先日、近所にできた

薬のクリエイトに行く途中

樹木園のようなところを

通りかかった際に

見たことのない(と思われる)

雑草に目がとまりまして。

 

小錦草(全体)

(2025年9月14日撮影)

 

スマートフォンの写真検索では

トウダイグサ属と出たので

それで改めて調べてみたところ

錦草[にしきそう]の仲間だと

見当がついたんですけど

「錦草」という名のつく個体が

複数あって、迷うことに。

 

小錦草(ややアップ)

 

葉っぱの形と

葉っぱの中央の斑[ふ]から

錦草か小錦草だろう

というところまで

絞り込みましたが

そこから先は

撮ってきた写真を見ても

分かりかねたため

昨日、出かけた際に

もう一度、撮ってきました。

 

小錦草(斑あり)

(2025年9月19日撮影)

 

錦草(在来種)と

小錦草(外来種)の

区別のポイントは

葉の斑が目立つかどうか

蒴果[さくか]に

毛があるかどうかだそうですが

斑は目立つものがある一方

そうでないものもあります。

 

小錦草(斑なし)

 

蒴果というのは

朝顔の種をイメージすると

分かりやすいと思いますけど

熟すと裂けるので

裂開果[れっかいか]ともいい

そういうタイプの果実

あるいは種の外側の果皮のことです。

 

それに毛がないのが

在来種の錦草で

毛のあるのが小錦草。

 

2度目に撮った写真を

拡大させて見ると

オオイヌノフグリあるいは

フラサバ草の蒴果を思わせる

丸く膨らんで毛が生えたものが

なんとか確認できる感じです。

 

小錦草(斑なしアップ)

 

というわけで

斑のない葉を持つ個体も

あるようでしたが

とりあえず

小錦草[こにしきそう]と

同定することにしました。

 

 

錦草という和名は

茎の赤さと葉の緑との

コントラストから

名付けられたそうで

「二色草」という

別名もあります。

 

小錦草というのは

それよりも小ぶりだから

だそうですけど

アメリカ原産なのに

本邦のものより小ぶり

というのは珍しいかも。

 

毛を密生させているあたりは

いかにも外来種

という感じがしますけど。( ̄▽ ̄)

 

 

英名は

AIによる概要によれば

 Milk purslane

 Prostrate spurge

 Spotted spurge

などがあるそうです。

 

milk は茎を切ると出る

白い液体からの連想で

purslane は

やはり地面を這う性質を持つ

スベリヒユ科の植物を指します。

 

spurge はトウダイグサ科の総称で

prostrate は

「地面を這う、水平に広がる」

という意味だそうです。

 

spotted は

葉っぱに斑があることを

意味しています。

 

 

学名は

Wikipedia によれば

Euphorbia maculata (L.) Small で

季節の花300」だと

Euphorbia supina になってますが

これはシノニムだそうです。

 

「季節の花300」によれば

属名の Euphorbia は

ローマ時代のマウレタニア

(モーリタニア)の王の侍医

Euphorbus(エウポルボス

英語読みはユーフォルビア)に

由来するのだとか。

 

種小名の maculate は

斑紋ないし斑点がある

という意味。

 

シノニムの supina は

ラテン語で「広がった、寝た」

という意味だそうで

地を這うように広がることを

示しているそうです。

 

L. は命名者を意味し

カール・フォン・リンネのこと。

 

Small は

つけない場合もあるようですけど

全体が小さいという意味なのか

蒴果が小さい球形だからなのかは

ちょっと分かりません。

 

 

小錦草というくらいですから

花の部分も蒴果の部分も小さすぎて

専門家のカメラででもなければ

クリアに撮りにくい。

 

それに花の部分とはいっても

松江の花図鑑」によれば

雄花、雌花ともに退化して

附属体といわれているそうで

撮ったものをさらに拡大しないと

ほとんど確認できません。

 

小錦草(斑ありアップ)

 

上掲(と、もうひとつ上)の写真は

昨日、拡大で撮ったものを

さらに拡大して

切り取ったもので

附属体や蒴果が

比較的、確認しやすいかと。

 

肉眼ないし裸眼で確認するのは

老眼や近眼だと

ほぼほぼ無理です。(^^;ゞ

 

クリアな写真を見たい方は

上掲「松江の花図鑑」や

その他のサイトで

確認いただければと思います。

 

 

その「松江の花図鑑」には

「各地の道ばたや畑に

 ふつうに見られ」

と書いてありますが

自分の場合

身の周りの植物を

観察するようになってから

今回、初めて気付きました。

 

通りすがりに

附属体が目に止まったのかどうか

花が咲いている

と思ったからですが

老眼や近眼でも

それくらいは分かるのだとしたら

人間の目ってすごい

とか思ったり。

 

なんとなく意識せずに

通りかかったから

視界の隅で捉えたのかも。

 

視界の隅なら

老眼も近眼も関係ない

ということですかしらん。( ̄▽ ̄)