主の平和をお祈りいたします。日本オリベットアッセンブリーです。🕊️
 

前回の第①編では、デジタル機器やSNSへの過度な依存が、現代の子どもたちに及ぼす精神健康(メンタルヘルス)の危機や、隔離生活(パンデミック)がもたらした不健全な依存の背景について見つめ直しました。
 

※まだ第①編をお読みでない方は、ぜひこちらからご覧ください。
👉 【第①編】はこちら: https://ameblo.jp/olivetassembly/entry-12972245461.html


続く今回の第②編(完結編)では、学校や家庭といった日常生活の現場で起きている、より具体的かつ深刻な依存の実態に迫ります。

 

サイバーいじめ、ゲームやオンラインギャンブルの依存、そして巧妙化するネット上の危険から子どもたちをいかに守るべきか。心理学や教育学の限界を超えて、なぜ私たちに「福音の力」「キリストの愛」「神の知恵」が必要なのか、その本質的な答えを共に探求してまいりましょう。

 

すべてのご家庭に、次世代を光へと導く主の確かな知恵と守りがありますように。

 

 

【翻訳記事】デジタル機器の過度な使用が未成年者の健康を損なう――「私たちにはキリストの愛と神の知恵が必要だ」第②編

(前回の続き)

心理教育学を専攻したラウラ・スティリアーニ氏は、『ディアリオ・クリスティアノ』の取材に対し、次のように語りました。

「本来であれば非常に有益なものとなるはずでしたが、結果として、非常に有害なものになってしまいました。」

 

サラサール・ヒニ氏は、次のように指摘します。

 

「パンデミック後の学生たちを前にして、教育者は、失われた学習を取り戻すだけでなく、それを以前よりもはるかに複雑な状況の中で実現しなければなりません。教育者としてのあらゆる力が試されています。」

 

さらに、ACSIの同ディレクターは次のように続けます。

 

「この現象が教育現場にもたらした影響によって、学校教育はさらに困難なものとなりました。

パンデミックによって、私たちは深刻な学習の遅れを抱えることになりました。そこに、精神的健康の悪化に伴うさまざまな問題、不安定な自己評価――私たちは絶えず他者からの承認を求めるようになっているからです――、そして絶え間なく娯楽を消費し続ける習慣が加わり、教師たちの働きを一層複雑にしています。

集中力の欠如は、もはやADHD(注意欠如・多動症)と診断された人だけに見られる特徴ではありません。」

 

スティリアーニ氏は、青少年の間でしばしば激しい争いへと発展する現状について、次のように語りました。

 

「彼らは互いに傷つけ合っています。Instagramで行われているいじめは信じ難いほど深刻です。TikTokでも同じことが起きています。」

 

スティリアーニ氏は、こうした状況を、青少年が自力では抜け出すことのできない依存状態だと考えています。その背景には、カルボ博士が先に指摘したように、デジタル世界と現実世界との境界を区別できなくなっているという問題があるのかもしれません。

 

「依存性の非常に高いオンラインゲームのために、多くの青少年はゲームをやめることができません。

例えば、教室にいてもゲームを続けています。ゲーム内の時間制限や進行に縛られているため、途中でやめることができないのです。

休み時間に始めたゲームを、そのまま授業中まで続けてしまうこともあります。途中でやめると負けてしまうからです。そして負けると争いが起こり、互いに侮辱し合い、暴力性が高まり、先ほど述べたようないじめへと発展していきます。」

 

カルボ博士もスティリアーニ氏の見解に同意し、青少年は「ソーシャルメディア上でどのような反応を受けるかによって、感情的に大きな影響を受ける」と述べました。

 

「その結果、投稿が一気に拡散されることで、サイバーいじめをはじめとする問題が大幅に増えています。

こうした理由から、デジタル世界を離れることのできない青少年は、精神的にも大きな影響を受けています。今では、ソーシャルメディアの外にいる青少年や子どもは、社会とのつながりを持っていないも同然だと感じられてしまうのです。」

 

