先日、境内社の稲荷神社の清掃をした際に出てきた棟札に、
岡崎神社の第9代宮司が「社掌(しゃしょう)」という職名であったことを書きました。
現在ならば「宮司」と呼ばれる立場であったのですが、当時の呼び方は「社掌」でした。
明治維新から太平洋戦争までは、神社は国家の管理下にあり、
御祭神や御由緒、神社の規模などをもとに、「社格」という等級がつけられていました。
神宮(伊勢神宮)だけは最尊貴の神社として、すべての神社の頂点にあり、別格でしたが、
それ以外の全国の神社は、官国幣社(官社)、諸社(民社)、無格社に分けられていました。
現在は、どの神社にもひとりずつ「宮司」が居ますが
(神社のトップが宮司で、それ以外の神職は、禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)等)、
戦前は、「宮司」と呼ばれるのは、官国幣社の長である神職だけでした。
以下、諸社のうちの大きな神社の神職の長を「社司」、
それ以外の小さな神社や、村社、無格社の長を「社掌」といいました。
岡崎神社も村社でしたので、当時は宮司でなく「社掌」と呼ばれたわけです。
戦後は、神社は国家の管理を離れましたので、
公的な社格制度が廃止され、すべての神社は平等の立場であるとされ、
かつて社司や社掌と呼ばれた立場の神職も皆、等しく「宮司」となりました。
ただし、旧・官国幣社や一部の規模の大きな神社に関しては、
神社本庁が「別表神社(べっぴょうじんじゃ)」という特別な設定をしており、
神職の進退等に関して、その他の一般の神社とは異なる規則が指定されています。
広島県でしたら、安芸国一宮(いちのみや)である厳島神社、二宮である速谷神社、
広島市内ですと広島護国神社、比治山神社、等が別表神社に該当します。