こんにちは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

先日、

今、知っておくべき緊急事態条項の問題

の中編をブログにアップしました。

 

 

この記事を書く上で参照した本に、

 

隣人ヒトラー あるユダヤ人少年の回想

 

という本があります。

 

著者は、エドガー・フォイヒトヴァンガーという歴史家の方で、

イギリス・ドイツの近現代史を専門とし、

国民国家成立からナチズムの台頭までを対象に論文、著作が多数ある方です。

 

著者の伯父は、反ファシズム運動でも知られた

著名なユダヤ人作家リオン・フォイヒトヴァンガーです。

 

この本では、1929年から1939年までの出来事についての回想を、

少年時代にヒトラーの家の向かいに住んでいたユダヤ人歴史家の著者が

書いた回想録です。

 

例えば、1933年の最初は次のような記述で始まります。

 

(引用。ただし、一文ごとに改行。)

その日はみんな家にいた。ママはピアノでヘンデルを弾きながら指の運びに合わせてハミングしていた。

「サラバンド」っていうゆっくりで重々しい曲。

エリー・ナイっていうのは世界でも何本の指に入るピアニストみたいなんだ。

ぼくみたいな年のお客さんはたぶん他にいなかったと思うけど、

でもあのとき演奏していた曲は、モーツァルトの「トルコ行進曲」もベートーベンの「月光」も他のもちゃんとぜんぶわかった。

それからママが代わってくれて、今度はぼくが弾いた。

曲はヘンデルの「バッサカリア」っていうアリアで、上がったり、下がったり、早くなったりするやつ。

エドガーは将来エドウィン・フィッシャーみたいな名ピアニストになるわね、ってママが言った。

ちょうど前の日、フィッシャーのコンサートを聴きに行ったばかりだったから、ママはぼくの髪を手ですいて、うなじのあたりをなでてくれていた。

と、ドアが開いたかと思うとパパが顔を出し、だしぬけにこう言った。

「ヒトラーが首相に任命されたよ」

ぼくはピアノを引く手をちょっと止めて、それからまた弾き始めた。

二人のやりとりを聞きながら。

ローズィが寄ってきて、ボビーおばさんも公爵と一緒に降りてきた。

ぼくはまた「バッサカリア」を弾き始めた。

パパは、ついさっき外国にいるリオンおじさんと電話で話したところだと言った。

おじさんは外交官の知り合いから、今はドイツに帰らないほうがいいと言われているらしい。

ぼくはパパに、もう遅いからね、と部屋へ行かされて、ベッドの脇でメルクリン戦闘機の組み立ての続きをした。

いまはもうきれいに出来上がって、部屋のチェストの上に置いてある。

(引用終わり)

 

そこから、ゲーリングが内務大臣となったこと、それに対する家族の会話が続き、そのときどきのことを

回想する内容が、綴られていきます。

 

そして、最後の1939年は、次のような記述で終わります。

 

(引用。ただし、一文ごとに改行)

パパと連れ立って広いミュンヘンの駅を歩いて行く。

僕用のちっちゃなトランクを下げたパパ。

パパの貸してくれたスーツを着ている僕。

マフラーの編み目から入り込む風がひやりと首をなでて僕は上半身をぶるっと揺すった。

兵士たちが数人がかりで書類を確認する。

僕のはロンドン行きの片道切符と、パスポートと、正規のビザ。

パパのはオランダ国境の町・エメリッヒまでの往復切符。

眉一つ動かさず「行け」の合図をする兵士たち。

僕はここ数日で間に合わせに詰め込んだフレーズを頭の中で何度も繰り返した。

 

「My name is Edgar」「How do you do?」「How old are you?」そしてもうひとつ。

でもこれは、もう決して発するはずのない言葉。

「I am a jew」。僕はユダヤ人。

 

