こんばんは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

今、知っておくべき緊急事態条項の問題

今回は、中編です。

文字数の関係でブログタイトルは少し変えてます( ・ω・)

 

 

 

 

前編 国家緊急権とは何か?

中編 民主主義から独裁が生まれた例~破壊されたワイマール憲法体制

後編 自由民主党の緊急事態条項案とその問題点について

 

このシリーズを読んでもらい、考えてもらうためには、

宇宙一わかりやすい僕らの憲法のお話( ・ω・)

で紹介した基礎知識を持っている方が有益です。

未読の方は、ぜひ、こちらもお読みください。

 

 

さて、今回の記事

民主主義から独裁が生まれた例~破壊されたワイマール憲法体制

の話は、法解釈の世界というよりも、

むしろ、歴史の話です。

 

法の世界では、人類の歴史というものがいろいろと関係してきます。

刑法で犯罪と決めているような行為をなぜ犯罪とするか、

民法で決められている私人間の関係についてのルールをなぜそのように決めているか、

そして、人権として保障されているものがなぜ人権として憲法で保障されることになったか。

それらの多くは、人が理屈で考えだしたものではなく、

人類の経験してきた歴史、人類の経験から生まれてきたものです。

 

そういう意味では、法学部等の文系の大学入試科目に社会(日本史・世界史・地理等)が

あるというのは、社会科学を学ぶ基礎として、有用なのかもしれません。

 

最初に、今回の記事執筆にあたって参考にした参考文献を紹介しておきます。

 

①「ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか 民主主義が死ぬ日」(亜紀書房)

(著者 ベンジャミン・カーター・ヘット、訳者 寺西のぶ子)

これは、ドイツ史が専門のハーバードで歴史学博士号を取得した著者の翻訳本です。

 

②「隣人ヒトラー あるユダヤ人少年の回想」(岩波書店)

(著者 エドガー・フォイヒトヴァンガー、訳者 平野暁人)

これは、少年時代にヒトラーの家の向かいに住んでいたユダヤ人歴史家による回想録です。

 

 

③「ヒトラー暗殺計画と抵抗運動」(講談社選書メチエ)

(著者 山下公子)

著者はドイツ文学者で、現在は、早稲田大学教授のようです(執筆時は、富山国際大学助教授)。

 

④「一冊でわかるドイツ史」(河出書房新社)

(著者 関眞興)

著者は、元駿台予備校世界史講師。ライトですが、わかりやすい本です。

 

さて、参考文献を紹介したところで、

歴史嫌いの人は苦手であろう年表を少し確認してみます。

あー、暗記しなくてよいですよ。

流れを押さえるためです( ・ω・)

 

1914年 サラエボ事件、第一次世界大戦始まる。

1918年 ドイツ革命

1919年 ヴェルサイユ条約、ワイマール共和国(ドイツ国)成立

1919年 ドイツ労働者党が結成される。

1923年 ミュンヘン一揆

1931年 日本、満州事変を起こす。

1932年 総選挙でナチス第一党に躍進。

1933年 ヒトラーが首相に就任、ドイツ国際連盟脱退。

1934年 ヒトラーが総統に就任。

1936年 ドイツがヴェルサイユ条約を破棄。ベルリンオリンピック。

1937年 日本、日中戦争を始める。

1938年 ドイツがオーストリアを併合。

1939年 独ソ不可侵条約。第二次世界大戦が始まる。

1940年 ドイツがパリを占領。日独伊三国軍事同盟が成立。

1941年 独ソ開戦(日本はアメリカと太平洋戦争開戦)

1944年 ノルマンディー上陸作戦

1945年 ドイツ無条件降伏(日本ではアメリカにより原爆投下。太平洋戦争敗戦。)

 

世界史的には、上記のような流れになります。

日本も同時期に軍部の独裁のもと国家総動員がされ、

アメリカと戦争して、広島と長崎に原爆落とされています。

 

さて、もう少し詳しく見てみましょう。

 

ヒトラーがドイツの首相に就任した当時、

ドイツの大統領は、軍人出身のヒンデンブルグという人でした。

第一次世界体制に負け、ヴェルサイユ条約により多額の賠償金を支払う義務を負わされたドイツでは、

経済も政治もとても混とんとした状況にありました。

ヒンデンブルグは、ワイマール憲法48条に定められた非常事態の大統領を頻発します。

 

やがて、ヴェルサイユ条約による賠償金への不満を訴えかけた

ヒトラー率いるナチスが1932年の総選挙で第一党となります。

 

1933年2月27日から28日にかけての深夜。

ドイツの首都ベルリンでドイツ帝国議事堂の建物(国会議事堂)で火災が起こります。

ヒトラーを首班とするドイツ政府は、この火災を、共産党による放火事件であると

発表し、2月28日の閣議で、「人民と国家防衛のための」政令案を緊急手続きで可決します。

そして、その政令案を、ヒンデンブルグ大統領に署名させます。

 

