『蝶のいた庭』

(2016/辻早苗訳、創元推理文庫、2017.12.22)

 

〈庭師〉と呼ばれる

シリアルキラーの許から

逃げ出してきた若い女性に対して

FBI特別捜査官が事情聴取していく内に

何が起きたのかが

だんだんと明らかになっていく

というお話です。

 

 

シリアルキラーが登場するような

サイコスリラーというのは

シリアルキラーの歪んだ心理を描くか

事件そのものを描くかの

二つに分けることができると思います。

 

歪んだ心理を描こうとすれば

シリアルキラーの視点で物語は進行しますし

事件そのものを描こうとすれば

捜査側の視点で物語が進行する。

 

前者であれば犯罪小説、

後者であれば捜査小説で

まあ、だいたいは、それらを

ない交ぜにしている作品が

一般的だと思いますけど。

 

 

サイコパスにさらわれて

監禁されている被害者の視点から

物語が進行するという場合も

もちろんあります。

 

この場合すぐに殺さないわけですから

シリアルキラーと呼ぶのは

おかしいかもしれないので

シリアルキラーものといってしまうと

ちょっと違うかもしれませんけど。

 

たまたま当ブログで紹介した小説でいえば

ニッキ・フレンチの『生還』(2003)や

カーラ・ノートンの『密室の王』(2013)などが

そういうタイプの作品でしょうか。

 

『新・刑事コロンボ』の

エド・マクベイン原作のエピソードも

監禁ものでしたね、確か。

 

『蝶のいた庭』も

そうした監禁もの

監禁からのサバイバーものに

連なる作品といえますが

読み終っての印象は

それらの作品や

サイコスリラーを読んだ時と

ちょっと違うような感じもしました。

 

 

若い女性が

サイコパスにさらわれて

どういう目に合うか

という内容そのものは

邪悪でおぞましいのですけど

その一方で

軟禁状態の庭園で展開する

ドラマやその描写を

美しく感じることもあります。

 

訳者あとがきにも

「グロテスクで美しい世界へようこそ!!」

と書かれていますが

気になるのは

なぜ美しく感じられるのか

ということです。

 

ひとつには

サイコパスの作り上げた「庭」が

幻想的というか

ちょっとヘンリー・ダーガーの

アウトサイダー・アートを

思わせるところがあるから

かもしれません。

 

もうひとつには

少女たちのコミュニティが

このブログで紹介した本でいえば

小森香折の『ニコルの塔』(2003)

のようなところがあるから。

 

あの物語も

レメディオス・バロが描いた

絵画をモチーフにしていましたが

監禁されたい世界から

逃げ出す物語という意味では

監禁ものの要素があるといえそうです。

 

 

それに加えて

救出された女性の

事情聴取における語りが

必ずしもリニアに

起こった出来事を述べるのではない

というのも

読後の印象に重要な影響を

及ぼしているように思われます。

 

何かを隠そうとしてか

語りがあちらこちらに迂回して

事件の内容とは別に

語る女性自身のライフヒストリーが

次第に明らかになっていくよう

構成されています。

 

そう考えると本作品は

一人の若い女性の

ライフヒストリーを通して

そのアイデンティティの確立と

そしてそのために重要な要素である

家族関係の獲得とを描くことが

バックグラウンドになっている

物語であることが見えてきます。

 

泣けない女の子が

涙を取り戻す話、あるいは

人を愛せない女の子が

愛せるようになる話

とも読めるのですけど

そういうあたりも

お伽噺めいた雰囲気を醸し出すのに

与っているかもしれません。

 

要するにそういうところが

読後の印象を

単なるサイコスリラーでは

ないものにしていると

考えられるわけです。

 

 

上で「家族の獲得」とは書かず

「家族関係の獲得」と書いたのは

あえて、です。

 

いわゆる父母両親がいて

自分の他に、たとえば

兄弟姉妹がいてというような

あたりまえの家族構成を

獲得する物語ではなく

あくまでも

「関係」を獲得する物語

だと思うのです。

 

そういうあたり

決まり文句で恐縮ですが

いかにもアメリカらしい

という感じがしますね。

 

 

その他

軟禁状態にある自分や

自分の仲間を

救ってくれる情報を持っているのに

なにもしない、ある人物に対して

語り手が言う(以下大意)

「あなたは何もしないことを選択することで

 積極的にこうなることを許している」

という台詞なども胸に響きます。

 

そういう

モラリスティックな問いを

はらんでいるあたりも

サイコスリラーというより

少女の成長譚のような

印象を与えているのかもしれません。

 

オビでは

リーダビリティーの高さを

賞揚していますけれど

一気に読んで後に何も残らない

といった体のエンタテインメントと

一線を画していることは

いくら強調しても

強調し過ぎることはないでしょう。

 

それはそれとして

主人公が魅力的だし

彼女に事情聴取する

FBI捜査官とのやりとりも

ユーモアが感じられ

そういうところも

読後感を良くするのに

与っているといえそうです。

 

 

ペタしてね