メアリー女王の誕生日のためのオード

《来たれ、なんじら芸術の子よ》Z.323 は

当ブログではお馴染み

皆川達夫の『ルネサンス・バロック

名曲名盤100』(音楽之友社、1992)にも

取り上げられています。

 

同書で推薦盤になっているのが

トレヴァー・ピノック指揮

イングリッシュ・コンサートと

イングリッシュ・コンサート合唱団による

こちらの《パーセル:オード集》でした。

 

ピノック《パーセル:オード集》

(ポリドール POCA-1002、1990.4.25)

 

原盤レーベルはアルヒーフで

録音は《来たれ、なじら芸術の子よ》が

1988年7月で、その他は同年11月

と記載されています。

 

その他の曲というのは

聖チェチーリアの祝日のためのオード

《嬉しきかな、すべての愉しみ》Z.339

(《来たれ、歓喜よ》という邦題もあり)と

ヨークシャーの祝祭の歌

《その昔 勇者は故郷に

 とどまるを潔しとせず》Z.333

の2曲です。

 

皆川の上掲書には

1990年度レコード・アカデミー賞受賞

と書いてありますけど

これは今は休刊中の月刊誌

『レコード芸術』が主催していた賞のことで

国内では権威があるのかもしれませんが

世界的に権威のある賞

というわけではありません、

念のため。

 

 

《来たれ、なんじら芸術の子よ》のソロは

カウンターテナーが

マイケル・チャンスとティモシー・ウィルソン

ソプラノはジェニファー・スミス。

 

ライナー小冊子には

なぜか記されていませんが

バスはマイケル・ジョージだろう

と思われます。

 

トランペットは

スティーヴン・キーヴィーと

マイケル・ハリソンという人で

使用楽器はおそらく指孔の空いた

バロック・トランペットでしょう。

 

トランペット奏者は

これまた、おそらく、ですが

ゲスト奏者ではないか

と思われます。

 

というのは

当時の(今でも?)

日本語ライナーあるあるで

その他の器楽奏者の名前が

載ってないのですね。

 

コンサート・マスターが

サイモン・スタンデイジだと

記載されていますので

少なくともヴァイオリン奏者の一人は

スタンデイジだと分かります。

 

あと、チェンバロは

指揮者のピノックが担当していて

つまり弾き振りなわけですね。

 

 

皆川は前掲書の中で

以下のように大絶賛しております。

ソプラノのスミスをはじめとする独唱者たち、イングリッシュ・コンサートとの呼吸も完全にあい、喜びにあふれた演奏を披露しています。いかにもパーセルらしい楽天的な音を存分になり渡らせ、オープンで平明な音楽をくりひろげ、聞いている私たちも全身でこの歓喜を受けとることになります。闊達な演奏とはまさにこのようなものを言うのでしょう。(p184)

ここまで手放しで絶賛されると

聴いてみたくなるのが人情というもの。

 

おそらくこの評言にほだされて

だと思いますけど

当時、新譜で購ったものの

残念ながら1〜2回聴いたあとは

そのままお蔵入りと相成りました。

 

今回のような機会がなければ

ずっとお蔵入りのまま

だったかもしれません。( ̄▽ ̄)

 

 

で、今回久しぶりに聴いてみて

確かに皆川のいう通り

「喜びにあふれた演奏」だと

思いましたけど

皆川が絶賛するのとは逆に

惜しむらくは

よりによってスミスがソロで歌う

第7曲だけが今ひとつ

といった感じなのでした。

 

本盤におけるソプラノのソロの

なよなよというか嫋々としたというか

とにかくそういう感じがする歌声に

馴染めない。

 

何度か聴き直してみましたけど

要するにスミスの声質が

自分の嗜好と合わないのだ

と思い至った次第です。

 

ジェニファー・スミスに比べると

アンドルー・パロット盤

(邦題は《来たれ、学芸の子ら》)

エミリ・ヴァン・イーヴラの方が

(エヴェラという表記もあり)

線は細い感じですけど

まだ素朴で素直で好感が持てますね。

 

ピノック盤の場合

カウンターテナーもバスも合唱も

輪郭の明確な歌声の名演だと思うだけに

惜しいとしかいいようがありません。

 

 

ちなみに

ジェニファー・スミスは

ポルトガルのリスボン出身だと

今回調べてみて知りました。

 

 

リンク先に写真が載ってます。

 

出身地こそ違えど

ニンファス・ド・リス合唱団の

百合の精の女の子たちにとっては

偉大なる先輩に当たるのですね。

 

たまたまとはいえ

ポルトガルゆかりの声楽家が続いて

ちょっと面白い偶然だったので

備忘の意味で記しておこう

と思った次第です。