記事でふれた
ロリン・マゼールが指揮する
ペルゴレージ《スターバト・マーテル》は
こちらの盤になります。
(ポリグラム PHCP-20036、1997.4.9)
原盤はフィリップスで
録音は1966年5月15~18日。
演奏は
ソプラノがイヴリン・リアー
アルトがクリスタ・ルードヴィヒ、
合唱がRIAS室内合唱団の女声メンバーで
器楽はベルリン放送交響楽団です。
皆川達夫の
「わが国では女声合唱あるいは
少年少女合唱によって
歌いしたしまれているようです」(p.154)
と書いてあるのを読み
女声合唱版というものを聴きたくなり
試しに検索してみたところ
どうやら合唱らしいということで
Amazon で中古を購入したんですけど
全曲通しての合唱ではなかったため
ちょっとガッカリでしたのを
覚えています。
ところでちなみに
これもCDのライナーのいい加減さを
よく示すひとつの例ですが
日本語版のライナー、
対訳がついてないのは措くとしても
(宗教音楽シリーズの1枚なので
シリーズすべての対訳を収めたブックレットは
応募券を送らないと入手できないのでした)
第8曲が「二重唱(ソプラノ、アルト)」
と表記されているのは
どうかと思います。
黒田恭一執筆の
ライナー本文のどこにも
本盤が合唱を含む演奏だと
書かれていません。
ペルゴレージの研究で
ユニークな成果を残しているという
アルフレード・アインシュタインの言葉を引き
以下のように書いていますけど
アインシュタインは、このペルゴレージの《スターバト・マーテル》は、後年完成されたアレッサンドロ・スカルラッティの《スターバト・マーテル》の代用をする目的で依頼されて作曲されたのではないかとしている。その理由として、アインシュタインは、その多くが合唱をそなえている《スターバト・マーテル》にあって、このペルゴレージの作品も、そしてスカルラッティのものも同じく合唱をもたず、ソプラノとアルトのソロだけによるという独自な編成をとっていることをあげている。
だったら
本盤が合唱を採用していることに言及し
その意味を解説するのが
ライナー執筆者の役目だと
思うんですけどね。
ネットから取得したトラック名も
ライナーの記述を踏襲していたので
合唱が目当てで買ったのに
「合唱がないなあ、おかしいなあ」
と思っていたところへ
第8曲で合唱になったので
最初に聴いた時はびっくりしました。
ちなみに上掲ライナーの引用部分に
スカルラッティの《スターバト・マーテル》が
「後年完成された」とあります。
これだとペルゴレージのあとだと
読まれてしまうと思いますけど
実際はペルゴレージの前ですので
念のため。
ライナーには他にも
ペルゴレージも全曲の完成を待つことなく、第12曲の二重唱を未完成のまま世を去り、ペルゴレージの死後レオナルド・レオの手によって書きあげられている。
という、他の邦盤のライナーでは
読んだことのない情報が
書かれています。
これがほんとなら
あえていえば、これは、二六歳で死ぬ者だけが書きうる音楽である。締めくくりの「天国の栄光」がもう少し希望に満ちて輝くとよかったと思うが、ペルゴレージにはその力が残されていなかったのかもしれない。(p.229)
と書いている記述も
ニュアンスが微妙に違う
書き方をしていたでしょう。
ペルゴレージには
まさに書きあげる力が
残ってなかったことに
なるわけですから。
だからライナーの記述は
貴重な情報なんですけど
管見に入った限りだと
本盤以外で読んだことがなく
どこまで正しいのやら
合唱について書いてないことで
記述の信頼性が相殺されている
という感じもするのが残念。
演奏は
古楽の流儀とは違い
テンポが遅いため
あまり好みではありません。
ただし
部分合唱版のアレンジを
教えてくれたことや
ライナーには貴重な情報が
ないわけでもないことから
必ずしも損な買い物ではなかった
とは思っています。