練馬区で介護保険サービスを使わずに介護されている方は年に1度10万円の支給を受けられます。

他の市町村でも同様の制度があります。

 

 

https://twitter.com/kawashimashacho/status/1530149217045708800?s=21&t=1J-7b0N333Mngwf2xBAN9w

 

 

練馬区では家族介護慰労金という名称で支給されています。

ご存じない方はぜひ申請されてくださいませ。

経済的に成功すれば幸せになれる。お金持ちになってファイヤしたい。


この30年くらいは世界中がそんな感じの傾向だ。

秒で億を稼ぐ。年収1億稼ぐ。等々。

 

そうなれば幸福になれるだろうか。

私はそれを実験したことがある。結果としてだが。

今だから言うが、30歳くらいの頃、一時期一人でネットビジネスをしていた。そして、1年後、年収1億になった。毎日30万円以上入金されていた。


HPへの集客は自動化されていたので、1年間は文字通り仕事は入金を確認するだけだった。

それから3年後、33歳くらいのときは、アルバイト3人と私の合計4人で年商4億になったこともある。一人当たり1億円だ。
さすがに自動化はされてなかったが、そこで会社を売却していれば、100バーセント株主なので、EBITA×3年で10億くらいだったろうか。

その後、色々な事業に手を出したり、アホな投資をしたりしてお金は綺麗に全部溶けたが、とても大切な教訓という財産を得た。

人は年収1億円になっても幸せにはなれない。

4億円稼いでも幸せにはならない。

ということだ。

私は起業後、5年くらい死に物狂いで売上、収入という目標(今思えばただの数字)を追いかけ、達成し、ほぼうつ病になっていた(当時自覚はないがたぶんあれはうつだったと思う)

自動化された収入により、経済的自由を手に入れて、南国でリタイアする。


夢のようだと思うだろう。

私は1年くらいそれをやってみようと思って試してみた。

 

確かに夢のようだった。悪夢のほうだが。

特に、収入が自動的に毎日入金されていたときが一番やばかった。

自動化とはつまり孤独だということだ。なぜなら誰ともかかわらずにすむからだ。


そして、自動化とは暇だということだ。やることがあればそれは自動とは言えないのだから、とうぜん暇だ。

人と触れ合わず、社会との接点もなく、やることもない。
何しろ一人なのだ。

1年どころか2ヵ月ともたなかった。


世界中を旅する?馬鹿言っちゃいけない。
海外どころか、そのうち一歩も家の外に出なくなった。

そんな生活が続くと、世界中のだれ一人自分を必要としてないのではないか。
 

そんな気がしてきたものだ。
(この時点でだいぶ病んでいる)

人間にとって、働きは最上の喜びである。

これは真実だ。


誰かの役に立つ、つまり自分の端(周りの人たち)を楽にする。それがすなわち「端楽=働く」ということである。


セミリタイヤ、アーリーリタイヤ、ファイヤ。

成功者(と言われる人たち)はみんなを煽る。


騙されてはいけない。


あれは彼らの商売だ。彼らはビジネスとして成功者をやっているのだ。

だが、経験上、あらゆるものを犠牲にして手に入れた経済的成功の先に待っているものは孤独と精神的な病だ。

 

アメリカで若くしてセミリタイアして、西海岸で遊んで暮らしている成功者の平均余命はリタイヤ後5年だという恐るべき統計もあるくらいだ。



幸福とは今この瞬間だ。
成功を成し遂げた後にあるものではない。

この瞬間、幸福でないのなら、将来に幸福はない。

未来とは今この瞬間の延長なのだから。

 

ちなみに、これ、私が言っているのではない。仏陀もキリストも、ありとあらゆる偉人が言っている。

(幸せの青い鳥を読んで欲しい)

 

私は実際に実践し、実感した。

 

偉人が偉人と言われるゆえんを実感した。

本当にその通りだった。

 

アホな私は偉人の言葉を知っていたが、失敗して経験するまでは学べなかった。

 

賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶと言う。

 

思いっきり愚者のほうの私は、遠回りし、ようやくそのことに気づけたのだった。

 

およそ15年前、大きいしくじりをした私だが、1つだけ良かったことがある。

 

それは、気付いたのが死ぬ間際でなくて本当に良かった。

 

ということだ。

 

 

昔好きで読んでいた「あしながおじさん」からの一節。


競争について考えさせられる。

 

私たちはいつも戦っている。競争している。

 

また、目標を定めろと言われる。その目標に向かって実現のために戦う。

 

最近、私は思う。

目標ってほんとにいるのか?と。

 

ないほうが人間は幸せになるのでは?

