こんばんは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

予告編で引っ張りに引っ張った、

今、知っておくべき緊急事態条項の問題

いよいよ本編へ突入です( ・ω・)

 

 

さて、前回の目次で示したように、今回は前編です。

前編・中編・後編の構成は以下のとおり。

 

 

前編 国家緊急権とは何か?

中編 民主主義から独裁が生まれた例~破壊されたワイマール憲法体制

後編 自由民主党の緊急事態条項案とその問題点について

 

今回は、国家緊急権とは何か?

がテーマです( ・ω・)

 

最初に、憲法の「基本書」でどんな風に書かれているかを3つ上げてみましょう。

 

まずは、我々世代の司法試験合格者のほぼ全員が読んでいる

芦部信喜「憲法」から。

 

戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など、

平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、

国家の存立を維持するために、

国家権力が、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限を、

国家緊急権という。

この国家緊急権は、一方では、国家存亡の際に憲法の保持を図るものであるから、

憲法保障の一形態と言えるが、他方では、立憲的な憲法秩序を一時的にせよ停止し、

執行権への権力の集中と強化を図って危機を乗り切ろうとするものであるから、

立憲主義を破壊する大きな危険性をもっている。

したがって、実定法上の規定がなくても、国家緊急権は国家の自然権として是認される、

とする説は、緊急権の発動を事実上国家権力の恣意に委ねることを容認するもので、

過去における緊急権の濫用の経験に徴しても、これをとることはできない。

超憲法的に行使される非常措置は、法の問題ではなく、事実ないし政治の問題である。

この点で、自然権思想を推進力として発展してきた人権、その根底にあって

それを支えてきた抵抗権と、性質を異にする。

 

次に、野中・中村・高橋・高見の有斐閣「憲法Ⅱ」より。

 

国家緊急権の内容は、立憲主義の一時的停止であり、

より具体的には、人権保障の停止(人権の広範な制限)

権力分立の停止(執行権への権力の集中)である。

かかる問題は、多かれ少なかれ立憲主義が採用されているところでしか

生じないことに注意しておこう。

もともと人権の保障がなく、権力が集中されているところでは、

緊急権の論理に訴える必要はない。だからこそ、国家緊急権は、

立憲主義を守るための立憲主義の一時停止というパラドクシカルな表現で

主張され、憲法保障の一方法として議論されているのである。

しかし、緊急権を憲法保障の問題として位置づけることには、

理論上問題がないわけではなない。

憲法は権力を拘束するものであり、憲法保障は権力がその拘束を守る

ことを確保することであるのに対し、緊急権は権力が憲法の拘束を

免れることを許すことだからである。

にもかかわらず、一般に緊急権を憲法保障の問題として位置づけてきたのは、

立憲主義の下において憲法を停止することを正当化しうる根拠としては、

憲法を超えるもの(国家の存立)か憲法そのものの保障以外には援用しえないと

考えられてきたからであろう。

 

三つ目は、安全保障法制審議中の公聴会で、

自由民主党から呼ばれた参考人でありながら、

安全保障法制は立憲主義に反するという意見を述べた

私が、司法試験合格した当時の司法試験委員であり

東大教授だった長谷部恭男先生の「憲法」より。

 

と、思ったら、長谷部先生の「憲法」には、

そもそも、国家緊急権のこと書いてませんでした(^^;)

 

代わりに、防衛についての記述を紹介します。

 