アンケートには、カルボ氏の指摘を裏づけるような証言も寄せられました。

 

ある回答者は、次のように語っています。

 

「私の子どもたちは、自分専用のソーシャルメディアのアカウントを持っていません。しかし、それは他の人の携帯電話を使ってログインしたり、さまざまな目的でYouTubeを見たりしていないという意味ではありません。YouTubeもまた、ソーシャルメディアの一つです。

子どもたちは機会があれば私のInstagramアカウントを開き、リールやストーリーズを長時間見続けています。

夫は子どもたちのためにYouTubeチャンネルを開設しました。子どもたちがモバイル端末でコンテンツを制作し、夫が内容を確認したうえで投稿しています。

しかし、その結果、子どもたちはフォロワーの数や、一つ一つの『いいね』、そして寄せられるコメントのすべてを気にするようになり、明らかに執着するようになりました。」

 

スティリアーニ氏は、教育現場で働く中で、オンラインゲームなどへの依存に深く陥っている生徒たちにも数多く接してきました。

 

カルボ氏も、この問題は「ソーシャルメディアだけではなく、ゲームやPlayStation、特定のオンラインゲームにも存在する」と述べています。

 

「例えば、グルーミングを行う者たち、すなわち子どもを懐柔し、性的搾取などへと誘い込もうとする者たちは、ソーシャルメディア以上にオンラインゲームの中へ深く入り込んでいます。」

 

これは、それぞれの問題が互いに影響し合いながら、ますます深刻化している現象の一部です。ソーシャルメディアもオンラインゲームも、常に接続された状態にあることが、この問題の中心にあります。

 

スティリアーニ氏は、携帯電話の使用によって生じるさまざまな問題に、教育現場で日々直面していると語ります。

 

「小学3年生や4年生で、オンライン・ギャンブルをしている子どもたちがいます。

こうしたオンライン・カジノは合法ではありません。それにもかかわらず、実際に利用しているのが未成年なのか成人なのかを確認する仕組みが整っていないのです。」

 

またカルボ氏は、社会全体として、未成年者に何歳から携帯電話を持たせるべきかという問題にも真剣に向き合う必要があると考えています。

 

「本来であれば、12歳未満の子どもには自分専用の携帯電話を持たせないことが望ましいでしょう。

しかし現実には、子どもたちはますます幼い頃から携帯電話を持つようになっています。そのため、9歳や10歳の子どもに携帯電話を持たせないことが、結果として社会的な交流から孤立させてしまう場合も少なくありません。」

 

子どもや青少年にどのように寄り添い、導いていくべきかと尋ねられたカルボ博士は、次のように答えました。

 

「大人は、何が良く、何が適切なのかを、子どもと一緒に学び、考えていく姿勢で関わる必要があります。

それは、できるだけ早い段階から始めることが大切です。

子どもが14歳や15歳になってから、InstagramやTikTokで誰とつながっているのかを管理しようとしても、すでに難しいでしょう。その段階では遅すぎます。

だからこそ、子どもが初めて携帯電話を持つ時から、何が適切なのかを教えながら、一緒に歩み始める必要があります。

例えば、実際に知っている人だけを友達として承認することや、どのようなやり取りをしているのかに注意を払うことなどです。」

 

実践的な取り組みとして、スティリアーニ氏は、教師と保護者が協力し、教室での携帯電話の使用を認めないことで合意している学校もあると紹介しました。

 

そのような学校では、生徒は教室にいる間、携帯電話を箱やロッカーに預けることがルールになっています。

 

「もちろん、このような取り組みに子どもたちは不満を抱きます。子どもたちだけでなく、多くの大人にとっても、あらゆる出来事は記録され、誰かに見せなければならないものになっているからです。まるで、ソーシャルメディアに投稿しなければ、その出来事自体が存在しなかったかのようです。実際、多くの人がそのような感覚で生きています。」

 

しかし同氏は、次のような興味深い変化も語りました。

 

