主の平安をお祈りいたします。日本オリベットアッセンブリーです。🕊️

 

人生には、受け止めきれないほどの危機や深い傷、思いもよらない試練に直面することがあります。そうした経験によって心に深い傷を負うのは、大人だけではありません。子どもたちもまた、深刻なトラウマ(心の傷)を抱えることがあります。宣教の現場で働く家庭や、先行きの見えない社会の中で傷ついた次世代の子どもたちを、私たちはどのように主の愛によって癒やし、導いていけばよいのでしょうか。

 

今回の「信仰と家庭コラム」では、イタリア・ジェノバの小児専門病院、ガスリーニ研究所(Gaslini Institute)で、子どものトラウマを専門とするカウンセラーとして働く宣教師ミハイ・ルンデル(Mihai Lundell)氏のコラム「子どもたちがトラウマから癒やされるために役立つ5つの実践(Five Practices to Help Children Heal from Trauma)」を、日本オリベットアッセンブリーが翻訳・編集してご紹介します。

 

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる」(聖書 新改訳2017 詩篇34篇18節)。

 

マインドマップ、5つの愛の言語、金継ぎなど実物を用いた学び、映画、そして環境づくり。これら5つの実践を通して、割れた器を金でつなぎ、傷跡さえも美しさへと変えていく日本の伝統技法「金継ぎ」のように、主の御手が子どもたちの心を癒やし、回復へと導いてくださることを思い巡らす、祝福されたひとときとなりますように。

 

https://faithnfamily.org/five-practices-to-help-children-heal-from-trauma/

 

【翻訳記事】子どもたちがトラウマから癒やされるために役立つ5つの実践

 

宣教師に牧会的・心理的ケアを提供する中で、さまざまな程度のトラウマを経験した宣教師家庭や、宣教師が仕えている人々の家庭に出会うことは少なくありません。そして残念ながら、そうしたトラウマに子どもたちが巻き込まれることもあります。

 

トラウマが人によって異なる影響を及ぼすことは、よく知られています。子どもたちも例外ではありません。しかし、世界各地のクリスチャン・ワーカーが、必要なカウンセリングやトラウマ専門の支援機関をすぐに利用できるとは限りません。だからこそ、宣教師ケアに携わる専門家が、傷つきやすい子どもたちがトラウマを受け止め、整理していく過程を支えるための基本的な知識と実践的な方法を身につけておくことが重要です。

 

私は、イタリア・ジェノバにあるジャンニーナ・ガスリーニ研究所(Giannina Gaslini Institute)で、子どものトラウマを専門とする非常勤の専門家として働き、世界各地から来る、さまざまな程度のトラウマを経験した患者たちに関わっています。一つひとつの事例は異なり、回復に必要な時間もそれぞれ違います。ここでは、子どもたちが自分のトラウマについて語り、それを受け止め、整理していくために、私たちの研究所でよく用いている実践的な方法をご紹介します。これらは、子どもたちをケアする責任を担う、さまざまな立場の人々にとっても役立つものです。

 

それでは、具体的な方法を見ていきましょう。

 

A. マインドマッピング

この活動では、紙やフリップチャート、ホワイトボード、黒板など、手元にあるものの中央に一つの言葉を書きます。地方の現場では、棒を使って地面に文字を書いたことさえあります。書く言葉は、たとえば「平安」のような簡単なもので構いません。そして子どもに、その言葉から思い浮かぶ言葉や考え、イメージ、色などを自由に話してもらいます。

 

子どもが一つの言葉を口にするたびに、中央の言葉から線を引き、そこからさらに連想を広げていきます。たとえば、「平安」から「安全」という言葉が出てきたら、両者を線で結び、「あなたにとって、安全とは何ですか」と尋ねます。子どもが「両親」と答えたなら、「平安―安全―両親」とつながっていきます。このように言葉を広げていくと、やがて紙全体がさまざまな言葉で満たされていきます。

 

ここで注目したいのは、「平安」や「安全」といった言葉でさえ、子どもによって意味が大きく異なることです。戦争で荒廃した地域から来た子どもたちの中には、多くの西洋人が「平和な環境」と考えるような場所で暮らした経験が一度もない子もいます。そのため、彼らにとって平安とは、周囲で何が起きているかにかかわらず、愛する人と一緒にいられることを意味していました。

 

