古墳巡礼・四国編 255 川北1号墳2 | ロック古典主義

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 川北1号墳2(東かがわ市引田) 2024年4月17日 

 

  東かがわ市引田町大下、高松自動車道引田インター西の尾根上にある古墳。標高60~80mの山上に単独で築造されています。高松自動車道高松西IC→鳴門IC

 インター西の道路際から尾根上の鉄塔への作業路があり、古墳は鉄塔西30mほどの位置にあります。 

 登り口に鉄扉が閉じられてはいるが、先程の男性によれば針金を外し、蹴りに元通りに閉めておけばよいとのこと。

 お教えに従い扉を開け急登を登ります。右手には料金所が現れ、急登をヒイヒイ喘ぎながら100ⅿほど進めば尾根筋に出て一息つきます。
 見晴らし宜しく眼下にはiCの最終カーブが拡がる。ここから道は斜め左に辿りやがて鉄塔めざして左に折れ、鉄塔くくれば再び繫みに入る。四王司山松小田・勝山コース 2019年 山口県下関市

 30ⅿほど進めば前方に巨石を載せた高まりが現れる。これが1号墳なのか。期待した前方後円墳ではなさそうだ。    

       

 痩せ尾根の僅かな平坦面に構築され、その南北両側には急傾斜面が迫る。墳丘の高まりは、露出した天丼石を中心からやや南にはずした東西約8m、 南北約5m、 高さ約1mの不整円形として残るばかりです。       

 石室は東向きに開口している。が南に片寄つているのは、南側の盛上がりがより多く流出したためであろう。南斜面がより急であることからも窺えます。 

      

 羨道部の大部分の石が抜かれ、最下部だけを残して埋没していることや、南側から尾根つけ根に山道が開かれていることは人為による墳丘の壊変も相当激しかったことを物語っています。