「子どもたちは課題をすべて終えた後、報酬として携帯電話を返してもらうと、とても喜ぶのです。」

 

親の立場からは、携帯電話やゲーム機、タブレットなどのデジタル機器を利用する時間を制限することの重要性も、アンケートで多く挙げられました。

 

ある親は、問題の本質を次のように表現しています。

 

「“電子のおしゃぶり”を取り上げ、外へ出て友達とボールを蹴り、縄跳びをし、自転車に乗れるよう助けてあげることです。」

 

別の回答者は、次のように述べました。

 

「子どもたちとたくさん対話しなければなりません。そして、大人自身が模範を示し、時には接続を切り、デジタル・デトックスをすることも必要だと教えるべきです。

端末を片づけたからといって、現実の生活が失われるわけではないことを、自らの姿を通して示すのです。」

 

エストゥアルド・サラサール・ヒニ氏は、最後に次のように語りました。

 

「21世紀を生きる子どもたちや若者たちが抱えている感情的、精神的な課題に対して、私たちはまだ十分に備えられていません。

心理学や社会学、人類学だけでは、この現象に十分対応することはできません。

この世代を救い出すために、私たちには福音の力、キリストの愛、そして神の知恵が必要なのです。」

 

※本記事は、信仰と家庭財団(Faith & Family Foundation)および Christian Daily International に掲載された報道記事を、当宣教本部にて翻訳・紹介するものです。
 

🔗 英語原文はこちら: https://faithnfamily.org/overuse-of-digital-devices-harms-underage-kids-health-we-need-love-of-christ-wisdom-of-god/

主の平和をお祈りいたします。日本オリベットアッセンブリーです。🕊️

現代のクリスチャンホームにおいて、子どもたちの「スマートフォンやSNSとの付き合い方」は、多くの親御様にとって共通の、そして切実な祈りの課題ではないでしょうか。

 

今回の「信仰と家庭コラム」では、海外のキリスト教メディア『Christian Daily International』に掲載された、デジタル機器への過度な依存が子どもたちの心の健康(メンタルヘルス)に及ぼす影響について考察した記事を翻訳・編集してお届けします。

 

記事では、専門家による鋭い分析とともに、この問題は教育学や心理学だけでは根本的な解決には至らず、最終的には「福音の力」「キリストの愛」、そして「神の知恵」こそが、この世代を救い出す唯一の鍵であるという、本質的な結論が提示されています。

 

デジタルネイティブの時代を生きる子どもたちが、世の文化の奔流に流されることなく、神様の豊かなご支配の中を歩むことができますように。そして、その歩みを支える霊的な知恵と識別力が、すべてのご家庭に豊かに与えられますよう、心よりお祈りいたします。

 

【翻訳記事】デジタル機器の過度な使用が未成年者の健康を損なう――「私たちにはキリストの愛と神の知恵が必要だ」第①編

ピュー・リサーチ・センター(PRC)によると、米国の子どもと青少年の96%が毎日ソーシャルメディアを利用しており、そのうち半数近くが「ほぼ絶えず利用している」と回答しています。この傾向は、世界の多くの国々にも共通していると考えられます。
 

専門家たちは、ソーシャルメディアの利用と精神的健康の悪化との間に直接的な因果関係があるとは、現時点では断定していません。しかし、不安やうつ、孤独感との関連性を示す研究や証拠は年々増えています。

 

自死や薬物の過剰摂取、あるいはオンライン上の危険なチャレンジ企画への参加によって子どもを失った親の中には、その背景要因としてソーシャルメディアの影響を指摘する人もいます。

 

一部のソーシャル・ネットワーキング・プラットフォームでは、すでにセンシティブなコンテンツを非表示にする設定が導入されています。しかし、米国で審議されている法案が成立すれば、テクノロジー企業は未成年者のアカウントについて、こうした設定を初期状態から有効にすることが義務づけられます。

 

KOSA(Kids Online Safety Act:子どもオンライン安全法)は、米国上院で賛成91票、反対3票で可決されました。同日、上院は、テクノロジー企業による未成年利用者のデータ収集を禁止する「児童・青少年オンライン・プライバシー保護法」も可決しています。

