温かく心優しき闘将!
勝負の時は仁王にも夜叉にもなりながら、勝負の陰では周りの方々全てを
温かく包んでおられた心優しき闘将。
ひときわがたいが大きかった小学生の時から理不尽な上級生には一人で
立ち向かいながら仲間と下級生の面倒見よく、.難病で歩けなくなった同級
生を背負って行動を共にされた熱い友情と深い絆が原点になり、弱きを助
け強きをくじく燃える男、燃える闘将の人生を貫かれながら、強きは弱きに
寄り添う生涯を貫かれました。
1984年 (昭和59年) から、故郷岡山の総合医療福祉施設、社会福祉法人
旭川荘を毎年訪問され、入所されている方々、子供たちと温かく交流される
とともに、「体が不自由な子供たちも野球に親しめるように」 と.開催に尽力
され、大会会長を務められていた 「西日本肢体不自由児ティーボール交歓
大会」では参加者を温かく激励され、少年野球教室では少年たちの懸命な
プレーを優しく見守られながら温かく指導されていました。
また、「アマ・プロの垣根を取り払って野球界を一つにしていく後押しを」 「こ
の国、スポーツ界を背負っていく若者・子供たちを尊重しながら、背中を押し
て支えてあげるような形でいきたい」 と抱負を熱く述べられていました。 |