吉田秀和『バッハ』(河出文庫)

(河出文庫、2018年3月20日発行)

 

自分にしては珍しく

出たばかりの本を買って

時日を経ずに読み終えました。

 

 

音楽評論家の

吉田秀和の名前は知ってましたけど

あまり読んだことがないというか

ちくま文庫の『名曲三〇〇選』(2009)を

途中まで読んだくらい。

 

バッハについての単著があったんだ

と驚いて購入した次第ですが

『吉田秀和作曲家論集』の

バッハの巻から抜き出した

再編もののようです。

 

 

自分が現在のように

バッハにハマったのは

レオンハルトなどの古楽演奏に

CDで接してからです。

 

それもあって

古楽復興以前のことは

分からないところも多いし

古楽原理主義に陥る危険性も

なきにしもあらず。

 

その意味では

古楽復興以前の

バッハ演奏のポイントを

教えてもらえるという意味で

勉強になる一冊でした。

 

 

個人的に興味深かったのは

グレン・グールドの『ゴルトベルク変奏曲』

(アメリカ デビュー盤の方)が

アメリカでは評価が高かったにもかかわらず

日本では最初、評価が低かった

という証言があったこと。

 

今では

ピアノによるバッハ弾きとして

最大の評価を受けていることを思うと

ちょっと意外な気がしますね。

 

 

古楽関連では

ピノックのゴルトベルク変奏曲について

書かれた文章が入っています。

 

そのエッセイの最後の方に

「レコードといえば、いつもいつも

 模範的演奏だけが価値があり、

 そういうものでなければ、

 うかつにそれについて書くことも

 紹介することもできないという考えに、

 本当に閉口してしまう」(p.183)

「私はこれまでも書いてきたし、信じてもきた、

 この曲について、これが最上、

 このほかに名演なしというのは間違いだ、と。

 演奏とは、そういうものではない。

 つまり、音楽とは、

 そういうものではない」(p.184)

と書かれてあって、印象深かったです。

 

 

古楽復興といえば

その第一世代ともいえる

ランドフスカの演奏は

あまりお気に召さなかったようですね。

 

ランドフスカの登場で

ピアノでバッハを弾くことを

ピアニストが避けるようになった

という証言は、貴重だと思います。

 

クラウディオ・アラウが

ゴルトベルク変奏曲を録音した際

ランドフスカの考え方を知って

リリースしなかったというエピソードを

ちょっと思い出しました。

 

のちにリリースされたものを聴くと

ランドフスカに比べて悪くはなく

むしろランドフスカよりも

優れているような印象を受けたものでした。

 

ということもあって

上に引用した吉田の文章が

琴線に触れるわけでもあります。

 

 

あと、印象的だったのは

ベネデッティ=ミケランジェリについて

書かれた文章。

 

「歴史の歩みを逆戻りさすのは、

 不可能だ」(p.196)

という書き出しで始まるこの文章、

「CDを聴くとは

 『歴史を二度生きる』

 といったことにもなる」(p.197)

という結論を導く冒頭の数行が

他の文章と雰囲気が違っていて

実に印象の残りますね。

 

それだけではなく

20代の時にデビューしたミケランジェリが

反ファシストだったために

ドイツ軍の捕虜収容所に送られた後

脱走してパルチザンに参加し

イタリア解放まで戦ったが、戦後アル中になり

復帰するまでに時間がかかったという経歴を知って

驚くと同時に

なんともいえないものを感じました。

 

吉田は、

CDのライナーを基に

上記のような経歴を紹介しつつも

「それでどうしたというのか?」(p.198)

と自問しています。

 

そうした経験が

演奏に影響を与えたかどうか

確かめる術はないし

正確に突き止め

影響関係を計量化できるものではない

といいつつも、後半では

ショパンのマズルカの演奏にふれながら

ミケランジェリの活動を

「毎日ピアノを弾いているうちに、

 だんだん成熟し、大成し、円熟し、

 などといった話ではないに

 きまっている」(p.202)

と書くあたりは、どうかと思いつつ

そういう揺らぎが実に興味深いんですけど。

 

ミケランジェリについての文章は

バッハ(の演奏)についてというよりも

ミケランジェリ考になっていて

他の文章とは異質なような気もしますが

この文章があることで

本書を、類書とは違う一冊にしている、

そんな風に考えさせもするエッセイでした。

 

 

解説では詩人で小説家の小池昌代が

「本書には、リヒターを始め、

 若い世代にはなじみのない

 名指揮者・名演奏家が

 名を連ねている」(p249)

と書いていますけど

リヒターもそうか……と

感慨にふけってしまいました。

 

その一方で

「若い世代」になじみのある

名指揮者・名演奏家って

誰なんだろうとも思ったり。

 

教養主義が廃れた今日

そもそも「若い世代」は

バッハなんて聴くのかしらん

という根本的なところで

首をひねったりしたのですが

これは「若い世代」に対して

失礼というものでしょうか。(^^ゞ

 
 
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