古墳巡礼・四国編 256 川北1号墳3 | ロック古典主義

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 川北1号墳3(東かがわ市引田) 2024年4月17日 

 

 川北1号墳は引田町小海に所在する横穴式石室を持つ小円墳ですが引田地区には古墳が少なく、現在判明している唯一の古墳です。 

    

 羨道部はほぼ崩壊していていきなり玄室に入る。開口部は両袖式で玄室内部はきれいに残存しており、天井には見事な巨石が載り、側壁は持ち送り式。奥壁下部に鏡石を配し、奥壁には素朴な石仏が祀られている。    

    

 幅約2m、高さ約2.5、玄室長4mほどの小ぶりながら、尾根筋の改変された墳丘の下に、まさかこれほど状態のいい石室があるとは思いもよりませんでした。 

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 昭和58年、引田町史編纂事業の一環として香川大学の協力を得て発掘調査が実施されました。

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 その結果、玄室は天丼石上の封上が消失していること、玄門部の壁石が多少抜けている他は、保存状態は良好であった。約50cmの埋土を除去すると床面が現れた。床面は粘質山土を敲き締めたもので、敷石、暗渠の設備はなかったとされる。   

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 羨道部は天丼石と側壁石の大部分が引き抜かれ、埋没していたが約70cmの埋上を除去すると、床面が表われ、側壁基底石の配列が検出された。玄門近くでは、須恵器が散乱していた。玄門前の供献土器と推察された。玄室、羨道共、埋土及び床面から古墳時代の須恵器に混って瓦質の羽釜、近代の陶磁器類が出土したとあります。 

寛永通宝の価値は?種類別の相場や見分け方・高価買取のポイントも紹介 | なんでも買取ナビ羨道部では寛永通宝が検出された。これより、本石室は少なくとも江戸時代までにあばかれ、羨道部は破壊されたことが知られる。 

   羽釜(菊間手永)/市原歴史博物館また、玄室では羽釜の出土より、住居に用いられたことがあったらしく、その為に、副葬品として須恵器の小片があるだけで、その他葬送の実体を示す遺物は消失していた。 現在、羨道部は埋め戻され、玄室の内には石仏が安置されているとされます。   

    

 近世にこれだけの痕跡があるということは、生活空間として利用されていたに違いないが、水の供給をはじめ不便な尾根上での居住にはどんな事情があったのか。想像もしにくい。ソース画像を表示

 石室の中からはたくさんの須恵器が出土し須恵器の形から7世紀初頭の古墳時代後期に築造された古墳とされています。