ヴィヴァルディのモテットが
どういう背景と流れの中で
現在のような形式になったのか
知識の確認と勉強の意味も兼ねて
ちょっと書いておくシリーズの続きです。
カッチーニが『新しい音楽』(1601)を
出版したのと同じ頃
やはりイタリアの音楽家
クラウディオ・モンテヴェルディが
世俗楽曲のマドリガーレを作曲するにあたり
ポリフォニーからモノディ(独唱様式)へと
作風を徐々に変えていく
という動きを見せています。
モンテヴェルディが出版した
『マドリガーレ集 第5巻』(1605)は
伝統的なポリフォニー様式に混ざって
通奏低音付きのモノディ様式の曲も収録され
「従来の枠からはずれて次のバロックへの道を
大きく踏み出したものとして注目される」
と書いているのは今谷和徳です。
今谷の文章は以下に掲げる
『アリアンナの嘆き』というCDの
ライナーに書かれていたものですが
(BMGビクター BVCD-1806〜07、1992.5.21)
【録音】1983年6月、9月、1984年5月。
これまた
〈オーセンティック・ベスト50〉の1枚
(2枚組ですけど)で、第6巻ですが
棚から出して聴いたのは
ウン十年ぶりかと。(^^;ゞ
演奏はアントニー・ルーリー指揮
コンソート・オヴ・ミュージックによるもので
ルーリーはキタローネの演奏も担当し
ソプラノ奏者の中には
エマ・カークビーがいます。
カークビーは
コンソート・オヴ・ミュージックの
主要メンバーでもあったわけですが
カバーオビ裏の紹介文では「古楽の女王」と
なかなか大仰な書かれ方をされていたり。
「アリアンナの嘆き」は
モンテヴェルディの散失したオペラ
『アリアンナ』(1608)中の1曲。
残っているのは
アリアンナが歌う
5つの独唱アリアのみで
その5曲全体をまとめて
「アリアンナの嘆き」と
いうみたいですね。
当時、非常に人気を博しただけでなく
同じ歌詞に別の作曲家が曲を付けたものが
おびただしくリリースされたそうです。
上に掲げたのは
そのアリアンナ系の一連の歌曲を
2枚のディスクに収めたもので
モンテヴェルディ自身による
5声のマドリガーレ版や
宗教的独唱曲への編曲も収録。
5声ヴァージョンは
当時、評判が悪かったそうで
それによっても
当時の嗜好がうかがえるというもの。
独唱版の「アリアンナの嘆き」(1608)は
ルーリーのキタローネによる伴奏で
カークビーが切々と歌いあげます。
一方、5声のマドリガーレ版(1614)は
カークビー以外のメンバーで
アカペラで歌われており
ちょっと珍しいかも。
宗教的独唱曲版(1940)は
やはりカークビーの歌唱で
伴奏はオルガンになっています。
今谷も解説で書いてますけど
バッハが世俗作品を
宗教カンタータに使い回したことを
連想せずにはいられませんが
伴奏がオルガンに代わるだけで
印象もかなり変わるあたり
不思議な感じがします。
『アリアンナ』全体の筋は
ディスク1に入っている
セヴェーロ・ボニーニが作曲した
「レチタティーヴォ様式の
アリアンナの嘆き」(1619)で
うかがうことができます。
テゼオは、ギリシャ神話だと
ミノタウロスを退治するテーセウス
アリアンナは
迷宮から抜け出す作を授けた
アリアドネだそうですが
怪物を退治したらアテナイに帰って
妻に迎えると約束したにも拘わらず
テゼオはアリアンナを裏切り
姿を消してしまいます。
その時の悲しみを歌ったのが
「アリアンナの嘆き」というわけ。
「レチタティーヴォ様式の」と付くのは
モンテヴェルディのオペラで
「アリアンナの嘆き」に至るまでの部分と
「アリアンナの嘆き」自体を
すべてレチタティーヴォ風(朗唱風)に
作曲していることによりますが
これはかなり珍しいかも。
とか思ったら
ディスク2に入っている