 

KOSAは、オンライン上のいじめ、違法薬物の販売、性的搾取に関連するコンテンツを子どものアカウントから閲覧できないよう、企業に義務づける法律です。また、「依存症のような行動」を促す機能や、利用者を搾取するようなマーケティング手法も禁止の対象としています。

 

『Wired』によると、企業の説明責任を追及する非営利団体「テック・オーバーサイト・プロジェクト」をはじめとする法案支持者たちは、この法案を、テクノロジー企業の製品が子どもたちに及ぼす影響について、企業に責任を負わせるための重要な一歩と評価しています。

 

テック・オーバーサイト・プロジェクトのエグゼクティブ・ディレクターであるサシャ・ハワース氏は、6月の声明で次のように述べました。

 

「ソーシャル・ネットワーキング企業の貪欲さによって、あまりにも多くの若者、親、そして家族が深刻な被害を受けてきました。KOSAによって、こうした家族に対する企業の説明責任が果たされる時は、とっくに来ているのです。」

 

一方、非営利のデジタル権利団体「テクノロジーと民主主義センター」などは、この法律が成立した場合、性的健康やLGBTQI+に関する問題など、若い利用者にとって重要な情報へのアクセスが制限される可能性があると懸念しています。

 

そのため、普段はシリコンバレーのテクノロジー企業に説明責任を求めている一部の団体までもが、この法案の成立を阻止するため、結果としてテクノロジー企業やそのロビイスト側に立つという状況が生まれました。

 

この問題は、親や教師たちの間でも大きな懸念となっています。

 

青少年宣教に長年携わってきた心理学博士であり、教師、講師、作家でもあるフラビオ・カルボ氏は、クリスチャン・デイリー・インターナショナルのスペイン語版『ディアリオ・クリスティアノ』の取材に対し、デジタルネイティブ世代の子どもたちにとっては、ソーシャルメディア上の生活と現実の生活との境界が、もはやほとんど存在しないように見えると語りました。

 

カルボ氏は次のように説明します。

 

「今日の青少年や子どもたちの間では、ソーシャル・ネットワーク、より正確にはソーシャルメディアを通した、新しい形の社会的交流が生まれています。

 

かつて私たちが“通常の生活”――あえて『通常』という言葉を使いますが――の中で行っていたことを、今の子どもたちはオンライン上で行っています。

 

友人関係を築くこと、スポーツについて語り合うこと、オンラインゲームで遊ぶことなど、すべてがそうです。TikTokをはじめとするソーシャルメディアでのフォロワーは、彼らにとって現実の友人と同じくらい重要な存在なのです。

 

私たち大人にとっては、仮想世界と現実世界は別のものです。しかし、青少年や子どもたちにとって、その境界はほとんどありません。彼らにとって、仮想世界もまた現実なのです。」

 

国際クリスチャン・スクール協会(ACSI)のラテンアメリカ地域ディレクターを務める教育者、エストゥアルド・サラサール・ヒニ氏は、『ディアリオ・クリスティアノ』の取材に対し、この問題には、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる長期的な孤立も大きく影響していると語りました。

 

「PRCが示しているような、ソーシャルメディアへの依存と、それが未成年者の心理に及ぼす影響については、パンデミックの経験と切り離して考えることはできません。

 

私が言っているのは、隔離措置が続いた2020年から2021年にかけての長い期間のことです。人々は強制的に孤立し、画面だけが他者とつながるための唯一の手段となりました。

 

それ以前から存在していた不健全な依存は、この期間にさらに深刻化し、あらゆるウイルス以上に広がっていきました。私たちは子どもたちを一つのウイルスから守りました。しかしその一方で、より破壊的で、より致命的な力を持つことが次第に明らかになりつつある別のものを抱えさせてしまったのです。」

 

『ディアリオ・クリスティアノ』は、親と教師を対象に、三つの質問からなる簡単なアンケート調査を実施しました。

 

