百舌鳥古墳群19(大阪府堺市)2024年1月19日
5世紀後半の築造と考えられており、百舌鳥古墳群の大型古墳の
中では最も時代が新しい。
大仙陵古墳の築造後、百舌鳥、古市古墳群はそれぞれペースを
異にしつつも、終焉へ向かっていきます。
百舌鳥古墳群では最後の大型古墳である土師ニサンザイ古墳が
築造されました。この土師ニサンザイ古墳が古墳群の中では最後の大古墳となります。
土師ニサンザイ古墳では近年、後円部から周濠にかけて並ぶ木柱列の痕跡が発見されました。周濠を渡る橋がかけられていた可能性が考えられ、当時の葬送儀礼のようすを復元する重要な手がかりと言えそうです。
昭和51年(1976年)に周囲の発掘調査では外濠のあることが判りました。平成24年に行ったお濠の調査では、お濠にかけられた木橋の一部が見つかり、古墳の外構施設や葬送祭祀を考える上での大変重要な発見となりました。
短期間で撤去されている事から葬送用の橋だと言われていますが古墳時代最大の橋というのもミステリーの一つになっています。
同じ百舌鳥古墳群の田出井山古墳が反正天皇陵に比定されているが規模が小さく、土師の方が約4倍の大きさがあり、本古墳を反正
天皇の陵とする説があります。
堺市で育った考古学者の故森浩一大先生が、少年時代に天皇陵の信憑性に疑問を抱くことにつながった古墳でもあります。