海外生活 全然バックグラウンドが違う人ばかりの中で、どうやったらコネクトできる人を見つけられる? | Olive Twigs

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日本にいても、世界のどこにいても、自分を生きる

 

自分の居場所を見つけたいという願望は、きっとどの人でも持っているものだと思います。

これは思い返せば、日本にいる頃もだんだんと気づいていたことでした。

色々説明をしなくても相手が何を言いたいか、何を欲しているのか、そういうものを自然に察することができるような、一緒にいてほっとするような、気のおけない関係というのは、ある程度それまで通ってきた道、生きてきた環境が似ているから、ということが多かったのは確かです。

同じ学校に通っていたとか、会社の業界が同じだとか、いつも使う最寄りの駅が同じだとか、長いこと住んでいる地域が同じとか、昔やっていた習い事が同じとか、学生時代の部活動が同じ種類だっとか、田舎が近いとか、体育会系か文科系か、文系か理系か、また親の職業や家庭環境などが似ているとか、、、いろいろ書き出せます。

ただその中でもさらに特別に思える関係というのは、そういった外から明らかにわかりやすい、外面的、表面的なものばかりではなかったと思います。すぐに見えることではないので、わかるまで時間が少しかかることもあったり、場合によっては完全に見逃してしまうこともあると思われますが、同じ物事や状況をどう見たり感じ取ったりするか、それらの受け止め方、判断の仕方、反応の仕方、そういうものにおいて、どうして自分がそういう反応をするのか説明しなくてもわかってもらえていることが大きいとわかってきました。

わかってもらえている、というのは、最初から批判されるとか、意見を言われるとかいうことがとりあえず無く、まるごと受け止められているという感覚、自分が大事だと思うもの、集中するポイントなどをそのまま受け止めて、尊重していてくれるという感覚でもありました。

そういう意味においては、これまでの歩みが全然ちがっていても、その部分がお互い共感できると、一気に近くなれるということも増えてきました。

日本を出てから、電車で隣に座った人は一体この世界のどこから来たのかわからない、どんな経験をしてきているのかまるで想像もつかないということばかりでした。隣に住んでいる人でも、全然想像できないということも当たり前のことです。

でもそういう中で気のおけない親しい関係、心からホッとできる関係を作っていけたのは、何かの折に話していて「え!?こんな人とこんな風に通じ合えたの!?」と思えて、心が踊るように嬉しくなってしまうのは、同じ事柄に対して、同じような視点や見え方、感じ方をしているのがわかった時ですね。

昔見た、C. S. Lewisの言葉に、

Friendship is born at that moment when one person says to another:
“What! You too? I thought that no one but myself.”

というものがありました。

友情は、一人の人がもう一人に向かって、
「え!あなたもそうだったの?私だけかと思っていた!」
と言う瞬間に生まれるのです。

そんな感じの意味ですが、そういう自分が気持ちを緩められる、ほっとできる間柄、関係、自分がここでは受け入れらてもらえる、正直になれる、と思える居場所というのは、こんなふうに少し踏み込んだ、いつもよりちょっと深い話をできたときに見つかるのかなと思います。