最近都内の道路の至る所で工事が行われている。道路工事というよりも新築の住宅やマンションの工事に伴うでんきやガスや水道の工事である。まだ1月なので年度の予算消化のための工事や納期を前にした道路自体の工事の時期ではないが、やたらと交通整理のために旗を振っている人が眼に入る。ひどいのは角地にあるマンションの工事で曲がり角を挟んでの2辺で道路片側通行。歩行者も自転車も自動車ものろのろ運転、夕刻迫る午後4時過ぎは混雑が一層激しくなる。交通整理をしている人も工事の人も働いているのだから、自分の仕事をまっとうしているだけで、まったく悪くはないのに頭を下げている。この手の工事は大手が主幹会社になっていることが看板からわかるが、主幹会社や総監督の、現実的な想像力の欠如した結果の混乱であると思う。

 昨夜、7時過ぎだったと思う。いつも通る道路の両側に立派な車が100メートル以上にわたって並んで駐車していた。それなのにとおりには人影が見えない。動きがないだけにむしろ静かでさえある。何だろうとおもいながらはっと気づいた。黒塗りの車が止まっているタイヤ屋さんの奥に田子の浦部屋がある。横綱稀勢の里3連敗。報道では8連敗を強調して、負け続けながらも横綱の仕事を全うしようとする稀勢の里の「引退」を期待しているかのごとくである。稀勢の里連敗、引退はニュースとしての価値があるだろうからこのような報道になるのはやむを得まい。案の定部屋の前のせまいとおりは「騒然」としたらしいが、地元の人はその「騒然」の輪には加わっていない。報道陣でごった返しているだけだったらしい。今朝も部屋前では報道陣が壁越しになかをのぞき込んでいる。

 昨年11月に事実上の引退勧告を受けた稀勢の里にとって、土俵に臨む稀勢の里の心中は計り知れないものだろう。期待されながらもなかなか横綱になれなかった稀勢の里が横綱になり、日本人横綱としての責任と矜持、それだからこそ感じる周囲の期待のプレッシャー。それは稀勢の里1人に負わされた過酷で計り知れぬ重圧であるだろう。多くを語らず黙々と土俵に向かう稀勢の里は立派である。土俵に上がり続けてもよし、引退してもよし。いまは、静かに稀勢の里の決断を待てばよい。どのような決断であっても、それが稀勢の里自身のものであるなら、周囲の評価など気にしなくていいではないか。

商店街を歩いていて、美容室から出てくる着物姿の女性を見た。ああ、今日は成人の日、成人式かと思い近くのドンキに入ったらここにも数組の成人(と思しき)男女。そういえばさっきの美容室から出てきた女性の脇にもスーツを着た青年がいたな、と思いだした。同時に、そうか、平成最後の成人式か、ともおもってしまった。公職選挙法が改正され、民法も改正に方向で議論が進んでいるらしいが、成人式は20歳でいいように思う。もともと敗戦直後の11月22日に今の蕨市で青年たちを励ますために行われたものが起源としては定説らしいが、70年以上経った今はイニシエーションとしての意味もなければ、これによって励まされる人も少ないだろう。それよりも高校卒業2年後の合同同窓会のような趣で「地元」との繋がりを感じることができればいいんじゃないかと思う。