原間古墳3(東かがわ市川東) 2024年4月17日
香川県東端に位置する東かがわ市は、中心部が与田川・湊川など
が形成する沖積平野にあり、律令制下では大内郡の白鳥郷や与泰郷にあたります。
『全讃史』によると大川郡名の由来は、「孝霊天皇の皇女、謫居の地なり。皇女宮居を土人、大内といへり。郡名、是より出づぞ」とあり、この平野の南西奥では東西と南を丘陵で囲まれた谷あいの扇状地に「原間(わらま)遺跡」(東かがわ市川東原間)が見つかりました。
弥生時代後期から奈良時代まで続いた集落遺跡で、現在の大内町と白鳥町境界付近に展開した。また、北側平野部には「住屋遺跡」
(東かがわ市川東住屋)が見いだされた。
古墳時代後期の集落遺跡で竪穴式住居跡が6世紀初の6棟、中期の8棟、終期の12棟、7世紀初期から中期にかけての20棟と検出され与田川の川筋の変化に応じて住居の移動が促されたのであろうといわれています。
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これら地域の東側に、南の虎丸山(標高373m)から北東に派生する長い丘陵があり、先端が秋葉山塊(標高97.1m)です。
丘陵は途中の浅い谷筋が堰き止められて、江戸時代初期に原間池が造成され、秋葉山が独立丘陵状になった。この山麓にいくつかの
古墳があり、古代には東麓に讃岐の最古寺院のひとつである「白鳥廃寺」が建ち、南西麓に平安時代の「高松廃寺」、また南東麓に「桶端廃寺寺跡」が伝わっています。
当時、畿内から讃岐に到る陸路の玄関口は讃岐東部であったから
文化の一大中心地となったとおもわれます。