百舌鳥古墳群18(大阪府堺市)2024年1月19日
土師ニサンザイ古墳は天皇陵治定地ではなく、遥拝所もない地域
宮内庁によると、本墳は規模から皇室陵墓の可能性があり、将来
の考証に備え保存目的とし取得したとされ、1886年(明治19年)
に「御陵墓伝説地」の票木を建て1909年(明治42年)に買収完了
したとされる。墳丘は、反正天皇の空墓の陵墓参考地として宮内庁
が管理し、濠は堺市が管理しているようです。
土師(はぜ)ニサンザイ古墳は全長約290mの巨艦のような大型
前方後円墳にもかかわらず、宮内庁による大王墓比定されないまま
陵墓参考地扱いのため、遥拝所も設けられず民家や市民公園が隣接
したままの情況にあって、周濠沿いに巡らされた散策道は、市民の
散歩・ランニングコースとして利用されています。
陵墓参考地のお陰で、古墳へのアクセス自由度が高い反面、古墳
の格式・イメージが損なわれている面が代償として残こってしまう
墳丘周囲には周濠が巡らされている。現在のものは一重であるが
二重外濠が一部確認されている。それが遊歩道の延びる湿地帯か。 勝手な妄想するとてんで的外れてなことも往々にありますが。
湿地帯を抜けるとお堀端の遊歩道に出てきて、どうやら前方部の
辺りまで延びているようです。ちょっと行ってみよう。
仁山田池と呼ばれる周濠に沿って遊歩道が巡り、前方部まで廻る
と百舌鳥共同墓地が拡がり、お濠の中には何やら一本ラインが延び
ます。沈下橋のようにも見え対岸には出入り口らしき柵も見える。
レアなロケーションを誇る墓地から大型古墳へあたかも「天国への渡り廊下」ようにも見えます。
入口の鉄扉はフェンスにロックされて侵入をシャットアウトし、渡り廊下の説明板などはなく「不法投棄巡視区域」やポイ捨て禁止の看板があるのみ。ここにも生活感が漂う。
「ゆりかごから墓場まで」という言葉もありますが、ニサンザイ古墳は地域密着の恩賜古墳とでも呼びたい。