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週100時間働く内科医のブログ 【王子北口内科クリニック】

勤務医・開業医を兼業しながら、人生の目標を達成するために考えたことをつづります。

誰が言い出したのかは知らないけど、

 

PPK(ピンピンコロリ)」

 

という、理想の生き方・死に方を

表すという言葉がある。

Wikipediaを見ると、

 

「ピンピンコロリとは、病気に苦しむことなく、

元気に長生きし、病まずにコロリと死のう

という意味の標語。略してPPKとも言う。」

 

と、書いてあるし、

役所関係や、介護、福祉の研究論文などを

いろいろと読んでいても、

いまだに「理想の生きざま」みたいな

疑いを挟む余地のない理想のように

扱われていることが多い。

 

私は、ずっと、この「PPK」に

違和感を感じている。

 

確かに、だれの世話にもならず、

見た目は大きな身体的な障害もなく、

自分のことを、最後まで、一人でできて、

「コロッと」苦しまずに死ぬ・・・。

 

いいのかもしれない。

 

60代、70代の人たちは、

そのほとんどが(例外はもちろんあるけど)

「死にたくない。ねたきりになりたくない。

あと、10年は生きたい」と言う。

 

そして、80代から90代になると

「とにかく、迷惑をかけたくない」

「苦しまないで、さっさと死にたい」

ということを、よく言ってくる。

 

どちらも、本音だろうし、

本音ではないかもしれない。

というのは、私は、

 

「人に迷惑をかけないで」生きるなんて、

不可能なことだと考えているから。

 

言い方を換えると、

 

『人間が、人間と関わらずに、その関係を

希薄にするほど、人間ではなくなる、

すなわち、生きられなくなる』

 

と、信じているから。

 

人間が、親子だったり、親戚や近所だったり、

役所や、医療・福祉サービスだったり、

なんらかの関わりを持って、生活するのは、

 

「サービス提供者→高齢者」への

一方通行の価値や、サービスの提供が

あるだけ、と考えている人が多いように

感じるけれど、それは間違いだと思う。

 

別に、医療や介護といった、

直接、体にさわる仕事だけではなく、

この世の人と人との関わりは、

価値の交換、影響の与えあい、である。

 

歳がいって、体が弱り、誰かの「世話になる」のは

人が生きていく上で当たり前の、

いや、なくてはならない「関わり合い、影響のし合い」

の、大事なチャンス。

 

そう考えると、PPKというのは、

他者との関わり合いの機会を、自ら避け、

こっそり、静かに、ひとりぼっちで、

最後へ向かってゆくイメージがぬぐえずに、

違和感を感じるのかもしれない。

 

京都大学元総長の平澤興先生が

こんなことを言っている。

 

60歳で一応

還暦という人生の関所を過ぎ

70歳で新しい人生を開き

80歳でまた第3の人生が始まり

90歳まで生きないと

本当に人生は分からない』

 

世の、人生の先輩たちには、

家に、ご自分の部屋に隠れていないで、

どんどん、外に出てきて欲しいし、

私たち、後輩に「大事な影響を」

与えて欲しいと、そう思う。

 

歩けなくても、少々ぼけても、

外に出てきて欲しい。

 

そして、当たり前に、年代を超えた、

世話を掛け合い、お互いに

図太く、生きて欲しいし、自分もそう生きたい。

そして、最後の最後は、

「コロリ」のKではなく、

互いの「感謝」のKにしたい・・・。

 

日頃、多くのご高齢の先輩たちを見ていて、

敬老の日に、伝えたいことを書きました。

【 「縁」の連鎖 】

 

「緑」(みどり)じゃないです。

「縁」(えん)です。

・・・念のため。

 

最近、

というか、ここ数週間、

ワクワクして、

いい歳(42)して、

感動が止まりません。

 

「縁」というしかない、

不思議な力が、

自分を取り巻いていて、

 

しかも、

 