この政令は、前文で、

「憲法48条第2項に基づき、国家を危うくする共産主義者の暴力行為に対する防衛のため、以下を定める」

と述べて、この大統領緊急令(緊急事態条項に基づく緊急令)により、

ワイマール憲法の保障した人権保障規定は棚上げされ、

「個人の自由、言論、出版の自由、結社、集会の自由の制限、

郵便、電報、電話の秘密の侵襲、家宅捜索や押収、個人財産の制限

の命令が、従来の法に定められた限度を越える場合もあり得る」とされることになりました。

また、ドイツは歴史的経緯からそれまで邦(日本でいうなら地方自治体)の独立性が強かったのですが、

この緊急令は、

「ある邦において、公共の安全と秩序の回復に必要な措置が取られない場合には、

中央政府がその限りにおいて、邦の最高機関の権限を代行し得る」

とすることで、中央政府に邦(地方)の政策に介入するフリーハンドを与えるものでもありました。

 

この緊急令を用いて(正確には緊急令発令制定手続中から)ヒトラーは、ナチスに反対する共産党員の

逮捕、迫害を開始します。

その指揮を執っていたのは、プロイセン内務省総監兼国務大臣のゲーリングでした。

ゲーリングは、共産党選出の国会議員および共産党幹部の逮捕命令を出すとともに、

プロイセン邦内のすべての共産党事務所、連絡所の閉鎖を命じ、全共産党機関紙の無制限の発行停止

と社会民主党の出版機関に対する十四日官の活動停止令を発令します。このあまりにも素早い対応が、

国会議事堂炎上事件の裏にゲーリングあり(ナチスが火をつけた)という噂を生みます。

 

ヒトラーのナチス政権による弾圧は、共産党のみにとどまりません。

政権に反対すると思しきもの・・・

社会民主党員、リベラル派、平和主義者、知識人やジャーナリスト、

芸術家、人権活動家および関連する報道機関が次々に弾圧されていきます。

3月5日の総選挙の投票日までに、69名もの政治的殺人の犠牲者も出ています。

 

ナチスは、そのような弾圧を正当化するために巧みな情報操作を行います。

その情報操作を行っていたのはゲッペルスです。

ゲッペルスは、ヒトラーが新たに設けた国民啓蒙宣伝省の大臣となり、

民衆の心を捉える「覚えやすいスローガン」を繰り返し宣伝し、

ナチスのプロパガンダの皮肉と偽りは、信奉者たちが非合理性を熱く崇拝したおかげで、

大きな後押しを受けます。合理的な啓蒙思想的な基準が軽視され、

事実上の革命が起きたような状態となります。

 

ヒトラーのナチスは、共産党を壊滅させ、社会民主党を選挙活動困難の状態に追い込んだ上で、

国民の恐怖心を煽り、同時にドイツ一丸となって政府の指導のもと難局にあたろうと愛国心を鼓舞する

派手な選挙戦を展開します。

 

しかし、それほどの手段を選ばぬ不公正な選挙戦を行ったにもかかわらず、ヒトラー率いるナチスは、

3月5日の総選挙の結果、単独での過半数を取ることはできませんでした。

連立する他の党と合わせて、なんとか過半数の議席を確保します。

 

そして、緊急令発令中の国会で、

ヒトラー政権は、

すべての権力をナチスに与えるという内容の

「全権委任法」を提出します。

 

投票では、社会民主党の議員以外のすべての党が、賛成に票を投じました。

ハイル(万歳)が熱狂的に叫ばれ、

銃を持ったナチスの親衛隊が野党議員たちの後ろに立っている状態での投票。

それまで14年にわたってワイマール共和国の拠り所であった中央党、歴史あるリベラルな2党は、

ナチスの成功と威嚇の前に、主義主張を放棄してしまいました・・・

 

全権委任法の本当の意味は、国会がヒトラーに4年間の立法権を与えた点ではなく、

ヒトラーが大統領に依存せずに使える権限を手に入れたことにあります。

もはやヒトラーの権力を抑制できるものは無くなりました。

ワイマール憲法により作られたワイマール憲法体制は、

その48条2項の大統領緊急令を利用した全権委任法の成立により、

葬り去られます。

ドイツで民主主義が死んだ瞬間でした。

 

その後のヒトラー率いるナチスドイツは、ポーランド侵攻に始まり、

イタリア、そして、日本とともに、第二次世界大戦を引き起こすことになります。

ホロコーストでのユダヤ人の虐殺も行いました。

 

大統領緊急令についてのワイマール憲法48条2項の規定。

それ以上に、独裁者アドルフ・ヒトラーを生み出した原因は、

無知と熱狂によりヒトラーを支持してしまった民衆

それをうまく利用したゲッペルスらのプロパガンダ戦略だったのかも

知れません。

 

 

最後に一つだけ、日本国憲法の条文をあげておきます。

自由民主党の憲法改正草案の中では、理由は不明ですが、

削除されている条文です。

 

憲法97条

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 

後編 自由民主党の緊急事態条項案とその問題点について

に続きます( ・ω・)

 

読んでくださり、ありがとうございました。