八ッ塚古墳群6(松山市恵原町)2022年11月22日
8号墳は7号からは田圃一枚離れてあぜ道が通じず、グラウンド側
からお邪魔します。
こちらから見ると最大規模と思われ、高さも3ⅿ近くはあろうか。
道路から登る階段には手鎖も付けられ、細長い島のように見えるも
円墳とされる。西側に改変の匂いが漂い、どうも3分の1ほどが削平されているようだ。
墳頂部には例のごとくお大師像が祀られ、何本か石柱も立つなど
北の盟主としての威厳を備えています。
8号の墳頂部は8基の中で一番広く小祠が置かれ石地蔵が祀られています。
八ツ塚群集古墳群は、衛門三郎の8人の子どもたちの墓であると
言われています。古墳時代末期の円墳と方墳と推定されていますが
、後世の開発等により変形。直径約7m~14mの円墳と、1辺10m
をやや超える程度の方墳が半数ずつあり、内部は未調査のため明確ではないが横穴式石室と推察されています。
あるいは八つの塚はそもそも古墳ではなく、平安以降の恵原地区の墳墓ではないのかというのが筆者の見解ですが、ならば後からできた塚が民家の塀を押しつぶすこともありそうな気がする。
ダラダラと塩水を垂れ流す柿の木は「あせかき」
ところが、外部調査ではこの古墳群は周辺開発で変形はしているものの、石室などはそのまま残っている貴重な史跡だとされます。
いずれにせよ、この八ツ塚の地を舞台として当地の豪農であった衛門三郎が空海の後を追って四国を巡った旅が四国遍路の始まりとされているのも民間伝承の影響力は計り知れない。
確かに8基の墳頂には立派な御大師像が屹立しており、ミニお四国
巡礼の風情を醸す群集墳でした。