第60話はこちら 

 

こんにちは、おけいです。

 

ちょっぴりトホホな新婚旅行を終え、日常生活に戻ったおけい。

証券系シンクタンクで派遣として働きながら、家事もそれなりに頑張り。

普通っぽく日々が過ぎていくかに思えましたが、程なくして再びアレがやって来ました。

 

アレとは。

 

そう、母の波状攻撃。

 

独身時代は、「結婚シロシロ攻撃」でしたが、今度は

「子供作れ作れ攻撃」です。

 

さすがに、夫がいる前では言いにくいようでしたが、頻繁にこちらに手紙を送ってよこすようになりました。

 

結婚さえしたら、静かになると思っていたのに・・・

次はこれかい。

(ちょっと考えればすぐに想像ついたとは思いますが)

 

手紙に書いてあることはいつも同じ。

 

・私は一人っ子だから、子供がいないと将来が困る。

・早いうちに産まないと子育てが大変になる。

・旦那さんのご実家にも申し訳ない

・毎日散歩の時に八幡神社で御百度参りをしている。

(母は慢性関節リウマチです、そんなにスタスタ歩ける身体ではないので、これはちょっと盛ってないか?><)

 

とか、ある時は、

「子供を授かるための○○本」

といった書籍が送られれて来たこともありました。

 

ずっと無視していると、

「どうして人の話を聞かないんだ」

とクレームも入ります。

 

「こちらの問題なのだから、そっとしておいて欲しい」

とは伝えていましたが、

そういう話に耳を貸す母ではありません。

 

でも私がうんざりしていた理由は他にもありました。

 

私たち夫婦は、ほぼ、いわゆる、セックス・レス状態にあったからです。

しかも結婚前から、この傾向はありました。

お互い一人暮らしで、ほぼ毎週末は泊りに行っていたにもかかわらず。

 

さらには、「結婚して一緒に暮らすようになれば、

少しは改善するかも」と思っていたのに、

状況はむしろその逆でした。

 

私は、このことが本当に不満でした。

夫を友達のようにしか感じられないのも、

このせいだと思っていました。

 

だから、子供ができようはずもないこの状況で、

母からこんな調子でせっつかれるのが、本当に勘弁、でした。

 

もしかしたら、これを読んで気分を害される関係者の方もいるかもしれませんが、、、。

20年近い前の話ということで、

ご容赦頂ければなと思います・・・・

 

私は、夫婦たるもの、レスではアカン!

 

という考え方でしたから、色々聞いてみるのですが、

「疲れてる」

「眠い」

「また今度」

てな感じで、はぐらかされっ放しでした。

普通は、こういう会話って男女逆なのかもしれませんが・・・・

 

きっとまた、私の尋ね方が、

あまりよくなかったのかもしれません。

 

今だったら、アサーションスキルを使って、爽やかにカワイく

伝えることもできたかもね。

 

もうそんなわけで、私はすっかり実家へ行くのが嫌になっていたし、母のことを母と呼ぶのさえ気が進まなくなっていました。

 

若月家は、昔から常に家に猫がいるような家で、高校時代に私が家の前で拾った猫(トラ)は、ギクシャクする家族関係の鎹(かすがい)になってくれていました。(第35話:猫は鎹

私が結婚直後に、17歳でトラが天寿を全うした後は、

今度は私の新居近くでまたまた子猫を偶然保護し、

猫がいなくなって寂しがっていた実家に託していました。

 

この新しい鎹(かすがい)ももちゃんになぞらえて、

私は夫の前では、母の事を「ももちゃんママ」、実家のことを「ももちゃんち」と呼んでいました。

 

「子供作れ攻撃」をかわすために、単独では絶対にももちゃんちには行かないようにし、食事などは共にせず、滞在時間は最小限に。

年末年始は、夫の実家帰省に同伴することで、ももちゃんち訪問は免れました。

 

 

そんな中、ももちゃんちとその住人は苦手なものの、そこにある3つの桐ダンスのうちの最も古い、曾祖母のもの(残りはおけいが証券会社時代に亡くなった祖母と、母のもの)をもらい受け、自宅マンションに運び込みました。

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右が、当時からの姿。多分150年くらいは経ってて、あちこちガタがきていたので、去年たんす屋さんで化粧直ししてもらいました。それが左側。

べ、別人でしょ・・・・多分、これでこのタンスは私より長生きするかもしれません!