こと、防衛に関する限り、民主制の欠陥はあまりにも深刻であり、

失敗のコストが過大であるため、なんらかの形で決定の幅自体を

最初から限定しようという立場も成り立つ。

第一に、国民あるいは国会議員でさえも、防衛に関する情報を

多くは知らされないことが通常である。

防衛に関する情報をすべて公開すれば、国の安全を損なうのは確かである。

しかし、情報が限定されるなら、国民あるいは議会が的確な判断を下す能力も限定される

第二に、防衛に携わる政府機関が、果たして社会全体の利益を念頭にして

政策の立案や執行にあたるかという疑いがある。

防衛組織は、いったんできあがると、自己の組織の最大化や取引先ないし天下り先の

利潤最大化を目指して、公開する情報の種類や国民に提示する選択肢の幅を操作する

おそれがあることは否定しがたい。

第三に国の安全に関する決定は、誤りを犯した場合、人命・財産等について

膨大な犠牲を国民全体に課する。

正確な情報や冷静な計算能力を欠いた国民や国会議員が、一時の民族的感情や

根拠のない幻想につき動かされて決定を行う場合にその危険が大きい。

そして、膨大なコストを要する軍備の維持は、多くの人々の情緒に即した

「わかりやすい」正当化を要求する傾向がある。とくに強力な殺傷力を持つ

大量破壊兵器は、それに見合った仮想敵国の存在を求めるし、敵国が強力な

殺傷力を加えられるに値するほど「邪悪」であるとの想定を要求しがちである。

戦争を一定の実定的ルールに則して正規軍同士が争う国家間のゲームとして

とらえる「無差別戦争観」が一般的であった近代ヨーロッパ社会と異なり、

「正しい戦争」と「違法な戦争」を区別する現代の戦争観(「正戦論」といわれる)は、

この手の道徳感情を煽る危険がある。

国際政治の世界に道徳感情が過度に入り込むと、理性的な防衛サービスの維持と

執行はさらに難しくなる。

以上のような危険を避けるために、その時々の多数派によっては動かしえない

政策決定の枠を憲法によって設定しておくことは、合理的な対処の一つである。

 

そして、それに続けて、長谷部先生は、以下のように記述します( ・ω・)

 

以上のような議論を前提とすれば、国の保有しうる軍備を限定すること、

あるいはさらに推し進めて、「戦力」といいうる組織の保持を禁止する主張が

現れることも不思議ではない。

そして、主権者たる国民の決定権を縛ることに憲法9条の意義があると考える以上、

主権者意思に基づく憲法の「変遷」や、高度な政治性ゆえの「主権者の決定権」を

持ち出すことは、こと9条に関する限りそもそも不適切だということになる。

国民を代表する国会やそれに政治責任を負う内閣が、そのことを理由に憲法9条の

拘束を免れることも当然できない。

 

さて、なかなか大変だったかも知れませんが、

憲法学者の国家緊急権についての通説的見解

(まともな憲法学者なら異論が無いであろう共通項)と

執筆当時は、最も政権寄りではないかと思われていた

長谷部教授の基本書の記載を紹介させていただきました。

 

ちなみに、長谷部先生は、安保法制問題の後、東大から

私大の早稲田大学に移籍されていますね。

 

長谷部先生を参考人に呼んだ自民党の国会議員の人たちは、

東大教授だった長谷部先生の本は読んでなかったのかなぁ?

今の国会議員って、勉強してないの( ・ω・)?

 

 

まとめます。

 

国家緊急権とは、

①戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害などの非常事態に

②国家権力が、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限

 

具体的には、

人権保障の停止(人権の広範な制限)

④権力分立の停止(執行権への権力の集中

をする権限を国家権力に与える

ということです( ・ω・)

 

あれ、これって、使い方によっては、

独裁者作れちゃうと思いませんか?

 

 

 

 

 

なぜ、日本国憲法には、国家緊急権の条文

つまり

緊急事態条項

が無いのか?

 

書き忘れではありません。

わざと緊急事態条項を置いていません( ・ω・)

 

いや、緊急事態条項があったら独裁者ができるなんて、

極端な意見だ。

民主主義国家で、立憲主義のしっかりしてる国なら、

そんなことなんて起こらない!

 

と主張したいあなたへ。

 

次回は、まさに民主主義国家で、

とても立派な憲法を持った国で、

軍事独裁政権が生まれた例を紹介したいと思います。

 

次回の記事に向けて、一人の歴史上の人物を紹介します。

 

おそらく、社会、歴史が苦手な人であっても名前くらいは知っているはずの人です。

その男が生まれたのは、1889年。

1933年にあるヨーロッパの国の首相となります。

亡くなったのは、1945年4月30日。

その男が独裁者となった国には、

ワイマール憲法という世界で初めて社会権(生存権)を憲法で保障した憲法がありました。

そのワイマール憲法には、たった一つ。その男を独裁者にすることにつながる条文がありました。

「大統領緊急令」と呼ばれる規定。

ワイマール憲法48条です。

 

さて、時代とヨーロッパという地域。

ワイマール憲法という憲法の名前。

わかる人はわかりましたね。

 

その男の名は・・・

 

アドルフ・ヒトラー

 

次回 

 

中編 民主主義から独裁が生まれた例~破壊されたワイマール憲法体制

 

へ続きます( ・ω・)

 

読んでくださり、ありがとうございました。