(リマスター版)
造山古墳2(岡山市北区)2019年3月20日
造山古墳の周辺には民家が密集していて、軒下から急坂を登った前方墳丘上には果樹畑もあり地域の生活に溶け込んでいます。墳丘南面には大きな崩落が発生して痛々しい光景を呈しています。
↑果樹園脇の崩落現場…自然災害なのか民家の裏まで続いている。
北側に後円部との間は痩せ尾根のような幅約30ⅿの台地が100m近く続き、東端の歩道を進めば前方部手前で斜面崩落により半円状に穴が開き、道はこれを迂回します。
この長い台地上には果樹の高木が植栽されている。今はまだ落葉しているが画像では見事な満開の桜のように見えます。然しながら
筆者はこれを桃の花と観ています。
何故桃なのか。桃太郎のふるさとでもあり、古事記にも登場する「大いなる神のミ(霊威)」の意味である桃の神のオオカムヅミを思い出す。
伊邪那岐(イザナギ)命が、亡き妻の伊邪那美(イザナミ)命を連れ戻そうと、死者の国である黄泉の国に赴くが、失敗して予母都色許売(よもつしこめ)や8柱の雷神、黄泉軍(よもついくさ)に
追われる。
地上との境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓まで逃げてきた時に、そこに生えていた桃の実を3個取って投げつけると、雷神と黄泉軍は撤退していった。
この功績により桃の実には、伊邪那岐命から「意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)」の神名を授けられています。
余談になるが、ここで描写される黄泉の世界とはみささぎの玄室での情景を描いているのではないか。死後一月余りの愛妻の変わり果てた姿に恐れおののき逃げ出し、あわてて羨門に蓋をした。
この話にあやかって、後代の皆さんが後円墳の誘導部に桃の木を植えたというのは穿ちすぎでしょうか。