現在の岡崎神社の宮司・山田足穂は、記録を辿れる範囲では第十一代目の宮司となります。
江戸時代の終わり頃からの書類等が断片的に残っていますが、
途中で火災に遭って資料の多くを焼失していますので、不明な点も多々あります。
宮司宅に残っているものでは、第六代宮司・山田市正正春の元治元年の「書」が
最も古いものだと思われます。
小野地の天皇社の近くの石碑には、第七代宮司・山田定馬正尭とその弟・山田雅人正矩の名が
刻まれているのが読み取れます。
https://ameblo.jp/okazaki-shrine/entry-12626369839.html
昔の祝詞もいくらか残されており、第九代宮司・山田伊穂理の書いたものは、
100年ほど前のものもありますが保存状態が良く、今でも読むことが可能です。
第九代宮司は昭和8年没ですので、明治時代や大正時代、
まだ岡崎神社の周辺が「伴村(ともむら)」と呼ばれていた時代の、
年中行事や折々の奉告祭の様子がしのばれます。
先代の第十代宮司・山田正樹が就任してからの時代には、日本全体が戦争に向かいましたので、
勝利を乞い願う祝詞や、出征する兵士たちの武勲を祈る祝詞、千人針を納める際の祈願祝詞など、
戦時中の生活のしばれるものが数多く残されています。
こうして見ると、祝詞は百年前からその書式や形式があまり変わっていません。
神様の御前に、神饌や幣帛を供え、神様の御神徳を称えて祈願を奏上する、
という内容は今も同じで、使われている漢字や万葉仮名もほぼ同じですので、
令和の時代の神職も昔の祝詞を読むことが問題なくできますし、
往事の宮司たちの筆跡や言葉使い、そこに込められた祈念などを感じ取ることができます。
五十年、百年前の祝詞に目を通すとき、
先代、先々代の宮司たちもこの奉書に自ら祝詞を書き、
これを手にしてご神前で奏上したのだと、深く心打たれる思いになります。