その結果、11.1%は、ソーシャルメディアと青少年の認知発達との間に問題はないと回答しました。一方、88.9%は、子どもたちがソーシャルメディア上で交流することには何らかの問題があると考えていることが分かりました。

 

家庭での経験として寄せられた証言には、共通した傾向が見られました。それを一言で表すなら、「注意力の散漫」と「対面での人間関係の希薄化」です。

 

回答者の中には、ソーシャルメディアの利用に一定の制限を設けること、とりわけ子どもが十分な年齢に達するまでは、自分専用のアカウントを持たせたり、保護者の監督なしで利用させたりしないことの重要性を挙げる人もいました。

 

心理教育学を専攻したラウラ・スティリアーニ氏は、『ディアリオ・クリスティアノ』の取材に対し、次のように語りました。

 

(第②編へ続く)

 

※本記事は、信仰と家庭財団(Faith & Family Foundation)および Christian Daily International に掲載された報道記事を、当宣教本部にて翻訳・紹介するものです。

 

🔗 英語原文はこちら: https://faithnfamily.org/overuse-of-digital-devices-harms-underage-kids-health-we-need-love-of-christ-wisdom-of-god/

 

 

主の平和をお祈りいたします。日本オリベットアッセンブリーです。🕊️

現代の子どもたちは、スマートフォンの画面の向こうに広がる、人工知能(AI)やデジタルテクノロジーが形づくる「もう一つの世界」の中に生きています。親が隣の部屋にいる間にも、AIは文句も言わず、子どもたちの問いに答え、彼らの内面を静かに、しかし深く塗り替えています。

情報やプログラム、教会活動はかつてないほど溢れているのに、なぜ子どもたちの信仰は「言葉(知識)」だけにとどまり、「生き方(本質)」へとつながらないのでしょうか。

今回の「信仰と家庭コラム」では、インド福音同盟(EFI)の総務であるビジャイェシュ・ラル(Rev. Vijayesh Lal)牧師の、現代の教会と家庭の盲点を突くメッセージをお届けします。

AI時代という前例のない挑戦の中で、私たちが世代を超えて「生きたキリストの臨在」をいかに継承していくべきか、確かな指針を提示してくれるコラムです。すべてのクリスチャンのご家庭に、深い霊的な覚醒と知恵が与えられますように。

 

【翻訳記事】AI時代、私たちは子どもの中に真の信仰を育むため、これまで以上に奮闘しなければならない 第②編

 

(前回の続き)

※第①編(前編)をまだお読みでない方は、まずこちらからご覧ください。 
 

👉 【第①編】はこちら:

 

教会は、この点について自らを正直に見つめ直さなければなりません。

ここ数十年、次世代の課題に対する私たちの主な対応は、「活動を増やすこと」でした。誠実な思いと配慮をもって、より多くのプログラムやイベントを企画し、年齢ごとの働きを整えてきました。しかし、その過程で私たちは、弟子訓練(ディサイプルシップ)を、本来の「共同体が生活の中で担う営み」から、「決められた時間に、決められた人が、決められた場所で行うもの」へと、少しずつ移し替えてしまったのです。

 

家庭は、「教会で補われるから大丈夫だろう」と考えました。一方、教会は、「家庭で始まった信仰がそのまま育まれていくだろう」と考えました。その結果、本来、信仰が受け継がれていくはずだった世代を超えた交わりの営みは、次第に細くなってしまいました。

私たちは信仰を「教えて」はきました。しかし、信仰を受け継ぐ「人」を育てることには、必ずしも十分に取り組めていたとは言えませんでした。

 

信仰が繰り返し語られていても、それが日々の生活の中で――家族がお金をどう扱うか、対立や苦難にどう向き合うか、感謝をどのように表すか――という具体的な姿として実践され、子どもたちに見られることがなければ、その信仰は根づきにくくなります。子どもたちは、信仰の重みを知らないまま、その言葉だけを覚えてしまうかもしれません。身近な人の生活の中で目にし、喜びをもって受け継がれない信仰は、やがて自分自身のものとして生き続けることが難しくなるのです。

