海外移住したけれど、居場所がなかなかみつからない。。。やっと周りの人と分かり合えたのは | Olive Twigs

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日本にいても、世界のどこにいても、自分を生きる

 

今日は前回の、海外に出て日本の感覚が全然通じない、全然わかってもらえない、周りとどうつながっていけるのかわからない、自分の価値がわからなくなってしまった、自分の居場所が見つからない、、、という結構気持ち的に動揺が続いた時期のその後を書きたいと思います。

 


考えてみれば、自分の安心や安定を感じられる居場所を見つけたいと願うのは、万国共通のことなのだと思います。

歴史的に見ても、世界中でいろいろな民族の移動があちこちで繰り返されてきましたが、どれも主にその現地の状況に安心や安定の保障や希望を見出せなくなったり、もっと条件のいい安心や安定を保障してくれる環境を求めてのことでした。

カナダに移民してくる人の中には、実際に母国で日常生活レベルでの安全や安定が極めて危うい状況にいた人が少なくありません。

そういう意味では、まさにカナダは、社会的なシステム、サポート体制、インフラストラクチャー、医療システムなどにしても、それなりにきちんと整っている国ではありますし、身の安全も、個人の様々な権利もしっかり確保されることが保証されて、別世界、まるで天国かのように思う人もたくさんいます。

私の他の友達で、南アフリカからきている人は、南アフリカにいる頃は、道を歩いていて向こう側から自分の方に向かって大きい男性が歩いてくると、つい自分の身に着けている指輪やアクセサリーを隠したりする癖が付いていて、カナダに来てからもついそうしてしまう自分がいたと。でももうそういうことをしなくていいのが、なんか信じられない、と言っていました。

それだけでなくても、子供がいつ誘拐されるか、女の子などがいれば、いつその子が性的な被害にあってしまうか、家を留守にしている間にいつ泥棒が入られるか、などをいつもいつも恐れていなければいけないストレスは本当に大きかったとも。

また別の南アフリカからきた友達は、人の命の価値が本当に小さい国だったとも言っていました。。。

南アフリカだけではなく、それこそ本当に命からがら祖国を後にしてきた人も少なくありません。

私たちがカナダに引越しをしたのは、単に物理的な安全や安心といった意味で日本より良い環境を求めてのことではなく、主人の家族のことや、あとはやはり前に何度も書いたように、自分たちが日本の社会の中で、何か息の詰まるような思いを日頃から感じていたことも大きかったです。

 

そういう人たちからすれば、私たちがカナダに引越しをした理由というのは、家族のニーズと求めがあった分を大目に見ても、それでもまだ贅沢極まりないかのようなものだったと思います。

でも私たち本人からすると、ある意味物理的、物質的な目に見える形の安定や安心というものを求める分がほとんどなかったせいか、カナダに引越して即見えてきたもの、感じたものは、もっと目に見えない形の、精神的な安心や安定への乾きでした。

食べ物や飲み物、着るもの、住むところ、安全に衛生的に健康に生活できる環境は、みなさんもおわかりの通り、母国日本でももちろんありました。でも、日本にいた頃のような基準では人と知り合ったりつながったりしていくことができなかったのです。

それで気づいたのは、日本にいる頃に自分が居場所だと感じていた繋がりの背景に、自分が一緒にいて気楽に思えていた人たちとは、それまでの経験や通ってきた道、ライフスタイルの在り方への価値観が似ている、というのがあったということでした。

でもカナダでは、日本のようにある意味似たような社会の枠の中で生きて、同じような毎日の生活の空気を経験したり、見たり触れたりした人が周りには全然いないわけです。

じゃあどういうところで繋がれるのか。その人の持っているもの、表面的に目に見えるものを見ても、それは繋がるには全然あてにならないとわかりました。私のこともその人はわからないし、私もそもそもその人の持っているものをきちんと理解したり、価値を認めるということができきれませんでした。

それでわかってきたことの最初のものは、住み慣れた祖国を離れてカナダへ移民してくるということのチャレンジをシェアできるかどうか、という点でした。

そこには単純に「人間」としての様々な感情が渦巻いていて、色々な種類の摩擦を感じる中での苦労があって、それにはどこの国から来ているかとか、どんなバックグラウンドがあるのか、ライフスタイルや持っている文化や習慣の違いみたいなものは全然関係なく、問題にもならず、説明する必要もありません。すぐに「そうそう!わかる!」とお互いに言えてしまうのです。

その発見は、私の中ではものすごく意味の深いものとなりました。というのも、そのように見ていくと、近しく感じられる人の種類には限りがないとわかったからです。一気に世界が大きく開けた感がありました。

それぞれ細かいところでの違いは多少あっても、それでも似たような種類のチャレンジングな状況を前にして、みんなほぼ感じることって似ている、共感できてしまう、という事実は、一気に人種だとか言葉だとか文化や習慣だとかそれまでの経験だとか、簡単には越えられないと思われた垣根をを一気に超えさせてくれるとわかったのです。

その時に、カナダに引越してきてからずっと渇望していたかのような、分かり合える、つながれる感覚で、長い事寒い雪の中を歩き続けて、やっと暖かいシェルターに入れたかのような、ホッとした感がありました。

心で正直に話せるような、ホッとできる友達ができてきたのは、それからでした。

面白いなと思いますが、、、そのホッとした繋がりは、もう色々な年齢、人種、経験、、、日本にいた頃のそれとは似ても似つかない雰囲気の繋がりになりましたね。(笑)