いわ子先生より

亡くなった場合、誰もが成仏できるかどうかが一番心配になることです。

生前功徳を積んでいたからといって成仏できるとは限らないのです。

これは多くの人が感違いしているのですが、亡くなる時、この世に何一つ未練を残さず、ただひたすら神様に感謝し、両親に感謝し、お世話になった人達にも感謝してから息を引き取ることができれば、それは成仏へとつながります。

その日まで、充実した人生であること。一般によくいわれているように"悟りの境地"に達した人が一番幸せな人であり、成仏もできる人といえましょう。

この世に財産をたくさん残し、その遺産相続で自分の死後子供達が争わないかなどと、息を引き取る時にたとえ一つでも心配なことがあれば、念も心もこの世に執着し残ってしまうため、その人は成仏できません。

この世に一切未練を残さないよう、悔いを残さないようにしないといけないのです。

それには、真の信仰を持ち、日々心穏やかに暮らし、毎日の努力を怠らず、神様に感謝し、誰にでも喜ばれる生活を送っていれば大丈夫です。

しかし、霊界での地位、階級は生前の功徳の積み具合で決定されるのです。

その後、霊魂は霊界の生活を一段階上の霊界に昇りたくても残念ながら、それは霊自身にはできません。

この世に生きている私達が、その霊に対して心からなる供養をして上げること、それなくしては、霊界での昇級はあり得ないのです。

それではお寺のお坊さんにお願いしようと思われるかも知れませんが、それもまた、楽観は許されません。

そのお坊さんが心のきれいなお方で神様方にどの位喜ばれているかということです。

ひと言で言えば、霊格が高くなくてはならないのです。お寺の建物の大きさでもなく、お寺がどの位有名かということでもありません。

驚かれるかも知れませんが、私は時々亡くなった人(霊魂)と、その遺族から御葬式のやり直しを頼まれたりします。

よくお聴きすると有名な、そして大きなお寺のお坊さんに読経して頂いたお葬式だったりしますが、その霊(霊魂)は、そのお坊さんは外観だけは一見立派そうに見えるが実は心がきれいでなく、そのお坊さんの読経で自分は頭がガンガン痛くなってしまい、とてもこれでは成仏できないので、誠に申し訳ないが、もう一度自分の親しい人だけに集まって頂き、霊格の高い人にお葬式をやり直して、成仏供養をして欲しい、というのです。

お話はそれましたが、生前功徳を積んでいても、お葬式の僧侶の読経に霊魂が心癒され安心してこの世を去れる気持ちにならなければ、実は成仏できないのです。

合掌



畏れ多いとは思いますが
お一人でも多くのかたを
お救いしたいと思っております。

南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛

合掌

日本に大きな災いが起こりませんように
日本が平和でありますように
地球が平和でありますように
宇宙が平和でありますように
どうか、どうか、どうか、
よろしくお願い申し上げます。

合掌