新撰組で好きな隊士はいる?

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こんにちは。
アレテーを求めて~
今日もトコトコ( ・ω・)
弁護士の岡本卓大です。
 
【コウペンちゃんⒸるるてあ】
 
今日は、新選組の日ですか。
新選組の主な隊士で思い浮かぶ人というと、
近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、
永倉新八、斎藤一、藤堂平助、原田左之助等でしょうか。
芹沢鴨もいますね( ・ω・)
特別好きな人というと…とくにいないですね。
ファンが多そうなのは、土方、沖田なんでしょうねぇ。
土方さんは、写真が残ってるし、沖田は美形イメージですね(本当に美形だったのかはわからないところですが)。
 
(雑学ネタ帳から引用)

新選組にゆかりのある東京都日野市のNPO(特定非営利活動)法人・日野市観光協会が制定。

1863年(文久3年)のこの日、京都・壬生に詰めていた武芸に秀でた浪士達で構成された新選組の前身「壬生浪士組」に、陸奥国会津藩主で京都守護職の松平容保から「会津藩預かり」とする連絡が入り、新選組が正式に発足した。

もともと壬生浪士組は、清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護に当たるために幕府が江戸で募集をしたものである。1863年2月に江戸を出発したが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解してしまった。

まもなく幕府の帰還命令を受けて清河ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇・芹沢鴨・土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八・井上源三郎・斎藤一ら24名はそのまま京都に残留した。松平容保の配下に入り、9月に隊名を「新選組」と改称した。その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行った。

記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。日野市は新選組副長の土方歳三や六番隊組長の井上源三郎らの出身地であり、新選組の故郷である。この歴史・文化を郷土の誇りとして、意識おこし・まちおこしにつなげ、市全体の活性化を目指している。

 

新選組のふるさと日野

 

 

坂本龍馬暗殺の黒幕は、新選組だったという説がありますねぇ。

もし、真実、龍馬を殺したのが新選組の指示によるものだったとしたら、

近代日本に大きな損害を与える結果になったということになるでしょうか?

まあ、当時は、その時代を必死に生きていたのであって、

後世の人間がとやかく言えることではないですが( ・ω・)

 

 

さて、本日の記事紹介は、新選組つながりで( ・ω・)

神武征討記( ・ω・)

第50話「あいつは会津!?ミカワノタケチヨと北の狼たち!」

 

第62話「茨城の乱!暗躍する水戸連盟!(後編)」

 

第63話「タギシミミの立太子!そして、神武様、水戸へ!」

 

第64話「そうだ!京都行こう!京都会議開催!」

 

新選組が登場したのは以上、4話。せっかく作ったものの、まだあまり活躍していませんね…

これから、神武征討記も新展開になってしまうので、

新選組の前世武将たちの活躍の場はあるのか、ないのか…

 

【構想メモ】『神武征討記( ・ω・)』神武東征・退魔大戦編

 

 

『歴史の事実』というのは、一つですが、『歴史の真実』というのは、

見る角度を変えると複数の見方があり得るのかも知れません。

新選組は、幕府に忠義を尽くした日本を守ろうとした者達だったのか?

それとも、新しい時代を妨げようとした殺人者達だったのか?

たぶん、どちらも真実なのでしょうね( ・ω・)

読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

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