第61話はこちら 

 

こんにちは、おけいです。

 

母親の干渉ストレスと、夫婦関係のそこはかとない不満からくるものか?

おけいはお金のかかる趣味に次々と手を出し・・・

 

そんな夫は夫で、私に「溝」のようなものを感じていたかもしれません。

そこのところは、何にも感知していない私でしたが。

 

 

ところで、証券会社を退職してから学び始めたパーソナルカラーの道ですが、(第54話)パーソナルカラー診断を実家の中の私が使っていた部屋をサロンとして、開業に至りました。

 

ちょうどシンクタンクで派遣就業を始めた頃です。

いわゆる、ダブルワーク、ということになりますが。

 

WEBサイトを自力で立ち上げ、実家の外壁に掲げる看板は、小学校の図工教師をやっている同級生に制作してもらい。

 

もちろん、なかなか食べて行けるほどお客様はいらっしゃらないのですが、思わぬ所から新たなお仕事が舞い込みました。

名刺を作って頂いたデザイン会社の方が、東大和市内の公民館での市民講座講師のお話を紹介して下さったのでした。

 

おけいが、こ、講師!?

 

しかも1回あたり2時間で、全4回。

講師初心者には結構なボリュームですが、またとない機会。

企画書を作り、無事に通って正式にご依頼を頂くことになりました。

 

平日の講座なので、対象は主婦や中高年の方々。

その方たちに、興味を持って頂いて、タメになったと思ってもらえるようなカラーの講座とは!?

 

本当は一番やりたいのは、パーソナルカラー診断なのですが、それを講座という形でやるのは、あまり現実的ではありません。

 

そこで、こういうことがあると紹介程度に留めるとして、あとはこれまでに学んだ色彩学を総動員して、必死に講座内容を考えました。

書籍も、片っ端から買い集め、少しでもネタ(違った、講義)に使えそうなものを探し・・・・

 

ハッキリ言って、

学び始めてから一番、「色彩」に向き合って勉強しました。

 

よく、登壇は予定している内容の10倍、いえ、それ以上のものを準備しなければならない、と言われていたりしますが、まさにその通りでした。

緊張しかなかった初回の登壇でしたが、お陰様で好評だったようで、その後足掛け5年間、更にはお隣の武蔵村山市からもお声がけ頂き、市民講座講師を続けました。

 

 

 

何か新しいことを始めるとき。

とてもやりたいと思っていることがある時。

 

なぜか、その一歩が踏み出せない、ということはありませんか?

 

なぜだと思いますか?

 

・自信がないから?

・失敗が怖いから?

・自分にはできっこないと思うから?

 

・・・・・からの。

 

・まだまだ勉強が足りない。

・もっと色々学ばなくては。

・新しいメソッドを学習して自信をつけてから。

 

ていう風に、なったりしませんか?

 

でも、これでは

あなたの一生はインプットして終わりになってしまいます。

 

そして、生まれ変わってもなお、まだあなたは自信がない・・・とか思ってしまうでしょう><

 

では、どうすればいいの?

 

この流れなら、答えはうっすら解りますよね(笑

(わからいでか!?って関西弁のツッコミ入れてもいいよ~♪)

 

それは・・・

 

 

・・・・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

ハイ!もう分かったで!

 

 

・・・・!

 

そう、

 

アウトプットする

 

ってことなんです。

 

だってそうでしょう?

あの時のおけいも。

 

・講師なんてやったことなかったし。

・バンドはやってたけど、ヴォーカルじゃないし。(そこ!?)

・自分の声嫌いだから、人前で話すのも実は苦手だし。

 

でも、引き受けちゃったんです、講師を。

 

だって、やりたかったから。

 

自信なんて、あるわけがない。

でも。

やるからには、ちゃんとやる!

 

そう決めていたから、ものすごい勢いで、色彩に関しては人生初くらい勉強して、準備できたのです。

その結果、リピートを頂けた。

 

これが、一番の自信につながるわけです。

 

つまり、

 

自信は、

インプットしているうちは生まれない。

 

ということなんです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

閑話休題。(今回は長かった><)

 

てなことで、少なからず自信をつけたおけい。

個人のお客様へのパーソナルカラー診断だけじゃなくて、講師もやりたくなってきました。

 

規模は小さいですが、公民館で受講下さった方が、個人的にご自身のサークルに講師として招いて下さったり、

小学校、学習塾、雑貨屋さんなど、色々なところでセミナーを開催しました。

 

そして、吉祥寺駅徒歩5分の古いマンションの一室を奇跡的に安い家賃で契約し、念願のサロンもオープンさせました。

少しづつですが、予約も入るようになりました。

 

そうなると・・・・

次は、おけいは何を考えるでしょうか?