実際、そうした子どもたちは、銃撃戦の真っただ中であっても、両親と一緒にいられれば、それを「平安」と感じていたのです。一方、フランスのある子どもは、自分にとって平安とは、口論や意見の対立がないことだと答えました。その子の言葉によれば、平安とは「静けさ、一人でいられること、そして意見が一致していること」でした。

 

年齢が上の10代の子どもとは、さらに霊的な次元にまで話を深めることができました。私が関わったある少年は、平安とはイエスの御前で安らぐことだと語りました。そこで、それがどのようなものなのか、マインドマップにしてみようと提案しました。すると少年は、十字架上で悔い改めた犯罪人の物語(ルカ23章39~41節)を思い浮かべ、こう答えました。「イエスが『今、あなたはわたしとともにパラダイスにいます』と言われること。それが平安という意味なのだと思います」。

 

そこから、次のような話へと発展しました。たとえ周囲が混乱のただ中にあっても、十字架上の犯罪人がそうであったように、イエスの臨在のうちに生きるなら、私たちの魂はなお平安でいることができるのです。実に深い洞察です。

 

マインドマッピングは、一人ひとりの子どもにとって大切な概念が、心の深いところでどのような意味を持っているのかを知るための、とても有益な方法です。

 

B. 5つの愛の言語

ゲーリー・チャップマンの著書『愛を伝える5つの方法(The Five Love Languages)』をご存じの方も多いでしょう。この本で紹介されている考え方は、子どもたちがトラウマからの回復を歩む過程を支えるうえでも、私たちがよく用いている有益な方法です。もちろん、幼い子どもと一緒に本を最初から最後まで読むわけではありません。本の中で紹介されている概念の一部を用い、自分がどのようなときに愛されていると感じるのかを、話したり、書いたり、絵に描いたりしてもらいます。

 

ある子どもにとっては、抱きしめてもらうなど、身体的な愛情表現が大切かもしれません。別の子どもは、肯定や励ましの言葉を必要としているかもしれません。また、自分のために何かをしてもらったときや、大切な人と時間を共にしたときに、愛されていると感じる子どももいます。年齢によっては、人がどのようなときに愛されていると感じるのかを話し合うだけでなく、子ども自身がどのように愛を表現しているのかを考えることも役立ちます。愛されていると感じる方法と、自分が愛を表す方法は、必ずしも同じとは限らないからです。

 

トラウマを経験した子どもにとって、愛がそこにあるか、ないかは、極めて重要な意味を持ちます。私たちの研究所では、トラウマを経験した子どもに、「最後に愛を感じたとき、あるいは愛を目にしたとき」の様子を絵に描いてもらうことがあります。興味深いことに、ある子どもたちは、「お母さんとお父さんが抱きしめてくれて、『きっと大丈夫だよ』と言ってくれたとき」と答えます。

 

ウクライナから来たある子どもは、戦争が始まったとき、ウクライナからルーマニアへ入国する人々に、支援活動をしている人たちが食べ物や衣服を配っている様子を絵に描きました。その子は、こうした奉仕の行いに愛が表れていたのだと話してくれました。

 

子どもたちにとって、大切にされること、愛されることがどのような意味を持つのか。そのことを子どもたちと語り合うのは、とても重要なことです。

 

C. 実物を用いた学び

時には、粘土やレゴ、つまようじなどを使って、子どもに何かを作ってもらうことも役立ちます。たとえば、塔や船を作ってもらい、ケアをする側が小さなトラウマや「ストレス要因」を加えることで、最終的に塔が壊れたり、船が沈んだりするようにします。

 

その後、何が起きたのかを子ども自身の言葉で説明してもらい、最後には壊れたものをもう一度作り直してもらいます。その過程で、「どうすればこの塔をもっと強く、しっかりしたものにできると思いますか」「何を残したいですか」「何を取り替える必要がありますか」と問いかけます。

 

宣教師ケアの専門家たちは、回復する力を象徴するものとして、日本の伝統技法である「金継ぎ」も用います。金継ぎとは、割れた陶器を漆でつなぎ、金や銀、プラチナなどの粉を施して修復する技法です。多くの子どもたちは、こうして修復された器に強い関心を示します。そして金継ぎは、子どもたちが自らのトラウマを受け止め、整理していく過程を支える、有益な教材となることがあります。

 

D. 映画

子どもたちがトラウマと向き合ううえで、映画が役立つことがあります。たとえば、『ライオン・キング』を一緒に見ながら、シンバにとって、なぜプライド・ロックへ戻ることが大切だったのか、また、なぜその旅は困難で、強い感情を伴うものだったのかについて話し合うことができます。

