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週100時間働く内科医のブログ 【王子北口内科クリニック】

勤務医・開業医を兼業しながら、人生の目標を達成するために考えたことをつづります。

【 やる気スイッチ 】

 

私は、自分で、

「超」がつくくらいの、

怠け者だと思っています。

 

できたら、昼くらいに起きて、

せいぜい、うさぎに餌と水をやって、

のんびり、田舎の農家の、

縁側で日光浴でもしていたい。

実は、ひとと話すのも、面倒。

 

そして、夕方になったら、

(面倒なので、自分ではやらないで)

料理のうまいひとの作った、

鶏のからあげと、麻婆豆腐と

焼きなすでも食って、

焼酎のソーダ割りを飲みつつ

ビデオで、映画でも観ながら、

寝そべっていたい、と思います。

 

よく、海外旅行に行きたい!

などと言う人がいますが、

そもそも、あの何時間という

フライトがきらいです。

 

そんなもの。

 

本当は。

 

でも、まあ、

そんなわけにはいかないので、

朝から働いているのですが、

最近、ますます、

 

「どうやったら、そんなふうに

朝から晩まで働けるんですか?」

的なことを尋ねられる機会が

増えたので、

ひとりひとり答えるのも

面倒ですし(怠け者なので)

 

要点だけ、お話しします。

 

簡単です。

 

1) 自分の「やる気スイッチ」を知る

2) その「やる気スイッチ」を入れる

 

だけです。

 

「やる気スイッチ」が分からない?

 

簡単です。

 

夢中になれること、

やってもやってもあきないこと、

得意なこと、

助けてくれるひとが多いこと、

人が嫌がる・人気のないこと

過去にうまくいったこと

人から感謝されたこと、

自分で自分がかっこいいなあと思うこと、

努力せずにできること、

情熱を持てること、

 

そして、

 

何より、

 

「まわりの人たちが『必要としている』こと」

 

こうしたことを、ひたすら

考えていって、それらの

交わるところを探すのです。

その「交わった点」にフォーカスします。

特に、それがうまくいっているときの

「いい感情」だけにフォーカスします。

 

「そんなもの、ないよ。

思いつかないよ。」

 

と言う人は、過去に、一度でも、

 

『人に感謝された、人にほめられた』

 

ことを詳しく思い出して下さい。

そのときの「いい感情」だけを

ひたすら思い浮かべるのです。

 

スイッチが入って、

なんらかの一連の行動、仕事、勉強ができて、

結果として得られるモノは、

 

こうした「いい感情」の再現です。

 

じゃあ、2)のスイッチを、

誰が入れるか?

 

誰だっていいのです。

 

自分はもちろん、

家族だって、

上司だって、

お客さんだって、

だれでもいい。

 

私の場合は、患者さんが勝手に

スイッチを入れてくれるので、楽です。

 

だるくても、うざくても、

雪でも、暴風雨でも、

二日酔いでも、

 

患者さんからの電話、

スタッフからの電話、

一緒に連携している仕事仲間からの電話、

だけで、その声を聞いただけで、

 

勝手に、スイッチが入ります。

 

そりゃ、夜中や、早朝は、

しんどいですが、

それでも、数分で、

勝手に身体が動き出します。

 

なぜかって、

行動、仕事の結果として、

自分で得られる「いい感情」だけに

集中して期待するっていう回路が

できているからだと思うのです。

 

今朝だって、患者さんに呼ばれて、

6時台に往診しましたが、

頭も身体もすっきり爽快です。

 

大丈夫です。

怠け者でも、確実に実行できます。

【 団地妻 】

 

変な想像をしたひとは、

たぶん、病気です。

 

治療してきてください。

 

 

最近、私は、

毎日のように

 

「団地妻」に会います。

 

昭和3040年、

いわゆる高度成長期の時代、

「団地」での生活はあこがれだった、

らしいです。

 

私も、親父の転勤に伴い、

昭和50年代に

団地暮らしをした経験があります。

確かに、子供心には、

最初は楽しかった思い出があります。

 

それから、50年くらい。

いまも、もちろん都内には、

典型的な当時の団地が点在し、

耐震化工事や、

後付けのエレベータも

かなりきちんとしていて、

古い団地ほど、敷地内の

共用スペースも広くて、

充実しています。

 

最近の、しゃれたマンションよりも

よほど、開放的な作り。

 

