台風18号・暴風・大雨により被災された地域皆さまに
お見舞い申し上げます。
2次災害を警戒されている地域皆さまは、くれぐれも
気をつけてお過ごし下さい。 |
岡山市南区郡(児島湖北湖岸):撮影地 |
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岡山市南区郡~玉野市八浜の境に位置し、 金甲山に次いで
児島半島で2番目に高い、標高332mの山です。
かつて、「児島」が浮かんでいた吉備の穴海 (現、岡山平野~
児島湾~児島湖)の海岸線からそびえ立ち、現代の岡南地域
(下記)に雄々しい姿を魅せる山容から 「岡南富士」(こうなん
ふじ)と呼ばれています。
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岡南(こうなん)
江戸時代から数世紀に亘って行われた児島湾干拓のうち
特に藤田組(現、同和鉱業株式会社)により明治時代から
行われた児島湾内の大規模な干拓 「藤田開墾」 によって
埋め立て・造成、新田開拓・宅地開発・工業・商業立地され
た岡山県岡山市南部、旭川(東)から笹ヶ瀬川(西)に至る
地域です。
1964年(昭和39年)、同地域を中心とした岡山市・玉野市・
倉敷市、及び周辺町村とともに新産業都市建設促進法に
基づく 「岡山県南新産業都市」 に指定されました。 |
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写 真 |
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2009. 8.24 撮影 |
カメラ |
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PENTAX K-m |
レンズ |
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PENTAX DA 18-55mm
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怒塚城跡 |
山頂に室町・安土桃山時代の城跡、「怒塚城」跡(土塀・堀切)が
あります。
古代の児島を開拓し、備前国児島郡三宅郷(下記)を治めてい
た土豪(首長) 三宅氏(下記)の一族、宇多見氏(児島郡波智
荘歌見:現、玉野市八浜町見石大雲寺周辺出身)の居城です。 |
1956年(昭和32年)4月10日、昭和天皇・皇后両陛下が岡山へ
行幸啓(ぎょうこうけい)になられ、工事中の児島湾締切堤防・
児島湖を御視察、後日御製を寄せられました。 |
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行幸啓(ぎょうこうけい) |
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天皇陛下、皇后陛下がご一緒に外出されること。 |
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御製(ぎょせい) |
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天皇陛下がお詠みになった和歌。 |
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御 製 |
海原を せきし堤に立ちて見れば
しほならぬうみにかはりつつあり |
海原を堰き止める堤防に立って見れば (見渡せば)
潮ではない(塩分・満干がない)海に変わりつつある |
国生みの神話、古事記に吉備児島、日本書紀に吉備子洲と記
されている、いにしえのロマン溢れる児島半島へ架かる橋。 |
児島湾締切堤防道路の樋門部分に架けられた橋です。
昭和天皇・皇后両陛下の行幸啓、締切堤防工事の御視察
(前述)を記念し、「御幸弁天橋」 と名づけられました。 |
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御幸(みゆき) |
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天皇陛下が外出されること。(行幸:ぎょうこう) 及び、
天皇皇后両陛下がご一緒に外出されること。(行幸啓) |
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「弁天」は、締切堤防・橋の東詰め(児島半島、北西端)の小高い
丘陵一帯 : 近世まで郡の沖に浮かび、旧石器時代集落跡「弁
天島遺跡」があった(現存遺構なし)「弁天島」に由来します。 |
原始の頃から生活が営まれていた郡は、古代より吉備児島の
「郡」(首都)として、郡港は吉備国の主要港として栄えました。 |
(右:怒塚山、中央(奥):児島半島最高峰「金甲山」) |
2006年・2009年撮影 (HP版転載分) |
カメラ |
: |
PENTAX Optio S60
PENTAX K-m |
レンズ |
: |
TAMRON AF 28-300mm MACRO |
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今までに撮影、ご紹介した晴れの国おかやま
(o^O^)_こちら
から是非ご覧下さい。 |
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