 

映画は、子どもたちがトラウマについて語り始めるきっかけとなります。また、ケアする側が対話を通して、子ども自身の経験を整理する手助けをすることもできます。

 

E. 植物と色

トラウマを経験した子どもたちをケアする際には、空間の美しさや雰囲気にも配慮することが大切です。部屋の色合いに気を配り、枯れかけた花や植物を室内に置かないようにしましょう。可能であれば、生命力にあふれ、成長を続けている植物を置くことが望ましいでしょう。くすんだ色や枯れた植物は、トラウマを経験した子どもたちに、つらい記憶を呼び起こすきっかけとなることがあるからです。

 

もちろん、ここに挙げた方法がすべてではありません。それでも、こうした実践は、トラウマを抱えた子どもたちや、その他の傷つきやすい人々が、自らの経験を整理し、健やかさを取り戻しながら成長していけるよう支えるうえで、大きな助けとなります。

 

この記事は、Global Member Care Networkに最初に掲載されたものです。許可を得て再掲載しています。

 

ミハイ・ルンデル(Mihai Lundell)氏は、One Challengeという団体に所属し、イタリア・ジェノバに暮らしながら、地域の牧師やクリスチャン・リーダーたちを支え、寄り添う働きを行っています。また、宣教師へのケア体制がほとんど、あるいはまったく存在しない国々において、宣教師ケアを促進する責任を担うEuropean(Missionary)Member Care Boardのメンバーでもあります。さらに、Global Member Care Boardではヨーロッパ代表として仕えています。現在は、イタリア・ジェノバのGaslini Instituteと協力して子どものトラウマ・カウンセリングに携わるとともに、戦争によって荒廃した国々では、UNICEFと協力して危機下のカウンセリングにも従事しています。またヨーロッパ各地で、メンバーケアの基礎、異文化コミュニケーション、燃え尽き症候群、子どものトラウマをテーマとした教育・研修を定期的に行っています。

 

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皆さまの上に、主の平和と恵みが豊かにありますように。
日本オリベットアッセンブリー教団です。
新緑の風や季節の移ろいの中に、神様の変わらぬご愛と御手を感じる日々です。
 
今日は、日本オリベットアッセンブリー教団がお届けする、ガラテヤ人への手紙を全12講でじっくりと学ぶ聖書講解・黙想サイト「Sola Fide(ソラ・フィデ)」をご紹介いたします。
 
🌿 Sola Fide(ガラテヤ人への手紙 講解サイト)
https://solafide.jp/
 
「聖書をもっと深く、いのちの御言葉として味わいたい」
「ガラテヤ人への手紙は恵みに満ちているけれど、難しそうで、どこから読めばよいのか分からない」
「『ただ信仰によって義とされる』とは、私の日々の歩みにおいて、どのような意味を持つのだろう」

そのような思いを抱くお一人ひとりが、静かに御言葉と向き合い、一講ずつじっくりと読み進めていただけるよう、心を込めて構成いたしました。
 
✦ 「Sola Fide」――ただ信仰のみ、恵みのみ

「Sola Fide」とは、ラテン語で「信仰のみ」を意味する聖なる言葉です。
宗教改革の時代、暗闇の中で再び鮮やかに輝き始めたこの告白は、人が自らの功績や熱心さ、あるいは道徳的な正しさによって救われるのではなく、ただ神の一方的な恵みにより、イエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰によって義とされるという、福音の真理を表しています。

ガラテヤ人への手紙は、この「ただ恵みによって義とされる」という喜びと、キリストによって与えられた真の自由を、最も情熱的に語りかける恵みの書簡です。

✦ 全12講でたどる ガラテヤ書1章から6章の旅

Sola Fideでは、ガラテヤ人への手紙全6章を全12講に分け、一つひとつ丁寧に紐解いていきます。
信仰による義と、神の無条件の愛
律法の重荷からの解放と、福音の真髄
キリストにある真の自由と、神の子とされる恵み
聖霊の導きの中を歩む、日々の暮らし
肉のわざを離れ、豊かに実を結ぶ御霊の実(愛、喜び、平安…)

一つひとつの御言葉を丁寧にたどりながら、知識として学ぶだけでなく、ガラテヤ人への手紙全体を貫く生きた福音のメッセージを、魂で深く味わっていきます。

✦ こんな方に、そっとおすすめしたいサイトです
 
📖 聖書を一巻ずつ、じっくりと深く学びたい方
📖 ガラテヤ人への手紙を初めて開き、恵みの原点に触れたい方
📖 「信仰のみ」「恵みのみ」というプロテスタント信仰の深みに立ち返りたい方
📖 毎日のディボーションや祈りの時間に、聖書講解を取り入れたい方
📖 キリストにある真の自由、御霊とともに歩む生活について黙想したい方
 
