自分がCDを買うとき
指針とすることが多い
皆川達夫『ルネサンス・バロック
名曲名盤100』(1992)に
ヘンリー・パーセルの項目は
ふたつ立てられています。
ひとつは
以前、当ブログでもご案内の
もうひとつが
今回ご案内の
パーセル唯一のオペラ
ともいわれる歌劇
《ディドーとエネアス》で
こちらの皆川の推薦盤も
トレヴァー・ピノック指揮のものです。
(ユニバーサル クラシックス&ジャズ
UCCA-3122、2002.6.26)
原盤レーベルはアルヒーフで
録音は1988年7月。
礒山雅監修
《アルヒーフ NEW BEST 50》
というシリーズの1枚として
再リリースされた廉価版で
原盤は1989年、邦盤は1990年に
初リリースされたようです。
演奏は
カルタゴの女王ディドー役が
メゾ・ソプラノの
アンネ・ソフィー・フォン・オッター。
ディドーの侍女ベリンダが
ソプラノのリン・ドーソン。
カルタゴに漂着した
トロイの王子エネアスが
バリトンのスティーヴン・ヴァーコー。
女魔法使いが
テノールのナイジェル・ロジャース。
合奏がイングリッシュ・コンサートで
合唱はイングリッシュ・コンサート合唱団、
指揮とチェンバロが
トレヴァー・ピノックです。
本盤は廉価版が出た当時
新譜で購入しましたが
1度か2度、聴いて
そのままお蔵入り状態でした。
今回
パーセルに関心を持ち始めてから
1度、聴き直してみましたが
再生機の問題か(PCですけどw)
ワイヤレスイヤホンの問題か
音が小さくて
アルコール抜きの晩酌をしながらでは
よく聴き取れず
やっぱりダメかと
1度は思っておりました。
ところが、おととい
ワイヤレスイヤホン越しではなく
平常使用のPCで再生して
ライナーで歌詞対訳を見ながら
聴き通してみたところ
ようやく、少しは楽しめるかな
と思えた次第です。
音が小さい
よくいえば、繊細なのに加え
ヴィヴァルディや
ヘンデルなどのオペラとは違い
アリアで喉を効かせる
といった類いの作品ではなく。
さらには
1時間にも満たない尺ですから
ぼんやりと聴いていると
わけも分からないまま
あっという間に
終わってしまうんですね。
クラウディオ・モンテヴェルディの
《オルフェオ》もそんな感じでしたが
(あちらはもっと長いですけど)
とにかく集中力が求められるので
こちらに余裕がないと
楽しめないのでした。
作品の内容は
必ずしも生気潑剌なものではなく
主役のディドーが
終始悲しみに暮れている感じですので
バロック盛期のイタリア・オペラを
イメージしていると
肩透かしを喰らうことになります。
今回は
YouTube にアップされていた
フィリップ・ピエルロ指揮の動画を観て
主役のディドーより
侍女のベリンダに注目すれば
楽しめるのかも
と思って聴き直したことで
楽しめたのかな
とか思っています。
ライナー小冊子の解説は
この時期のパーセル盤でお馴染みの
佐藤章で、歌詞対訳も同氏です。
買った当時は分かりませんでしたけど
今、本盤のライナーを読み直すと
解説も対訳も
優れたものだと分かります。
パーセルの《ディドーとエネアス》は
友人の舞踏教師が経営していた
女子寄宿学校で初演されたものだと
従来考えられていたんですが
このライナーが書かれた頃、かな
女子寄宿学校で上演する前に
王室で上演されていたのではないか
という新説が唱えられていたようで
それについて詳しく説明されてるんですね。
新説があること自体は
『古楽CD100ガイド』
(国書刊行会、1996)の
《ディドーとエアネス》の項で
ふれられているので
本盤を買った当時はともかく
今は知っています。
ただ、小冊子のライナーだと
王室で上演されながら
それ以降、再演されなかった理由が
説得的に説明されているのが良く
それが《ディドーとエネアス》に
興味を持たせることにも与っていて
そこが自分的にはツボなのでした。
当時のイギリスは
元オラニエ公ウィレム
(オレンジ公ウィリアム)こと
ウィリアム3世および
メアリ女王(メアリ2世)の
共同統治にありましたが
ウィリアム3世は戦争のため
たびたび王宮を留守にしていたらしい。
《ディドーとエアネス》のあらすじは
トロイの王子エアネスが
一度は愛を約束したにもかかわらず
魔女のたくらみに騙されてしまい
カルタゴの女王ディドーを捨てて
ローマ建国のためにイタリアに向かう
という話であることから
エアネスをウィリアム3世に
ディドーをメアリ2世に擬し
イギリス王室を不在にすることで
こういう悲劇を招かないよう願う
という想いが込められていた
という説が唱えられたようです。
メアリ2世が若くして死んだ際
ウィリアム3世の長期不在と
妻(女王)に対する仕打ちが
非難の的になったらしく
こうした事情を考えるなら
ウィリアム王の在世時には
王宮では上演されにくかったろう
という背景があるのでした。
一度、王室で御前公演されて
その後、女子寄宿学校で再演された
という前例(パーセルの師
ジョン・ブロウのマスク劇)がある
というのも説得力を高めてます。
こういう背景を知って聴くと
もうディドーはメアリ女王で
エネアスはウィリアム王
としか思えず
実に味わいが深まります。
ウィリアムってば
ひどい奴(ぷんぷん)
とか思って
楽しめてしまう。( ̄▽ ̄)
それに
モンテヴェルディの
《アリアンナの嘆き》の時代から
男が女を捨てて国に帰る
というのは
なぜか定番なのも
興味深いところです。
アリアンナを捨てた
テーセオ(テゼオ)にしても
ディドーを捨てたエネアスにしても
ギリシャ叙事詩の男連中ってば
酷い奴ばかり(ぷんぷん)
とかいって
楽しむこともできます。( ̄▽ ̄)
当時の女子寄宿学校の生徒たちは
どう思って演じてたんだろう
とか考えてみるのも楽しく。
新譜で買った時は
ここまで妄想を膨らませ
楽しめるとは思いもよらず。
やっぱり
死蔵を恐れず
何でも買っておくものですね。
我田引水自画自賛
長文乱文深謝。m(_ _)m