フランチェスコ・アントニオ・コスタの
「アリアンナの悲しみ」(1626)も
そうでした。
歌詞を活かす(聴かせる)という
当時のムーヴメントをうかがわせますけど
ヴィヴァルディの時代になって
オペラが大衆化すると
レチタティーヴォは
誰もまともに聴かなくなり
アリアとその歌い方の技巧が
注目を浴びるようになるんですけどね。
それを堕落と見るかどうかは
人によるでしょうけど
『当世流行劇場』(1720)を著した
ベネデット・マルチェッロのような
ディレッタンティストからすれば
堕落と感じられたみたいです。
ちなみに
アリアンナが嘆いたあとの
最後の結末(というかオチ)を
ライナーで今谷和徳が紹介してますけど
その強引なハッピーエンドが
かなりスゴく(あえて伏せます)
ナメとんのか! という感じ。
もしかしたらギリシャ神話の
原典通りなのかもしれませんが
イタリア・オペラって
最初からこうだったのね
とか思っちゃいました。( ̄▽ ̄)
(ヴィヴァルディの例でいえば
『ウティカのカトーネ』のように
史実を変えることを厭わず
ハッピーエンドにしたらしいw)
閑話休題。
なにはともあれ本盤もやはり
ヴィヴァルディのモテットにつながる
源流を教えてくれるディスク
といえそうですし
皆川達夫が
『ルネサンス・バロック名曲名盤100』
(音楽之友社 ON BOOKS、1992)で
言及しているディスクでもあるのでした。
買っておいて良かった。( ̄▽ ̄)
前回のカッチーニや
今回のモンテヴェルディには
ヴィヴァルディのモテットの
基本的な様式である
アリア - レチタティーヴォ - アリア - アレルヤ
という形はまだ見られません。
Aメロ - Bメロ - Aメロという
アリアにおけるダ・カーポ形式についても
その萌芽がかすかに聴き取れるくらい。
本来これらは
音楽劇(オペラ)で採用された形式を
基にしているものですけど
世俗的な音楽で採用されていた形式が
だんだんと宗教曲の方にも
採用されるようになっていったわけですね。
モンテヴェルディ自身
オペラを作曲していますし
と同時に、そちらで培われた手法を
宗教曲に援用したりしています。
そこから
ヴィヴァルディのような定型へと
固まっていく途上で
様々な作曲家によって
さまざまな曲が
作られていったことでしょう。
そちらについては
あいにくと勉強および知識不足のため
これという曲なりディスクなりを
紹介することができません。
これについては
宿題ということにして
次を期したいと思います。m(_ _)m
ちなみに
従来型のポリフォニックなモテットは
モンテヴェルディの頃であっても
もちろん書かれていました。
上記したように
モンテヴェルディ自身も
5声への編曲版を書いてますけど
そちらより
ディスク2に入っている
クラウディオ・パリの作品(1619)や
アントニオ・イル・ヴェルソの作品(同)
(いずれも5声)の方が
無伴奏(アカペラ)の演奏によって
従来の美しく雅びで古風な響きを
よく伝えている気がします。
もっとも
ライナーの解説によれば
ヴェルソの作品は
「至る所で不協和音が用いられている」
「大胆な手法」の作品だそうですけど
自分の耳ではよく分からず
ただただ美しく雅びに聴こえます。(^^;
前回の記事にも書いた通り、バッハにも
モテットと呼ばれる曲がありますけど
現在のイタリアから始まった
時代の新しい流れに逆行し
ルネサンス時代の伝統にのっとる
ポリフォニックな多声合唱曲として
作られています。
自分がポリフォニーに関心を持ち出した頃
何枚か買っているのですが
そちらについては
機会があれば紹介することにして
長くなったことでもあり
今回はこれまで。
長文乱文深謝です。m(_ _)m