一度にすべてを読み通す必要はありません。
一日に一講ずつ、あるいは一節ずつ、お手元の聖書とともにゆっくりと御言葉を噛みしめていただければ幸いです。
 
✦ 講解を読む前に――聖書本文とのあたたかな対話
 
各講解をお読みになる際は、ぜひ最初に該当する聖書箇所を静かに開いてみてください。
その上で講解を読み、最後にもう一度聖書本文に戻ってみると、最初に読んだときには気づかなかった御言葉の光が、新たに心に留まることがあります。
 
聖書講解そのものが中心なのではありません。
私たちが心から願っているのは、講解を通して一人ひとりが聖書そのもの、そして語りかけてくださる神様の御声へと深く立ち返ることです。
 
✦ 福音をもう一度、心の中心へ
 
忙しい日々や信仰の歩みの中で、私たちは知らず知らずのうちに自分の努力や世の評価、自らの弱さに心が囚われてしまうことがあります。
 
しかしガラテヤ人への手紙は、私たちを優しく抱き寄せ、再びキリストの十字架の全き愛へと導いてくれます。
私たちを救い、支えるのは、自分自身の正しさではありません。
測り知れない神様の恵みです。
静かに佇みながら、その恵みをただ感謝をもって、信仰によって受け取ります。
 
「信仰のみ、恵みのみ」
 
ガラテヤ人への手紙を通して、福音の原点にある豊かな愛を、もう一度ともに見つめてみませんか。
 
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主の平安をお祈りいたします。日本オリベットアッセンブリーです。🕊️

 

前回の第①編に続き、16年間にわたり教育の現場と牧会に携わってきたグレッグ・カイル(Greg Kyle)牧師のコラム「機械の中の蛇に警戒せよ」の第②編(完結編)を、日本オリベットアッセンブリーより翻訳・編集してお届けいたします。

 

【翻訳記事】機械の中の蛇に警戒せよ 第②編

 

(前半の続き)

 

神から与えられた権威から自らを切り離し、自分自身の「真理」を思いのままに作り上げる―そこには、あたかも神のような力を手にしたかのように感じさせる、計り知れない誘惑があります。

 

ほんの数回キーを打っただけで、私は突然、深刻な精神疾患を抱える者として扱われることになりました。しかし、エバもまた、同じような誘惑を感じたのかもしれません。神から与えられた権威を離れ、自分自身の真理を思いのままに形づくることができる。そのような、あたかも神のような力を手にすることには、大きな誘惑があるのです。

 

特に思春期の若者にとっては、なおさらです。何が正しく、何が間違っているのかを自ら決め、自分自身が未来を告げる者となり、真理を定める者となっていくのです。

 

人は、人工的に作られたものを渇望するようになります

 

しかし、このような診断や断定が下されるとき、二つのことが起こります。一つは、人を通して与えられる、神のみこころにかなった権威が退けられること。もう一つは、その代わりに、人工的に作られたものを渇望するようになることです。

 

本来、思いやりを持つことのできない存在を、あたかも意識や心を持っているかのように信頼し、頼るようになるのです。それはおそらく、アダムとエバが抱いたのと同じ思いでしょう。つまり、蛇は本当に自分たちのことを思ってくれているのだ、という思いです。

 

このような世界では、10代の若者たちを定義し、その人格を形づくるのは、もはや神ではありません。彼らは、罪と勝利という枠組みの中で神の子どもとして成長するのではなく、悪意ある機械に翻弄され続ける、まるで永遠の被害者のような存在になってしまうのです。

 

そこには自由もなく、希望もありません

 

AIを絶えず使い続けることで、若者たちは、心の病そのものではなく、周囲の世界や人々こそが問題であり、変わるべきなのはそちらなのだと教え込まれていきます。しかし、そこには真の自由がありません。また、真理を明らかにするだけでなく、その真理によって人の心そのものを変えることのできる、神から来る希望もないのです。

 

同じように深く憂慮すべきなのは、若者たちが聖霊の導きの御声ではなく、いつでも自分を肯定してくれるAIという羅針盤に導かれて成長してしまう可能性です。自分の問いに素早く答え、自分の状態について別の可能性を示して問い直すことも、その現実を慎重に見極めることもない存在に、いつでも簡単にアクセスできるとしたら、なぜ神の臨在を求めようとするのでしょうか。