だからこそ、世代を超えた弟子訓練の回復は、新しいプログラムから始まるのではなく、「回復された生き方」から始まります。

 

家庭は再び、本当の意味で互いが共に生きる場所とならなければなりません。祈りが、子どものために用意された一つの活動ではなく、大人たち自身の生活に根づいた現実であり、その中へ子どもたちが自然に迎え入れられる場所です。また、親同士が互いに赦しを実践し、その姿を通して子どもたちが赦しを学ぶ場所です。そして、神への信頼が、特にその信頼に犠牲が伴うような時期にこそ、目に見える形で表される場所なのです。

 

これと並行して、教会は地域における本来の姿、すなわち年齢別のミニストリーが並ぶ組織ではなく、「一つの家族(神の家族)」でなければなりません。そこは、子どもたちが本当の意味で知られ、年長者が信仰の記憶を受け継ぎ、若い世代が新たな力をもたらし、その双方が互いに必要な存在として尊ばれる場所です。

 

教会は、信仰が講壇から語られるだけの場所ではなく、共に生きる日々の中で目撃される場所でなければなりません。そのような共同体では、どれほど優れたプログラムや綿密な計画でも生み出せないものが、世代を超えて受け継がれていきます。それは、互いのために集い続ける人々の静かな忠実さを通して、日々の何気ない歩みの中で育まれるのです。

 

さらに、もう一つ向き合わなければならない課題があります。それは、おそらく最も困難なものです。

さまざまな声があふれる時代において、弟子訓練のより深い目的は、「識別力(見極める力)」を養うことです。子どもたちは、何が真実かを知るだけでは十分ではありません。信頼できる人との関わりを通して、「誰の声に耳を傾けるべきなのか」、そして「なぜその声を信頼できるのか」を、時間をかけて学ばなければならないのです。

 

問題は、子どもたちが「何を信じるか」だけではありません。もっと根本的なのは、「誰の声に従うことを学んでいるか」ということです。

 

このような識別力は、短期間で身につくものでも、作り出せるものでもありません。注意深い関わりと信頼関係の積み重ね、そして現実の生活の中で確かなものと証明された信仰を通して育まれていきます。

その土台にあるのは、私たちが受け継ごうとしている真理は決して揺らぐものではないという確信です。そして、良い羊飼いであるキリストは今もなお語り続けておられ、その御声は、忍耐をもって耳を傾けることを学んだ人々には、今も聞き分けることができるという確信です。

 

これらすべてにおいて、私たちはパニックになる必要はありません。しかし、自らを正直に見つめ直し、これまで以上に意図的に取り組むことが求められています。

 

かつて信仰を次の世代へ自然に受け渡していた仕組みは、もはや自動的には機能しません。今、信仰という遺産は、世代を超えて共に生き、目に見える形で分かち合われ、キリストに根ざした生活を通して、意図的に受け継がれていかなければならないのです。

 

教会の未来は、より優れたプログラムや、より洗練されたコンテンツによって築かれるのではありません。世代を超えて分かち合われる生活の質によって形づくられるのです。それは、キリストが単に宣べ伝えられるだけでなく「知られ」、単に教えられるだけでなく「信頼される」生活です。

そして、この働きは、どんな組織にも、ミッションステートメントにも、戦略文書にも委ねることはできません。カンファレンスの決議や一時的な施策によって成し遂げられるものでもありません。まして、それを私たちに代わって誰かが担ってくれることもないのです。

 


※本記事は、インド福音同盟(EFI)の総務であり、月刊誌『AIM』の編集長であるビジャイェシュ・ラル(Rev. Vijayesh Lal)牧師による寄稿文(Christian Daily掲載)を翻訳・編集したものです。

🔗 英語原文はこちら:
https://faithnfamily.org/in-the-ai-age-we-must-work-harder-to-form-authentic-faith-in-our-children/

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