 

 

・・・・

 

 

・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

あ、覚えてますか?

前回第61話の最後のとこ。

 

”この後、更におけいは夫に「溝」を感じさせるような行動を起こします。”

 

そう、ここに繋がるんです。(引っ張るの長っっ!!!)

 

カラー一本でやってみたい。(つまり、派遣の仕事を辞める)

 

一応ね。

結婚してて、お給料も家計に入れていたから、夫にはもちろん相談しましたよ。

はい。

確か、した。

いや、絶対したはず。

 

家計費が減ることにはなるので、その分色々節約して、家事も全部私がやるから。

 

と、言ってみた、つもり。

 

返事は、相変わらず素っ気なく、

 

いつもの「まあ、いいんじゃない」

 

くらいしか返ってきませんでした。

でも、OKは、OKです。

 

おけいは、7年5ヶ月勤務した証券系シンクタンクの仕事を契約終了とし、失業保険給付も申請しました。

 

そして、白金台にスタジオを構える、某有名先生のパーソナルカラー分析勉強会に何度か通ううちに、

ややモヤモヤが残っていたパーソナルカラー診断の理論の面で、遂に確信を持てる域に到達できたのです!

いやーー、本当にその節はスッキリしました。

 

先生の名を伏せることもないので、お伝えすると、

トミヤマ マチコ先生、です。

 

先生のスタジオで運営している、色彩検定1級対策講座のアシスタントも担当させて頂き、先生のところではパーソナルカラーのみならず、色彩学全般について大変多くを学ばせて頂きました。

 

となると、俄然パーソナルカラー診断をもっとガンガンやりたい!

 

ということで、あれこれ検索しまくり、結婚式場で新郎新婦のカラー診断業務をget!

日本の美容家の草分け・山野愛子さんのお孫さんのAKIRAさん(アニメじゃないよ、っつっても古くて知らないか><)の率いるチーム、という体裁で、山野愛子美容室が入っている結婚式場で月に2~3回新郎新婦様のカラー診断を行い、衣装、ヘアメイク、ブーケについてカウンセリングご提案をする、というものでした。

肩書きは、「ブライダル・スタイリスト」。

 

一日最大5組(10人)のカラー診断とカウンセリングは非常にハードな業務でしたが、ここで爆発的にカラー診断の経験値が増えました。

 

また、ここで生ずる様々な苦悩が、今のおけい独自のパーソナルカラー診断メソッドの誕生のきっかけにもなったのです。

(これについては、また新たなテーマで綴ってみたいと思っています)

 

更に仕事を増やしたいおけいは、古巣(?)の、カラーを最初に学んだスクールでの講師募集にチャレンジしました。

 

「ブライダル・コーディネーター養成講座」(1年間)の中の、4半期を担当する

「ブライダル・カラー」の講師です。

 

書類選考と面接を無事通過、本厚木校(と、遠かった><)に3ヶ月間通いました。

その後、ご評価頂けのか、立川校(近くて助かった><)でも2回ほどご依頼を頂くことになります。

 

ただこの頃、父にガンが見つかり、手術、入院、そして退院後の通院。

これに付き添う必要も出てきて、肝心のサロンでの集客が難しくなってきてしまいました。

 

収益が家賃を上回れない月も多くなり、こちらは残念ながら賃貸契約を解除となりました。

 

こんな感じのカラー講師ライフ。

でも収入的には自立レヴェルには至らず、正直夫が居なければ成立しない生活でした。

 

幸い、派遣時代の友人のツテでWEBサイトの制作・運営のお仕事を頂いたり、地元の漢方薬局で運営している、漢方養生学を広めるプロジェクトに関わらせて頂いたりして、何とか活路を見出そうとしていました。

もっとこれから頑張っていかなくては。

 

そんな矢先でした。

 

突然、それどころではない、事態の急展開を迎えることになったのです。

 

それは・・・・

 

(3000文字超えてしまいました><
最後までお読み頂き、貴重なお時間ありがとうございました・・・)

 

第63話に続く