昨日は、昼前から境内社の稲生神社の大掃除を致しました。
長い間、すみずみまで掃除をする機会がありませんでしたので、
今年は3月20日の例祭に先駆けて、本腰を入れて綺麗に致しました。
宮司就任以来、初めて稲荷神社の御本殿を開けました。
むかって左に御神体が祀られており、向かって右側は御神像でした。
それから、このたび誂えた御簾(みす)を取り付けました。
以前あった御簾は、かなり古びており、外れかけていましたので、
今年の例祭にあたり、新調いたしました。
いつもお世話になっております豊栄堂さまにお願いして、新しい御簾をつくって頂き、
このたびの清掃から取付まで大変お世話になりました。
(有限会社 豊栄堂初工場 〒731-1222 広島県山県郡北広島町阿坂1732
電話0826(84)0414)
内部には、様々な大きさの狛狐(こまぎつね)と、小さな狛犬が一対いました。
ホコリがついていましたので、皆、拭いて綺麗にしました。
またなぜか、古びた大日本帝国政府紙幣「拾銭」札も一枚だけありましたので、
掃除のあと、それはまたそのまま、元の場所に置いておきました。
意味があったのか無かったのか、今となってはわかりませんが、
長い年月、ここで過ごしてきた拾銭札ですので、今後も居て貰うことにしました(笑)。
当時のままの棟札(むなふだ)も出てきました。
昭和6年4月20日、でしょうか。「大安」の日だったようです。
未吉祥と読めます。未(ひつじ)年だったのですね。
本当に、ここではまるで時が止まっているかのようです。
棟札には、安芸国安佐群伴村 稲荷神社 社掌(しゃしょう)山田伊穗理、とありました。
岡崎神社の第9代宮司ですが、「社掌」というのは旧制における神職の職名で、
当時の「村社」や「無格社」と呼ばれた社格の神社において、
祭祀を司る立場の神職をこのように言いました。
岡崎神社も旧制での社格は村社でしたので、当時は岡崎神社 社掌と呼ばれたのですね。
この稲生神社を建設するにあたって、発起人となられた方々や職人さんの方々の御名前が
棟札には詳細に書かれ、今も、こうして残されています。
ちなみに棟札の表記は「稲荷」神社となっています。
神額は「稲生」ですので、このブログではそちらを採っていますが、
残っている各種の記録を見ても両方の書き方が混在しています。
岡崎神社の「崎」の字も、右上部分の「大」が「立」になった表記もあり、
昔からの記録の中で一定してません。
「えびす」の表記も様々(「恵比須」「胡子」「戎」など)であるように
昔の人にとっては文字よりも音(=読み方)のほうが主体であったようです。
第9代宮司山田伊穗理は、大塚東二丁目の若宮神社の改修記念の木札にも、
その名が記録されています。
宮司(社掌)として、各神社の護持運営に、大いに尽力したことがうかがわれます。