バイエルンの街並。田園。山や川や草や木。

二度と見ないと思いたい景色のひとつひとつが窓の外を流れていく。

通り過ぎる列車を眺める牛たち。

なんだかそばにいる農家の人たちまで牛と同じような目つきに見える。

それぞれ畑を耕したり、牛に引かせたプラウと格闘したり。

みんな昔ながらの農作業服を着ていて、それがなぜだかあの「総統閣下」を思わせた。

パパはなにも喋らなかった。

僕の手を握ったままずっと外を見ていて、窓ガラスに映ったその顔が、ふっと緩んだ気がした。

パパの口元に浮かんだあれはたぶん希望のかけらだったのだと思う。

と、パパと目が合った。

視界がじんわりとにじんだ。

僕はパパにくっついてぎゅっとした。

 

さあ、国境だ。

ここで降りるパパを見送りに乗車口まで行くと、SSの兵士がパパの書類を確認して、それからにこりともせずに、なんでこのユダヤ人のガキと一緒にドイツを出て行かないんだ、と言いながら偉そうに僕をアゴで指した。

パパは答えなかった。

僕も答えなかった。

だけど僕にはわかっていた。

パパはいま初めて、心の底から、怖くなんかないと思っている。

今日の僕たちには怖いものなんてない。

もうあと少しすれば僕たちはドイツ人じゃなくなるんだ。

二度と、一生。

 

パパが降りた。

僕はもといたコンパートメントに戻った。

列車が少しずつ動き始める。

ホームを歩きながらついてくるパパ。

パパが窓ガラスに手をあてて、僕もガラス越しに手を重ねて、そうして僕たちはにっこり笑った。

列車が速度を上げた。

パパの姿は、夜の闇に吸い込まれて、消えた。

(引用終わり)

 

 

そして、ベルティル・スカリが2012年12月に書いた本書のエピローグは、

次のように締めくくられます。

 

(引用。改行についてはこれまでと同様。)

 

初めて会ったころのエドガーは70歳で、私は25歳だった。

今や88歳と43歳。

ニコラ・レイナールは仕事先へと向かう飛行機で事故に遭いこの世を去った。

プリムローズが亡くなったのはこの春のことだ。

エドガーは言った。

「このごろ、来世というものについて考えるようになったよ」。

語りおろしの機は熟した。

私達はようやく出発したのだ。

エドガーが子ども時代を生きたミュンヘンの轍をたどる旅に。

すべてが消え失せる前に。

なくなってしまう前に。

今、この時をおいて他になかった。

 

(引用終わり)

 

我々、日本人も、先の太平洋戦争の経験を知る世代がだんだん少なくなりつつあります。

ノーベル文学賞を受賞し、平和について訴え続けてきた大江健三郎さんも亡くなりました。

漫画を通じて、戦争の悲惨さを描き続けてきた松本零士さんも亡くなりました。

先人達の記憶、経験を後世に残し、また学んでいく必要がある時代に入っていると思います。

 

最後に訳者である平野暁人さんの、訳者あとがきから、次の言葉を引用して、この記事を

終えたいと思います。

 

(引用。改行についてはこれまでと同様)

 

人類の歴史は、巨視的に眺めれば進歩の歴史と言ってよいと思います。

明るい時代と昏い時代を春夏秋冬のごとく、繰り返し、時に大きく脇道に逸れながらもなんとかより良い方へ進もうとしている人間が、私はとても好きです。

悪はいつか必ず淘汰されます。

ナチス・ドイツも滅びました。

とはいえ、こうしている今も圧政やテロや内戦という真冬を生きている人々や、排外主義や弱者切り捨て、議会軽視による与党の強権化などによって晩秋を迎えつつある社会が、日本をはじめとして世界のあちこちに存在しているのもまた事実なのです。

 

本物の破滅とは、人々の不穏な呼吸に誘われて降りだす雪のようなもの。

気づけばゆっくりと、しかし絶え間なく降りつもり、いつしかその重みで頑健な大聖堂の天井をも崩落させてしまいます。

この世界に時おり避けがたく昏い季節が巡り来ることを知っている私たちは、一人ひとりが自分なりのやり方で地道に雪をかきわけながら、歴史の玄冬を生き延びて、春へと希望をつないでゆくべきではないでしょうか。

 

(引用終わり)

 

読んでくださり、ありがとうございました。