そのうねりのような

流れというか、渦が、

うずしおみたいに、

密度を増して、

強くなってゆく、感覚。

 

自分のまわりに、

「いいひとたち」

「いい人間関係」

「いい仕事の連携」

が、どんどん集まってくる感覚。

 

いままで、

心配や、

面倒や、

時に圧力を

かけてしまった、

家族や、職場スタッフには

申し訳ないけれど、

 

ようやく、

まわりのひとたちの

笑顔をもっと増やし、

喜んで、スキルを上げてもらうのに

どうしたらいいかを

少しずつ教えてもらっているように

感じます。

 

ようやく

気づいたように感じます。

 

「自分から、先に、

相手を『応援する』こと」

 

だいぶ、

回り道をしたかも知れません。

 

今まで、ずっと、

いろんなひとたちに

他でもない『私』が

応援されてきたんだと、

ようやく気づきました。

 

今日は、

15年くらいお世話になった大先輩の

娘さん(私と同じ専門分野の医師)

船橋市の勤務先(院長先生がご主人)に、

手術の立ち会いに行ってきました。

 

わずかでも、娘さんを通じて、

恩師に恩返しができれば、

という気持ちで。

 

同行した、うちのクリニックの

在宅医療コーディネーターが、

訪問先の病院のスタッフに、

私がやっている在宅診療の仕事について

得意げに話している様子が、

泣きそうなくらい、

うれしかったです。

 

やっぱり、『縁』って、すごい。

【 最後に、見えるもの 】

 

ここ、数週間、

夜中も、休日も対応してくれていた

訪問看護ステーションのナースと

毎日のように連絡を

取り合っていました。

 

「絶対に、うちに帰りたい」

「苦しいのも、痛いのもいや」

「しゃべるのも苦しい」

 

と、おっしゃる患者さんと

家族の、望みをなんとか

叶えることを、一番に考え、

 

なんとか、入院していた病院を出て、

住みなれた自宅へ

戻っていただくことができました。

 

ひさびさの自宅に戻ったとき、

ご自分の部屋の「におい」を

うれしそうに、吸い込んでいたそう。

 

すでに、呼吸も、

ままならない時期だったのに。

 

それから、数週間。

 

非常に多くの人たちの協力を

いただきながら、

うちのスタッフも、

何度もご自宅に足を運びながら、

 

日々、目に見えて変わってゆく、

身体の状態を、診てきました。

 

そう、どんなに、

ことばでごまかそうにも、

ごまかしようのない、

 

「死」に近づいてゆく、

身体の様子を診ながら、

根本的には、何もできないまま。

 

もう、しばらく、

視力を失っている方だったので、

天気も、訪れるスタッフの顔も、

見えないと言っていました。

 

でも、

 

それでも、

 

うちのクリニックのスタッフの

名前をはじめ、

関係した各職種の

ひとたちの名前を、

それぞれ、口に出して

呼ばれていました。

 

 

今日の昼下がり。

 

 

すでに呼吸の止まっている

患者さんの、ベッドサイドから

見渡す空は、晴れていて、

窓から、気持ちのいい風が入り込む。

 

ほんの、短い期間だったとは言え、

患者さんを訪問するたびに、

必ず、私の帰りがけに、

何度も、

 

「先生、こんどは、いつ来るんですか?」

 

と尋ねられていたのを

思い出します。

 

 

最後の時間。

 

 

目の見えない、その方は、

何を見ていたんだろう。

いよいよ、命の灯が消えるそのときに、

何が、見えていたのだろう?

 

帰り道、ふと、思いました。

 

 

いつも会うたびに、

私や、同行している、うちのクリニックの

スタッフの体調を気遣ってくれていた

その、患者さんのお姉さん。

 

今日、私たちが引き上げるとき、

泣きながら、

握手をしてくれた、

そのお姉さんの手からは、

それでも、ひとつの仕事を

やりとげ、肉親を送り出したひとの

寂しさと、満足を感じたように

思います。