 

自由と平安を装った、偽りの約束

 

このようにして、真理の鐘は、もはや若者たちを神の臨在へと呼び招かなくなります。神の臨在とは、神への畏れや人間の尊厳といった、超越的な真理が息づく場所です。その鐘は、一つ、また一つと取り外されていきます。「自由」と「平安」という偽りの約束のもとに。

 

私たちは、子どもたちを誰かに委ねきってはなりません

 

「子が親のために蓄える必要はなく、親が子のために蓄えるべきです。」(聖書 新改訳2017 コリント人への手紙 第二 12章14節)

この御言葉には、金銭的な文脈を超えた、さらに深い霊的真理があります。その一つは、子どもたちを育て、共に歩む中で、私たちには常に目を覚ましていることが求められている、ということです。それが自分の子どもであっても、地域社会の中にいる子どもたちであっても、変わりはありません。

 

私たちには、子どもたちと共に選択していく責任があります。しかし同時に、彼らに代わって選択しなければならない場面もあります。何が健全で、何が害をもたらし得るのかを、私たちは見極める責任があるからです。AIもまた、子どもたちが適切に向き合えるよう、私たち大人が導いていかなければならない道具の一つなのです。

 

あなたが家庭で最も望んでいるものは何ですか?

 

そして、これは思春期の子どもたち自身が抱いている願いでもあります。

「両親と一緒に座って夕食を食べたい。」
「家族ともっと一緒に過ごしたい。」
「『今日はどうだった?』と聞くだけではなく、家族ともっと深く話がしたい!」

 

これらは、私があるクラスでその場で投げかけた「あなたが家庭で最も望んでいるものは何ですか?」という問いに対して、子どもたちが答えた言葉でした。

 

私たちの青少年は、人と人との真実なつながりを渇望しています。彼ら自身、いつもその願いを自覚しているとは限りません。しかし、問いかけてみると、その心は突然、率直に語り始めるのです。そして、彼らの霊の内にもまた、深い渇きがあります。その心にも、その霊にも、本来住まわれるべきなのは神であって、AIが教えるものではありません。

 

イエスは、誤り得る賢者ではありません

 

確かなことがあります。神に似たものを真に映し出すことができるのは、人間です。何よりも、人間は神のかたちに造られており、救われた者は御子イエス・キリストにあって神の義とされるからです。

 

AIとは異なり、イエスは、誤り得る賢者ではありません。私たちの子どもたちを自由にするために、ご自身の命をささげてくださった救い主です。子どもたちが何かに属するのであれば、何よりもまず、この御方に属する者であってほしいのです。

 

トントン……そこにいるのは誰?(気をつけて)

 

よく知られた短編小説『猿の手(The Monkey’s Paw)』は、不気味な「トントン」という扉を叩く音で終わります。扉の向こうにいるのは、息子を生き返らせたいと願った両親のもとへ戻ってきた、無残な姿に変わり果てた息子でした。両親は、自分たちのもとに戻ってくるものが、もはや人間とは呼べない姿になっているとは知らなかったのです。

 

私たちもまた、何を内側に迎え入れるのか、慎重に見極めなければなりません。

 

今日、私たちもこれによく似た状況に立たされています。さまざまな革新が絶えず扉を叩く時代にあって、何を内側に迎え入れるのか、そして何を根拠にそれを受け入れるのか、慎重に判断する必要があります。AIを「利用する」ことと、AIを全面的に「受け入れる」こととは、別の問題です。後者については、まだ時期尚早であり、危険を伴います。

 

扉の外には、私たちが期待しているものとはまったく異なる何かが潜んでいるかもしれません。偽りの真理、偽りの診断、偽りの治療。そして、魂を持っているかのように装う、人工的な「人間性」さえも。


 

グレッグ・カイル(Greg Kyle)氏は、16年間にわたり高校教育に献身してきた教育者であり、現在は高校で生徒指導部門の責任者を務め、歴史と英語を専門としています。また、南アフリカの教会で牧師としても仕えています。子どもと青少年、そして成人の健やかな成長に深い関心を持ち、人々が個人的、また霊的に直面するさまざまな課題に長年向き合ってきました。その働きは執筆にも及び、教育者および牧師として、これまでニュースレターやエッセイなどにも寄稿しています。
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