摂津巡礼12(伊丹市柏木町)2024年4月25日
平成7年の阪神・淡路大震災後、古墳の南西側にマンションが建設されることになり、同年8月から9月にかけて発掘調査がおこなわれました。
この調査は震災復興事業として協定にもとづき兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所が担当した。
その結果、幅約11mの周濠を検出した。周濠の上部は削平され、残存していたのは40㎝程度でした。また、埴輪片も採集され、この墳丘が間違いなく古墳であることがわかりました。
猪名野(いなの)古墳群のある伊丹市・尼崎市の猪名川右岸地域には、明治時代の仮製地形図によると20基の塚が記されています。
4世紀半ば以降、奈良県佐紀古墳群西群が強勢を誇ってきましたが、4世紀末頃、これに替わり藤井寺市と羽曳野市にまたがる古市古墳群、堺市の百舌鳥古墳群で巨大前方後円墳が築造されるようになり当地がヤマト政権の有力地域とみなされます。
これに連動する新たな動きとして、西摂地域では、西摂平野東部(桜塚古墳群東群)と尼崎市域を中心とした地域のみで古墳の築造が継続し、それ以外の地域では古墳の築造が停止します。古墳時代中期への移行です。
出土した埴輪はいずれも小片だが、円筒埴輪のほか家形・盾形・蓋形などの形象埴輪があります。土器としては、13世紀前半の瓦質土器が出土していて時代共有がみられます。
以上の調査から、柏木古墳が直径約55m以上と御願塚古墳以上の規模をもつ、5世紀中ごろの古墳であることがわかりましたが、まだ円墳であるのか前方後円墳であるのかはわかっていません。