柔道が足りてない! -8ページ目

柔道が足りてない!

昨今、柔道人口の減少が深刻みたいなので、皆様にちょっとでも興味を持って頂けるような柔道ネタなど書いて行ければと存じます。

背負投の場合、釣り手(襟を持つ手)の肘を畳んで入るという技の特性上、自分の釣り手の自由が奪われていない状況を作り出す事が重要になって参ります。

特に「ケンカ四つ」(右組み(釣り手が右手)vs左組み(釣り手が左手))の場合、釣り手の攻防は熾烈になります。

今回は影浦選手の背負投を題材に、掲題のテーマで考察してみたいと思います。

考察のネタとして使う動画はこちら


対戦相手の佐藤選手からすると、影浦選手の技で最も警戒すべきは背負投です。動画でも、序盤からほとんどの場面で佐藤選手が釣り手を下から持ち、影浦選手に釣り手を下から持たせない状況をキープする事によって背負投を無効化しています。

一方の影浦選手、背負投に入るためには何とか釣り手を下から持ちたいところですが、佐藤選手も警戒しており、中々状況を作らせてもらえません。


解説:釣り手を下から持ちたい理由
【白】がケンカ四つで釣り手を上から持った状態。【青】の釣り手が邪魔になり、背負投で肘を畳む動作の妨げになります。

 

【白】がケンカ四つで釣り手を下から持った状態。【青】の釣り手に邪魔されることなく肘を畳むことができます。



話を戻して、動画の4:35~、影浦選手が釣り手を下から持つ場面が現れます。

佐藤選手、すかさず背負投を無効化すべく、影浦選手の釣り手の上から内側に肘をこじ入れます。

ここで影浦選手の巧いところは、釣り手の自由を確保する事を優先するのではなく、敢えて釣り手は上から肘を入れられた状態のまま引き手を取りに行ったところ。

もしも釣り手を下から持ち、かつ釣り手の自由が利く状況だったら、おそらく佐藤選手は警戒して引き手を取らせてくれなかったでしょう。

佐藤選手に「組み勝っている」と意識させることによって、背負投を警戒させることなく引き手を確保した上で、瞬間的に釣り手の肘をずらしてガードを外し、間髪入れずに背負投に入っています。

 

背負投は、組み手で比較的不利な状態からでも、体をずらしたりしながら一瞬でも状況を作ることができれば入れる技だと思います。

突然ですが、以下の、大野将平選手の試合画像をご覧ください(いずれも右側が大野選手)。

 

 

どれも相手に奥襟を取られ、組み負けているように見受けられますが、実はいずれも、大外刈で一本勝ちする直前の画像なのです。

 

大野選手の大外刈は独特で、いろんな観点から分析できそうですが、今回はこの「奥襟を取られた状況からの大外刈」という点に着目して考察してみたいと思います。

 

まず、大野選手の組み手で特徴的なのは、引き手(左手)で相手の右脇を突いている点。

古賀さんの一本背負投を考察した際にも触れましたが、引き手で相手の脇を突く組み手は講道学舎出身の選手が多用する技術で、これにより相手との間合いを確保することができます。

 

通常ですと、この組み手から「かいなを返す」(脇を開き、掌が下を向くように腕を返す)ようにして左肩を前に出し、さらに相手と距離を取って組み負けた状況を挽回していくのですが、大野選手は相手に奥襟を持たせたままです。

 

なぜ組み負けた状況を受け入れるのか?

 

その意図を考えていて至った結論が、「一見、組み負けているように見えるこの形が、実は大外刈を掛けるために最適の形だから」という仮説です。

 

ここで、理想的な大外刈の形を見てみましょう。

 

このように、軸足を相手の刈りたい方の足(この動画の場合は左組なので左足)の真横まで踏み込んで刈るのが理想形ですが、この入り方は非現実的でもあります。

 

どこが非現実的かと申しますと、実践では相手も当然警戒していますので、軸足を踏み込もうとする動きに反応し、刈りたい方の足を一歩引いて前傾になってきます。

前傾に身構えた相手に対して無理やり踏み込むと、上体が仰け反ってしまい大外返を喰らうため、現実的には自分の体幹よりも前に軸足を踏み込むのは不可能に近いと言って良いでしょう。

 

大外刈を掛ける際にはこの理想と現実(強く刈るために軸足を相手の足の横まで踏み込みたい、でも大外返を喰らわないために軸足は自分の体幹よりも後ろに置きたい)の狭間で葛藤することになります。

 

※実践的な大外刈の入り方については別途ブログの題材にしたく思いますが、大外刈も内股と同様、練習と実践で形が大きく異なる技です。

 

 

話を戻して、大野選手の組み手の画像をもう一度見てみると、奥襟を持った相手はいずれも間合いを詰めるために右足を一歩前に出して構えている事が分かります。

 

つまり、大野選手が刈りたいと思っている相手の右足が近い位置にあるので、大きく軸足を踏み込まなくても刈り足が届く状況なのです。

 

さらには、引き手で脇を突いて間合いを取り、その間合いを詰めようとして相手がさらに右足を前に出してくる瞬間を狙って大外刈に入りますので、相手としても大外刈に対する反応が遅れます。

 

このように、得意の大外刈に入りやすくするために敢えて相手に奥襟を持たせているというのが当方の推察です。

 

どうしても「組み負けたら不利」という意識から、組み勝つ事自体が目的になりがちですが、大野選手の場合はあくまでも投げる事を目的としているからこそ、組み勝つ事にはこだわらないスタイルなのだと思います。