 

私は半年間着付け教室に通い、その後暫くは和服にハマっていきました。

 

母方の祖母は、大の着物好きだったようです。

ももちゃんちには、母が嫁入りの時にこの祖母が買ってくれた桐ダンスがあり、母自身が祖母に仕立ててもらったものや、形見分けの着物がたくさん入っていました。

母が小さい頃は、三越の行商が自転車の荷台に反物を括り付けて、しょっちゅう出入りしていたそうです。

おけいが結婚した時には、母の妹に当たる叔母が、この祖母に嫁入りに仕立ててもらったという訪問着を私に譲ってくれました。

不思議と寸法は私にもぴったりで、今でもお正月やセレモニーなどには着ることがあります。

 

それが、こちらの着物。菊の地紋に、手描き友禅。刺繍や金粉がちりばめられ、かなり豪華ですね。(母が「私のはこんなじゃなかった」と羨ましがってました)

帯は、西陣織名門の「渡文」、ン十万モノですが、着付け教室のパーティでじゃんけんに買ってタダでget♪

 

母も叔母も、着付けはあまり得意ではなかったようなので、その分私が祖母の形見などを含めて色々活用しました。

 

古くなった袷(あわせ)の着物の裏地を解いて長襦袢に仕立て直したり、寸足らずの単(ひとえ)着物の胴部分に、別の虫喰いがあって着られない着物の端切れを継ぎ足して、長襦袢に仕立て直した着物の裏地をつけて袷にしたり・・・

(当時は近所に和裁をやっているおばあさんがいて、この方に全てやって頂きました)

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それが、こちら。グリーンは元袷の着物、裏地を取って長襦袢に。(刺繍付きの長襦袢て、どんだけ・・。)ブルーの縞柄の着物が、元単、グリーンの着物の裏地を付けて、(ちらっと見えてます)胴部分継ぎ足ししてます。

朱色の羽織とバッグもアンテイークです。

 

自分でも何着か着物や帯を誂えましたが、やはりこうした、受け継いだものをリメイクするのは、祖先と繋がれている感覚があり、幸せなひと時でした。

 

今も私の手元にあるタンスの持ち主の曽祖母は、命日の日付が私の誕生日の日付と同じだと聞いています。

(私が生まれる数年前に亡くなったそうです)

 

きっとこの曽祖母や、着物好きの祖母が、着物の神様となって私を護って下さっているような気がします。

 

さて。

道楽は、着物ばかりではありませんでした。

 

結婚当初からスタートした、主に大学時代の音楽サークル仲間と今も続いているバンド(今年で17年になります)では、ずっと担当していたキーボードに少々マンネリ感が生じていました。

モチベーションが保ちにくくなってきた、という理由で、突然アルトサックスを購入し、レッスンを始め、ライブでほんの数曲サックスをやらせてもらうようにもなりました。

 

知り合いの、国分寺のJAZZクラブのマスターにお願いして、大久保の石森管楽器店にてまずは楽器選定。

それが、こちら。セルマーSA-80-II

管楽器は手作りで、マイナーチェンジも繰り返されるため、同じ機種でも個体差があります。購入時はいくつか吹き比べて「選定」するのが通常だそうです

 

このマスターの大学時代の先輩に当たる方が、渋谷のYAMAHAでレッスンをやっているというので、紹介して頂き、レッスンをスタート・・・・。

 

 

何だか、さっきっから、サラーーーーっと書いてますが、はい、

 

相当お金使ってますよね(笑)

 

夫や親とのコミュニケーションに鬱々として、そのストレスを完全にお金で発散していたような形でしょうか・・・><

 

もちろん、着物もサックスも、一生物ですし、身に付いた技術も掛け替えのないものです。

投資としては全く後悔はしていませんが、、

 

具体的な金額は分からなかったでしょうが、これを夫はどう見ていたのでしょうか。

当時はもちろん「まあいいんじゃない」という顔で、例によって何も言いませんでしたが、その心中はいかに。

 

私たち夫婦は、金銭感覚についても、似ているようであまり合っていないようではありました。

性格も、金銭も、性も・・・・不一致、なのかなぁ?><

 

この後、更におけいは夫に「溝」を感じさせるような行動を起こします。

 

それは・・・

 

第62話に続く