本当はお盆に愛媛に帰る予定はなかったけど、祖母が息を引き取ったため、1週間ほど愛媛に帰っていました。
愛媛への飛行機が1日1便しかないため、すぐに帰ることはできなかったけど、お通夜とお葬式に参列することができたので、本当によかったです。
冷たくなった祖母と対面して、最初に出た言葉が
「空っぽやん」
「何もないやん」
ってこと(笑)
亡き骸とはよく言ったもので、
言葉の通り、本当に亡き骸だったのです。
体を脱いだだけで、そこにはもう、何もない。
祖母の肉体を見るのが最後になってしまう寂しさや悲しさはあるし、過去を思い出して感情的になることはあるけど、とにかくびっくりするほど、何もないので逆にあっけらかんとしてしまいました(笑)
今まで私が参列したお通夜やお葬儀では、少なからずここまで「何もない」ということはありませんでした。
祖父が亡くなった時も、
夫の祖母のお通夜やお葬式の時も、
少なからず「念」のようなものが漂い、
感じるものはあったので。
だけど、祖母は綺麗さっぱり何もないから、逆に「え?!」って感じです(笑)
何も残さずこんなに綺麗に還れるってすごいなぁと思います。
私の頭の中に、祖母のデータが残っているだけで、今この瞬間には何もない。
こんな感覚が初めてなので、不思議です。
しかもその感覚は私だけでなく、一番近くにいた母も、二人の姉も、同じような感覚でした。
なので、お葬儀が終わったあと、
悲しさの余韻が残ることもありませんでした。
祖母が住んでいた家に行っても、物質としてのモノがあるだけで、モノに絡む念はありません。
残るのは自分の頭の中のデータが勝手に作り出した思い出だけ。
↑
私が小さい頃に描いてたらくがき帳が今でも残っていました
もっと悲しみに浸るかと思っていたので、自分でもびっくりでした(笑)
甥っ子たちともプールに行ったし(笑)
そしてこの1週間、
不思議なことがたくさんありました。
今までの辻褄が合うようなこともあり、
家族でいろいろと話しをすることができました。
そのため、お葬式を終えたあとは、
悲しみどころか多幸感に溢れていました。
これが祖母が残してくれた最大のギフトだとしたら、なんと素晴らしい逝き方なのでしょう。
私もこんな風に去りたいな〜と新たな指針になりました(笑)
母と二人で興奮し、海まで車を走らせました。
夕日は沈んでしまったけど、マジックアワーを静かに楽しみました。
特に何かを話すわけではないけど、母と一緒に座り、同じ景色を眺めます。
親を亡くした母を自分に置き換えて考えると、この時間がいかに貴重な時間なのかを感じます。
頭では親と過ごせる時間が当たり前のものではないことくらい分かっていましたが、ここまで腹の底から有り難みを感じることはなかったのでね。
そう思うと、何もかもが有難くて、心がどんどん満たされていく感覚を感じていました。
本当は夫と一緒に3泊したら帰る予定だったのですが、飛行機を取り直して1週間いることにして大正解でした。
夫が先に帰ってからの日々も、私にも家族にとっても、必要な時間だったからです。
祖母の死は悲しいですが、それ以上に得ている力があります。
全てが循環だなぁと感じます🥰
さて!!
また新たな日々が始まります。
沖縄に帰ってきました!
では!!!