川北1号墳6(東かがわ市引田) 2024年4月17日
川北1号墳の麓の引田インターは川北1号墳からおおそ100年後の奈良時代前半の建物跡の見つかった川北遺跡があります。
遺跡の性格上周辺で他の古墳が存在したことも考慮して、号数を付加した。 大正15年発刊の大川郡史の記述によると、小海には、3、4ケ所の古墳があったとされ、現存しているのは山上にある川北1号墳のみである。他は山麓にあったが、開墾され畑となったといいます。
土器・陶棺等が出土し、土器の一部は小海村小学校(現在廃校)で保管、 陶棺は男子師範学校郷土館内にあったとされている。また、小海郷土史によると、山麓から出上したという刀剣・土器・埴輪などが小学校に保管されていたというが、終戦後にすべ て行方不明となった。
現在、川北1号噴は羨道部の天丼石が抜きとられ埋没している。
玄室には延命地蔵尊が安置され、今も信仰の対象となっています。
川北1号墳は山上に単独1基存在し、それ故その規模によって被葬者の性格を知ることは困難です。しかし6世紀末~7世紀前葉に属することから、玄室長3.8mは中規模であり、また香川県東端における唯―の横穴式石室墳です。中規模であっても地域における最大古墳であった。
無くなるととっても悲しい棒ってなーに?
これは被葬者自身の性格はもとより、その存立基盤である地域の政治的・ 社会的状況を如実にあらわすところと推察できます。
これにて東かがわの古墳巡礼は千秋楽です。以上で東讃古墳はほぼ責め尽くせたと思われ、次は中西讃のうどんエリアを責めます。