部屋も、リフォームされたものは

びっくりするくらいきれいで、

最近の機能的な作りになってます。

 

が。

 

団地のなかで、

明らかな変化が起きているのです。

 

 

「高齢化」です。

 

私は、毎日のように、

北区、荒川区、足立区の

団地にも伺います。

 

そこで、出会う人たち・・・。

 

明らかに年齢層が高いのです。

 

エレベータに一緒に乗ったり、

通路ですれちがったり、

なにかと挨拶されるのは、

 

過半数が、

「おばあちゃん」的な歳の女性です。

 

患者さん以外にも、

ちょくちょく会うひとに聞くと、

同じ団地に、30年、40年住んでる、

なんて話もざらです。

 

そして、ご主人に先立たれ、

いまは、団地に一人暮らし、

・・・という話。

 

考えてみれば、

その、女性たちが、

団地に住み始めた頃、

 

確かに、みんな、

若かったはずだし、

 

「団地妻」だったんだなあ、

 

と、

 

なんとなく切なくなりました。

 

 

※ちなみに、

日活ロマンポ●ノ『団地妻』シリーズは

1971年~1979年に

20作品が公開されました。

【 ありのままの自分って? 】

娘が、妻と一緒に

『アナと雪の女王』って、

映画を観に行って、
なんだか歌詞の意味が通じない
歌を、家で歌っていたので、
調べてみました。

ストーリーは、まあ、よく分からない。
と、いうか、オチがはっきりしないし、
なにを伝えようとしたのか
想像力と、素直さの乏しい私には
よく分かりませんでした。

で、

一番、疑問を感じたのは、
テーマソングのサビ。

『ありのままの姿見せるのよ
ありのままの自分になるの』

も、そうなんですが、

『これでいいの自分を好きになって
これでいいの自分信じて
光、浴びながらあるきだそう』

言いたいことは、分かる。
のだけど、やっぱり、引っかかる。
夢がないとか、
子どもの心が分からないとか、
そうかも知れない。

ですけど、疑問なのは、

『ありのままの自分』

って、そもそも、なんなのか?
ということです。

言っておきますが、
私はひねくれ者です。

「ありのままの自分」ほど、実は、
自分で分からないものはない、
そう感じています。

じゃあ、その
『ありのままの自分』にどうやって、
出会うか?
私の考えを(興味はないでしょうが)
挙げておきます。

1) 「ありのままの自分」に出会うため
『今の自分が分からなければならない』

~言うまでもないことなんですが、
現実の自分は、意外に見えない。
実際以上に強がったり、醜いところから
目を反らそうとしたり、むやみに
卑下して小さくしたり。
等身大の自分って、わかりにくい。

2) 「ありのままの自分」に出会うため
『将来、なりたい自分が分からなければ
ならない』

~光浴びながら歩きだそう♪は
いいのだけれど、どこに行くのか、
あ、どこに『行きたい』のか、分からず
意外と、「きっと、誰かが社会が、
親が、先生が、会社が、国が」決めてくれる、
あるいは、「こんな道しかない」と
他者から強いられた道を、自分の
選んだ目標だと信じ込みたいだけ、
って感じになりやすい気がします。

3) 「ありのままの自分」に出会うため
『他者の否定的な意見・評価から
遠ざからねばならない』

~他者との比較は、無意味なのは
言うまでもありません。現実に、
ありがちなことは、自分で、こうしたい
こうなりたい、できるはず、と
信じて歩き出そうとする「自分」を
片っ端から「親切顔」をして
つぶしてまわる「夢食い」が、頻繁に
出現することです。

4) 「ありのままの自分」に出会うため
『普段、無意識にまわりから受けている
影響やコントロールを客観的に見直し、
自分の弱さを知らなければならない』

~『ありのままのあなたでいて』って、
誰も否定したがらない、格好の
売り込み文句です。服でもそう、
食い物でもそう、住宅や車でもそう。
私は「耳にここちよい」ことばを、
進んで、疑っています。すぐに、
コントロールされて、コロッといくから。
弱いんです。私は、弱虫です。

あ、でも、自分を本当に知って、守るって、
自分が『弱虫』であることを知っている
ひとにしかできないことだと思うのですが。

まあ、ひねくれ者なんで、素直じゃないから、
そう勝手に感じてるだけ、かも知れませんが。