大好きな祖母が旅立ちました | 【全ては最高のタイミング】紫陽花ユミの世界

【全ては最高のタイミング】紫陽花ユミの世界

名前を見るといろいろ浮かんでくる人。

私が感じている世界をお届けします✨(おばけは見えません!)

99歳でした。

 

 

数日前に母から連絡があり、もうそうろそろかもしれないと言われ、覚悟はしていました。

 

 

今年の夏は愛媛に帰る予定はなかったけど、急遽愛媛行きのチケットを買い、生きている祖母に会いにいく予定でした。

 

 

だけど、

 

間に合いませんでした。

 

 

 

すぐに帰ることができない。

 

すぐに駆けつけることができない。

 

 

私はしっかりと、コインの表と裏を引き受けているのだと思いました。

 

 

 

覚悟していたとはいえ、

悲しいものは悲しいです。

 

 

悲しくて、寂しくて、たまりません。

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私は祖母が大好きで、

おばあちゃんっこでした。

 

 

小さい時は両親よりも、祖母と一緒にいた時間の方が長かったと思います。

 

 

祖母の家から学校に通ったこともあったし、土日や夏休み、学校の帰りも祖母と一緒に過ごしました。

 

 

私の1番の遊び相手でもありました。

 

 

私は小さい頃からお絵描きが大好きで、らくがき帳をたくさん買ってもらい、好きなだけ描かせてもらっていました。

 

 

祖母が作ってくれるご飯も大好きだったし、祖母と一緒にお風呂に入ることも、一緒に寝ることも大好きでした。

 

 

心を広げて安心できる私の居場所でもありました。

 

 

 

私が小学生の高学年の時に、祖母が生死を彷徨う交通事故に遭いました。

 

 

相手の居眠り運転によって、

歩いていた祖母が巻き込まれました。

 

 

私は祖母がいなくなってしまうことがとても怖くて、

怖くて、怖くて、たまりませんでした。

 

 

一時は生死を彷徨い、

そこから一命を取り留めるも、

痛々しいほどの祖母でした。

 

脚の骨も骨盤も砕け、

もう歩くことはできない

と言われていましたが、

血の滲むようなリハビリと本人の根性で、

杖なく歩けるようにもなりました。

 

 

生きてくれたことに心底安心しました。

 

 

でもその一方で、私はずっと祖母を失うことが怖かったのです。

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学校のイベントなどで、未来の自分に手紙を書く機会が何度かありました。

 

 

10年後の自分や

20歳になった自分への手紙。

 

 

私はどの未来の手紙にも、

 

「ばあちゃんは生きてますか?

元気ですか?」

 

と書いていました。

 

 

他のことは何を書いたか覚えていないけど、

ばあちゃんのことは常に書いていたのを覚えています。

 

 

時に、ばあちゃんの心配性な部分が鬱陶しく思う時期もありました。

 

 

「そんなとこ危ない」

 

「怖いけんせられん!(するな)」

 

 

好奇心旺盛な私にとって、

祖母の心配は火に水を注がれるように、

冷めた気持ちになることもありました。

 

 

 

だけど、私もずっとずっとばあちゃんのことを心配していたのです。

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「ユミの花嫁姿を見るまでは死ねん!」

 

と言っていたので、

花嫁姿を見せるのが私の夢でもありました。

 

 

だけど私が大学生の頃にも、

祖母がまた交通事故に遭いました。

 

祖母が歩行者で、なんの罪もない事故でした。

 

 

「なんでうちのばあちゃんがこんな目に遭わないといけないの」

 

「どれだけ辛く痛い思いをさせるの」

 

私は神様なんていないと思いました。

 

 

傷だらけの祖母に会いに行くのが怖くて、小学生の頃の恐怖が蘇るような気持ちでした。

 

 

今度こそ歩けないような状態でしたが、

それでも祖母はまた歩けるようになりました。

 

 

「祖母は不死身なのではないか?」

 

と思うくらい、逆境に負けない強い女性でした。

 

 

そんな大きな事故を2回も経て、

 

私と祖母の夢は叶いました。

 

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本当に本当に嬉しかったし、

1番のばあちゃん孝行だったかなと思います。

 

 

そこから私もだんだんと祖母離れをしていたように思います。

 

 

というより、

 

面と向かえなくなっていました。

 

 

 

どんどん弱くなっていく祖母。

 

 

頑固さが全面に出てしまう祖母。

 

 

母に負担をかけている祖母。

 

 

わがままや弱音を吐く祖母。

 

 

 

あれだけ強かった祖母が、

どんどん小さく、

幼くなっていくようで、

そんな祖母を見るのを避けていました。

 

 

 

「もう年だし、仕方ないことよね」

 

とその時はドライに割り切っていたけど、

 

私はただ、

 

弱っていく祖母を直視する強さがなかっただけでした。

 

 

 

祖母の痛みも、

 

孤独も、

 

寂しさも、

 

私は知るのが怖かった。

 

 

私を見守ってくれる優しい祖母でいてほしかった。

 

 

見たくないものを見る強さは、

私にはありませんでした。

 

 

これまでにたくさんの無性の愛を受け取っていたにもかかわらず、私は祖母の死を知らされて初めて、衰えていく祖母から逃げていたことに気づきました。

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姉から祖母の死を伝える電話をもらい、

私は子供のように泣きました。

 

 

そのあともふと涙がこぼれ、

また大声を出して泣きました。

 

 

何度も、何度も。

 

 

それでも目の前に広がる景色は、いつもと何も変わらない。

 

 

もともと祖母のいない沖縄での風景は、いつもと何も変わりません。

 

 

だけど、

心に大きな喪失感が生まれ、

油断をすると涙が出ます。

 

 

そして、すぐには会いに行けない日常がただただ目の前にあります。

 

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事故のことを思うと、99年も生きるとは思ってもいませんでした。

 

未来の手紙で心配していたように、いつ「その日」が来るのか、常に恐れていました。

 

 

だけど、お釣りが返ってくるほど、たくさん生きた祖母は、私が覚悟を決める時間もたくさんくれました。

 

 

でも、やっぱり、「その日」は悲しいです。

 

 

今抱いている悲しい感情は、思う存分感じ尽くしたいと思います。

 

 

悲しい時に悲しまないと、

ずっとずっとしこりが残るからです。

 

 

一生懸命に、生きた祖母。

 

 

私はまだ胸を張って

「一生懸命に生きた」

とは言えません。

 

 

祖母の強さを受け取り、

怖いものに向き合う自分になっていきたいです。

 

 

明日、祖母と会えます。

 

 

悲しいし、寂しいけど、

懸命に生きた祖母に

心からの祝福を送りたいです。

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