 

誰もが成功して幸せになりたいと願う。

資本主義社会において幸せとは経済的成功だからだ。


その成功のために目標を掲げて他人と競争する。


将来幸せになるために、今この瞬間に目標を追いかけ競争する。

 

それってなんか変だよね。

 

<ここから>

 

「たいがいの人たちは、ほんとうの生活をしていません。かれらはただ競争しているのです。地平線から遙かに遠い、ある目的地(ゴール)へいきつこうと一生けんめいになっているのです。そして、一気にそこへいこうとして、息せき切ってあえぐものですから、現にじぶんたちが歩いている、その途中の美しい、のどかな、いなかの眺めも目にはいらないのです、そしてやっとついた頃には、もうよぼよぼに老いぼれてしまって、へとへとになってしまってるんです。ですから、目的地へついてもつかなくても、結果になんの違いもありません。あたしは、よしんば大作家になれなくっても、人生の路傍にすわって、小さな幸福をたくさん積みあげることにきめました」(遠藤寿子訳、岩波少年文庫2、一九五〇年)

 

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3月の終わりに妻から声をかけられた。

 

「あなたの会社って事務員さんを募集してたわよね?志村さん(仮)という知人がいるんだけど、アルバイトとして雇ってもらうことできる?」

 

話を聞くと、志村さんは学芸員としてとある関西の美術館に契約社員として勤めていたのだが、3月末で契約満了で雇止めされてしまったというのだ。それだけならまだ再就職先を探せばいいのだが(まあ、良くはないのだが)、彼女は去年子供を出産し、0歳の息子がいて、その子を保育園に預けているというのだ。


しかし、彼女は失業してしまったわけなので次の就職先をすぐにでも見つけないと、子供が保育園から出されてしまう。


保育園から出されてしまえば、就職活動をすることができなくなってしまう。就職活動するためには保育園に預けなければいけないが、就職をしないと保育園には入れられない。まさに八方塞がりの状態に陥ってしまうのだ。


問題は2つある。


1つ目は就業の意思があるママがまずは子供を預かってもらえなければ求職活動もできないと言う事。


2つ目は、学芸員や大学の職員などアカデミックな現場で若い人の就職がほとんど非正規雇用になってしまっているということだ。

 

1つ目は厚労省がある程度頑張っていて、少ない労働時間でも保育園に預けることが出来るように要件が少しずつ緩和されている。もっとも、理想を言えば働いてなくても、就業の意思があれば一定期間、就職活動のために保育園に預けられるようにすることが望ましい。


問題は文科省管轄の2つ目の方だ。


例えば、大学の予算だが毎年1%ずつ予算が削られている。これは文科省の問題と言うより、財務省の予算配分に問題がある。(ひいては政府の高齢者優遇政策、さらに突き詰めるとそのような政治家を選ぶ国民の民度と言うことになるだろう)


毎年予算が1%も削られているのだから、大学としては正規の雇用を増やせない。退任する教授がいたとしても、若手にそのポストを据えるのではなく、そのポストごと廃止してしまったり、非常勤講師に置き換えてしまったりしている。すべて予算がないためだ。


若手の研究者は不安定な雇用環境に置かれ、業績を早く出さなければと焦り、不正に手を染める人も出てくる。これは本人の資質の問題と言うより、構造的な問題なのである。


グローバル資本主義の名のもとに、何より短期の成果を求められ、腰を据えて研究ができなければ、研究のレベルが下がって、画期的な業績は望めない。日本の論文数がどんどん減って世界から水をあけられている現状がそれを示している。


また、そもそも根本的なこと言えば期限付きの雇用という制度(派遣、契約社員など)そのものが非人道的だと思う。明日の雇用が保障されてない人が安心して働くことができるだろうか。組織に大事にされていない労働者が顧客や組織の仲間を大切にできるだろうか。


だから、当社では使用期間を除き、当社では派遣社員や契約社員はいない。正規雇用のみを原則とする方針だからである。


前述の雇い止めされた志村さんは、本人の希望により、在宅で時短のアルバイト(時短の期限のない雇用契約である。当社はそれを正規雇用と定義しているので正規雇用として就業証明を書いた。正規雇用の方が保育園の点数が高いのだ。)として働いてくれることになり、これにより子供は保育園を出されずにすみ、本人は就職活動を続けることができることになった。


資源のない日本にとって人材は国の礎である。だから教育予算は最も優先的に配分されなければ国の将来はない。このままでは優秀な若手の研究者は研究職を目指さなくなる。予算があれば、大学でも安定的な雇用形態が実現できる。