 

組み手に関してもう一言付け加えますと、大野選手の天理大の先輩にあたる篠原信一さんが以前「相手に持たせた状態で自分も持って勝負するのが天理の柔道」といった趣旨の発言をされていました。そういう意味では、奥襟を敢えて相手に持たせて勝負する大野選手の柔道も、まさしく天理大の柔道と言えるかと思います。

柔道、正式名称「日本傳講道館柔道」は、嘉納治五郎師範が柔術の要素を取り入れて創始した武道である、という事は小生もふんわりと認識しておりますが、もうちょっとだけ詳しく勉強すべく、ググってみました。

嘉納治五郎師範の生誕は西暦1860年12月10日、出身は兵庫県神戸市の御影というところで、名家の三男として生を受けています。大河ドラマ「青天を衝け」で先週、桜田門外の変をやっていましたが、これが1860年3月の事件なので、大河を見ていると時代背景がイメージし易いかもしれません。


1870年(明治3年)に父と共に上京。大政奉還戊辰戦争の直後、江戸が東京に改称され、明治維新で時代が大きく動いている最中です。


その後、育英義塾(後の育英高校)→官立東京開成学校(後の東京大学)と進学。イメージ通りインテリだったんですね。

柔道に繋がる話としては、1877年(明治10年)頃、17歳ぐらいの時に天神真楊流柔術を習い始めています。西郷隆盛西南戦争を起こした頃の事です。


天神真楊流をYoutubeの動画で見ましたが、相手を絞め技や関節技で組み伏せたり、大外刈のように相手を倒して制する技術で、個人的には柔道の「極の形」に近い印象を受けました。


大学時代は、前述の大河ドラマ主役の渋沢栄一から経済学の講義を受けたり、逆に渋沢からの依頼で、当時来日中だったアメリカ大統領に柔術の演武を披露したりもしていたようです。


1881年(明治14年)に大学の文学部を卒業。天神真楊流の師が亡くなった後は、起倒流柔術を学び始めます。
柔道の「古式の形」は、起倒流の形を残したもので、現在の投げ技とはかなり異なる印象を受けますが、捨身技的な動きや一本背負投のような技も見られます。

 

柔道の極意とも言える「崩し」の概念は、この起倒流の乱取稽古の中で嘉納師範が発見したそうで、乱取稽古では現在の柔道により近い投げ技の攻防が行われていたのかもしれません。

そして翌1882年(明治15年)、起倒流を習う傍ら、23歳にして講道館を設立し、台東区東上野5丁目にある永昌寺に道場を構えるに至ったのです。当時、コレラが大流行していたとの事で、昨今のコロナ禍を連想してしまいます。


長くなりそうなので、講道館設立以降については、別途ググることに致します。

 

今朝のテレビ中継で、ゴルフの松山選手が日本人初のマスターズ制覇を達成する瞬間を拝見する事ができました。
どのスポーツでも、日本人選手が世界の舞台で活躍する姿を見ると、嬉しくなってしまいますね。

さて、その松山選手のキャディを務めた早藤さんがグリーンに向かって脱帽し礼をした姿が国内外のSNSで称賛を集めているようです。


柔道でも当然、道場に出入りする際には礼をしますし、他のスポーツでも「場」に対して敬意を表するために礼をするのは、日本では一般的な習慣であるように思われますが、外国の人から見ると良い意味でちょっとしたカルチャーショックだった模様です。

このように、日本的な美徳に対して海外の人達が理解や共感を示してくれるのは実に喜ばしい事ですし、そのような姿をこの舞台で示してくれた早藤さんにも感謝したいです。

あまり柔道に馴染みの無い方でも、井上康生さんの得意技であった「内股」はご存知かと思います。
これと似た技に「跳腰」というのがあります。

内股と跳腰の違いですが、

内股は右脚で相手の左脚(左組の場合は左脚で相手の右脚)を内側から跳ね上げる技

 

跳腰は右脚で相手の右脚(左組の場合は左脚で相手の左脚)を内側から跳ね上げる技


と考えて頂いて概ね差し支えないかと思います。
ちなみに技の分類としては、内股は足技、跳腰は腰技であり、似た技であっても本来は理合(技の原理)の異なる技です。

しかしながら、近年は跳腰のように相手を腰に乗せて跳ね上げる理合の内股が主流となった事で、跳腰と内股の境界が曖昧になり、厳密には跳腰と思われる技であっても内股と呼ぶ傾向が強くなっています。

「内股」を得意としている代表クラスの選手達の技を見ても、跳腰タイプの技を使っている選手の方がむしろ主流である事が分かるかと思います。

【跳腰タイプ】
丸山城四郎選手

 

大野将平選手


村尾三四郎選手


ウルフアロン選手


志々目愛選手


芳田司選手


【(本来の)内股タイプ】
原沢久喜選手


大野陽子選手


新井千鶴選手

 


興味深いのは、投げ込み等では跳腰タイプの技を使う選手であっても、実際の競技ではいわゆる「内股タイプ」の技を掛ける事が多い点です。
おそらく、跳腰のように相手を腰に乗せるつもりで内股を掛けると実践で巧く投げる事ができるため、技の要点を感覚として身に付ける目的で跳腰タイプの技を練習するのではないかと思います。

他にも大外刈など、練習で掛ける技と実践で掛ける技の形が異なるものは結構多いように感じますが、いずれも技の要点を身に付けるために敢えて実践とは異なる形で練習するのだと考えられます。