頼山陽 「山水図」 絹本
横37.0㎝×122.5㎝
頼山陽の「山水図」である。険しい山が続く中、冬枯れの景色に一人の杖を持つ隠士を描いている。
前回ブログ(75)では、平田玉蘊の一つの集大成である山水図(天保九如図)を見たが、そのやや日本的な山水図と異なる厳しい南宋画が山陽の理想の絵である。
頼山陽は平田玉蘊の絵について、次のような不満を漏らしている。
「玉蘊画を善くす。しかるに其の画は京習を免れず。今、この便面を観るに、明清人の気風を髣髴とする。略」
文政2年(1819年)玉蘊33歳、山陽40歳、橋本竹下から示された玉蘊の扇面を見て、玉蘊の画がこれまでは京風すぎていたが、ようやく中国の南画らしくなってきた、と感想を述べている詩がある。
頼山陽が目指していたのは、この作品にあるような文人画で明・清の絵画の世界を理想としていたのであろう。
この作品は前景に橋を渡る隠士を描き、中景では目指すべき村落が橋でつながり、後景では人を拒絶するかのようか山が聳え、自然の雄大さを表現している。
自賛の漢詩と作成の日付(文政甲(7年))より、頼山陽45歳の作と分かる。山陽が理想とする厳しい精神世界がこの絵には描かれている。
平田玉蘊の求めた画と山陽が求めた画は、実生活同様交わることはなかったのかもしれない。