穴薬師古墳2(阿波市土成町)2023年10月26日
石室左脇の石柱には、なんと「粟国造古墳址」などいう彫りこみ
があります。
まさかこれが阿波国主の墳墓だというのか。にわか信じられない
話ではあるが、当地はそれなりの背景を秘めていたかもしれない。
確かにこれまでにも旧土成町御所の宮河内谷川流域には椎が丸古墳や土成丸山古墳などはじめ10カ所ほどの古墳密集地帯です。
そもそも御所という地名も雅な風情が漂いますが「御所」といえ
ば山峡に「たらいうどん」のお店が何軒か並んでいるが、周辺には民家がほとんどなくて少し寂しい雰囲気のするエリアです。こんな辺鄙なところに御所とは眉唾の域をまぬかれない。
ところが土成町は土御門天皇が崩御される前の5年間を過ごされ
行宮があったとされる場所。また「土御門(つちみかど)天皇終焉
の地」ともいわれ、崩御伝説が残る御所神社が鎮座しています。
承久の乱後、土佐に配流された(三上皇配流)土御門上皇は後に
阿波国に遷られた。板野町の行宮(松木殿)を経て1227年(嘉禄
3年)に土成町吉田の御所屋敷に行宮を営まれたと伝わる。
土御門上皇は1231年(寛喜3年)に37歳で配流先の阿波で病気に
より崩御とされるが、その埋葬地などには諸説ある。
土御門上皇の行宮跡にあった神社が合祀されたため「御所神社」と改称されました。
そして土成という文字も「城」を解体してできている。こうして
みると、このプチ古墳をして国造の墳と意気軒昂に謳うこころもち
も解らなくもないですね。