原間古墳(東かがわ市川東) 2024年4月17日
「お待たせいたしました」ではありません。今日は摂津巡礼第2弾にお邪魔して、帰宅は夜半になる予定でした。ところが朝一で古墳を巡って11時前に鳴尾浜に付けば9時過ぎに札止めとのことで残念無念の門前払い。トラキチが言うには一軍が揃ったとのこと。
朝方、見落とした古墳を落穂ひろいし、早めに横尾忠則の「寒山百得」点を拝見し、淡路SAで明石大橋を眺めながら、早めの晩飯を頂きつつ本稿を綴っているところです。
摂津巡礼を今から書くのはしんどいので、今回はストックさせておいて、東かがわ巡礼に専念したいと思います。
さて、県道41号おおち夢街道を白鳥大内IC方面に南進し、湊川の
上流部2墳に向かいます。
ICを抜けて湊川を渡る手前の西斜面に原間(はるま)古墳があるとされます。池の端で草刈りする方に声をかけるも「他所の者なのでわからない」とのこと。畑道を北に折れると集落に入る。
ちょうどお宅の横で畑仕事をするおばさんを見つけ、お聞きすればこの山裾に古墳があるとのこと。一発正解でした。
どうやら古墳を探す人も多く、小学生の遠足にも来るらしい。
こなれた様子で駐車場所まで案内いただき、お宅のお庭入り口には市教委の古墳標柱まで立っている。小母さんに導かれお宅の前を抜け先ほどの畑に出れば、その奥の繁みに石室が開口しているとのこと。
さっそくのぞき込めばありました。竹藪に覆われてはいるものの、まごうかたなき横穴式石室が東南方向にお口を開けている。
近寄れば上部に崩落の跡があり、左手にころがる巨石がその残骸でしょうか。入口が破壊されているが、内部は完存、全長8m、玄室長5m、幅2m、高さ2.5mの右片袖式で、左側にも袖石が埋め込まれています。奥壁は、形の良い一枚石で、天井石、マグサ石も巨石を使用しています。
六世紀後半の築造ですが、奈良、平安期の土器も出土していて、かなり長い期間、追葬が行われていた可能性があります。
ふと目をやれば、明石大橋の対岸に明石から神戸にかけての街並みが西日を浴びて眩しい。今日は貝瀬にて30度近い暑さゆえ、実は昼過ぎのデーゲームを見る気力はなかったというのが本音です。