけど、コンピュータの事がちょっと興味が出てきたんだって。口では、病気で働かなくて毎日楽しいぜ!と言っていたが。もし病気が治ったらコンピュータ関係の仕事してみたいって言ってたな。センスの悪いソフトを作っては、送ってきていたっけ。

不器用で、友達が少ないやつだったな。非番の時に車でよく大学まで迎えにきてくれたっけ。
決まって自分の働いてる店でステーキをオゴってくれたっけ。

たまに、もう仕事するのやめちゃって、家でゴロゴロしてたいとか思うけど。
結局、人間は社会と関係性をもってないと生きて行けないんだろうね。

そんな事を思い出す週末だった。