原間古墳4(東かがわ市川東) 2024年4月17日
原間古墳と呼ばれていましたが、近くで新たな古墳が発見されると原間1号墳と呼ばれるようになりました。
平成10・11年の四国横断自動車道建設の事前調査でさらに8基の
古墳が発見され現在原間10号墳まで発見されています。
原間遺跡は平成7年度の県教育委員会による指定22地区のうち、大内町原間地区にあたり、翌年から現地踏査を中心とした予備調査を実施した。
平成9年4月からは前年度に引き続き、主として平野部と併行して丘陵部の予備調査を実施し、丘陵部本調査の範囲を確定し、平成10年度に丘陵部の本調査が実施されました。
原間遺跡の調査では、丘陵上から古墳時代中期の古墳8基、後期の古墳1基が検出されています。 特に、中期古墳からは県内で出土例が極めて稀な三累環頭大刀 (さんるいかんとうたち) や短甲が出土しています。出土した須恵器から6世紀後半の築造と推定されます。
古墳時代前期には原間遺跡の北東で大日山古墳が造られ、大日山
古墳よりも少し古い段階の集落が原間遺跡で見つかっています。
古墳時代中期には富田茶臼山古墳が造られ、後の時代には原間に古墳が造られます。原間3〜10号墳です。原間6号墳は埋葬施設に木槨をもち、中から三累環頭大刀が出土し、朝鮮半島との関わりが推測されます。
古墳時代中期集落は原間3〜10号墳のある尾根にはさまれた谷で見つかっています。古墳に葬られている人物の集落であった可能性
があり注目されます。